ベリーメリー
壁のカレンダーは12月、日めくりには28の数字。時計は三時半を指していた。
「コレってもしかして……ヤバくね?」
立ち尽くすリコの前には、爆発物処理班が任務に失敗したような光景が広がっていた。
11月下旬、テストまであと一週間に迫った放課後。誠凛高校では、翌日から部活禁止期間となっていた。
「はいコレ、日向君と話し合って決めた12月の予定ね」
リコが主将の日向以外の部員たちにプリントを配った。日向はあらかじめ持っていた自分の一枚をポケットから出す。
「見てもらえばわかると思うけど、日向君、説明お願い」
リコの言葉を受けて右手を挙げ、日向が『部活』という文字で埋めつくされた予定表を読み上げる。
「説明ってほどのものでもねーけど、テスト中以外はほぼ部活。休みに入ったら朝のプール練も追加。質問は?」
簡潔な日向の説明に、伊月が手を挙げる。
「28日の部活の後の『反省会』ってのはどこでやるんだ?」
伊月は「12月28日」と書かれた欄を指差した。年末の部活最終日で、午前中の『部活』の文字の後に『反省会』と記されている。
「カントクん家。今年一年を振り返っての反省と、来年の課題を話し合うんだとよ」
「そっ。その日は部活で体育館使えるのは三時までだから、いったん帰りたい人は帰って、五時に来てね」
伊月は「了解」と承諾の意を示した。
「って、時間聞いてねーんだけど。つか、そのまま行ったほうが早くね?」
主将の指摘に、リコは一瞬口ごもる。
「そ、そりゃ早いけど……そう、その日の練習内容も見てデータまとめて反省会に活かしたいから、ちょっと時間が欲しいのよ」
「ま、いーけど」
リコの説明に、日向はうなずいた。
「なー、コレちょっとハードじゃね? クリスマスまで部活とかありえな……」
「甘いこと言ってんじゃないわよ!」
隣の水戸部に小さく愚痴をもらす小金井の頭部を、すかさずプリントを丸めたリコの制裁が襲う。
「コガ、どうせ彼女もいないんだしさあ」
物理的な痛みよりもリコの迫力に涙目の小金井を、ゆったりとした口調ながら痛いところを突く土田の指摘が、さらに傷口を広げる。
「せっかく高校に入って、試験休みってものがもらえるようになったんだから、これを活かさない手はないわ」
「でも、むしろ試験休みがあるんだから、少しくらい……いえ、何でも……」
水戸部に肘でつつかれ、日向や伊月にも視線でたしなめられ、小金井の語尾はどんどん小さくなる。
「うわついたこと言ってないで部活に打ち込むのよ、いいわね!」
やる気にあふれた笑顔で、リコはぴしゃりと言い放った。
帰宅したリコは私服に着替え、壁にかけておいたエプロンを身に着ける。
「フッフッフ。あんなこと言ったけど、ちゃんとごほうびくらい用意してるわよ。人を育てるには飴とムチってね」
11月のカレンダーを一枚めくり、『28』までのマス目を数える。
「ま、これだけあればなんとかなるでしょ。私の作る『個人メニュー』で、みんなの弱点をガンガン補ってあげるわ!」
リコはフルーツケーキのレシピ本を本棚から取り出し、意気揚々と台所へ向かった。
数日後。
廊下を歩いていたリコの目の前に、突然絆創膏が現れた。
「な、何?」
リコは驚き、差し出してきた日向を見上げる。
「絆創膏だよ、見りゃわかるだろ」
日向が目をそむけつつ言う。
「それはわかるけど、どうして?」
リコの疑問に応えるかわりに、土田がリコの指を差しながら軟膏を差し出す。
「あとコレ、その……あかぎれ?に効くらしいからさ」
赤面したリコは、切り傷だらけの指先をとっさに引っ込める。
「カントクは成績いーからあんま勉強する必要ないのかもだけど、シャーペン握れなくなったら元も子もねーだろ」
絆創膏を受け取らせようと、さらに差し出す日向に、リコは傷が目立たないようおずおずと手を出し、受け取る。
「早く治せよ」とそそくさと去ってゆく日向の背中を見送りつつ、土田がリコに告げる。
「男子はけっこう傷や血に弱いヤツ多いんだ、だから隠しておいてやってよ。もちろんケガするようなことはしないのが、いちばんいいんだけどね」
そもそも女の子があんまり傷だらけなのはかわいそうだしねえ、ああソレ返してくれるのは今度でいいよ、とのんびり手を振って歩き出す土田に、リコも手を振りかけ、あわてて手を隠す。
二人に渡された絆創膏と軟膏は、まだかすかに温もりが残っていた。
期末テストが終わり、答案が返ってくるまでのつかの間の安息の日々――テスト休みに突入したある日。
部活のために学校へと向かうリコは、背が高く無口な同級生の後ろ姿を見つけた。
「水戸部君!」
リコの声に気づいて振り向き、目顔で挨拶する水戸部の手からは、ビニール袋に入った小さな鉢植えがぶら下がっていた。
「それ、アロエ? どうしたの?」
並んで歩くと、袋の隙間から棘のある葉肉が見え隠れする。リコは水戸部の表情から答えを読み取るべく、顔を見上げた。が、そのアロエの鉢はそのままリコに差し出される。
「……くれるの?」
水戸部がうなずいたので、リコはそれを受け取った。
「ありがとう。でも、なんで……」
首を縦や横に振るだけでは済まない質問をぶつけて良いのだろうか、とリコは語尾を濁した。リコの逡巡を見てとったか、水戸部はす、とリコの手の甲を指差した。数日前に負った、小さな火傷の痕がある。
「あ、コレ? もう治りかけよ」
水戸部は静かに首を振った。アロエの葉を手折り、断面を擦り付ける仕草をする。
「ああ、アロエは火傷に効くって聞いたことがあるわ」
リコが頭の片隅に残っていた知識を口にすると、水戸部はかすかに微笑んだ。
「今度火傷したとき、使わせてもらうわね」
が、無口な同級生は、気遣わしげな視線を送ってくる。
「あ……うん。もちろん、もう火傷はしないように気をつけるわ」
水戸部はやっと安心したようにうなずく。リコは愛想笑いを浮かべつつ、腕の絆創膏の下にある、今朝できたばかりの火傷をそっと撫でた。
「コレってもしかして……ヤバくね?」
立ち尽くすリコの前には、爆発物処理班が任務に失敗したような光景が広がっていた。
11月下旬、テストまであと一週間に迫った放課後。誠凛高校では、翌日から部活禁止期間となっていた。
「はいコレ、日向君と話し合って決めた12月の予定ね」
リコが主将の日向以外の部員たちにプリントを配った。日向はあらかじめ持っていた自分の一枚をポケットから出す。
「見てもらえばわかると思うけど、日向君、説明お願い」
リコの言葉を受けて右手を挙げ、日向が『部活』という文字で埋めつくされた予定表を読み上げる。
「説明ってほどのものでもねーけど、テスト中以外はほぼ部活。休みに入ったら朝のプール練も追加。質問は?」
簡潔な日向の説明に、伊月が手を挙げる。
「28日の部活の後の『反省会』ってのはどこでやるんだ?」
伊月は「12月28日」と書かれた欄を指差した。年末の部活最終日で、午前中の『部活』の文字の後に『反省会』と記されている。
「カントクん家。今年一年を振り返っての反省と、来年の課題を話し合うんだとよ」
「そっ。その日は部活で体育館使えるのは三時までだから、いったん帰りたい人は帰って、五時に来てね」
伊月は「了解」と承諾の意を示した。
「って、時間聞いてねーんだけど。つか、そのまま行ったほうが早くね?」
主将の指摘に、リコは一瞬口ごもる。
「そ、そりゃ早いけど……そう、その日の練習内容も見てデータまとめて反省会に活かしたいから、ちょっと時間が欲しいのよ」
「ま、いーけど」
リコの説明に、日向はうなずいた。
「なー、コレちょっとハードじゃね? クリスマスまで部活とかありえな……」
「甘いこと言ってんじゃないわよ!」
隣の水戸部に小さく愚痴をもらす小金井の頭部を、すかさずプリントを丸めたリコの制裁が襲う。
「コガ、どうせ彼女もいないんだしさあ」
物理的な痛みよりもリコの迫力に涙目の小金井を、ゆったりとした口調ながら痛いところを突く土田の指摘が、さらに傷口を広げる。
「せっかく高校に入って、試験休みってものがもらえるようになったんだから、これを活かさない手はないわ」
「でも、むしろ試験休みがあるんだから、少しくらい……いえ、何でも……」
水戸部に肘でつつかれ、日向や伊月にも視線でたしなめられ、小金井の語尾はどんどん小さくなる。
「うわついたこと言ってないで部活に打ち込むのよ、いいわね!」
やる気にあふれた笑顔で、リコはぴしゃりと言い放った。
帰宅したリコは私服に着替え、壁にかけておいたエプロンを身に着ける。
「フッフッフ。あんなこと言ったけど、ちゃんとごほうびくらい用意してるわよ。人を育てるには飴とムチってね」
11月のカレンダーを一枚めくり、『28』までのマス目を数える。
「ま、これだけあればなんとかなるでしょ。私の作る『個人メニュー』で、みんなの弱点をガンガン補ってあげるわ!」
リコはフルーツケーキのレシピ本を本棚から取り出し、意気揚々と台所へ向かった。
数日後。
廊下を歩いていたリコの目の前に、突然絆創膏が現れた。
「な、何?」
リコは驚き、差し出してきた日向を見上げる。
「絆創膏だよ、見りゃわかるだろ」
日向が目をそむけつつ言う。
「それはわかるけど、どうして?」
リコの疑問に応えるかわりに、土田がリコの指を差しながら軟膏を差し出す。
「あとコレ、その……あかぎれ?に効くらしいからさ」
赤面したリコは、切り傷だらけの指先をとっさに引っ込める。
「カントクは成績いーからあんま勉強する必要ないのかもだけど、シャーペン握れなくなったら元も子もねーだろ」
絆創膏を受け取らせようと、さらに差し出す日向に、リコは傷が目立たないようおずおずと手を出し、受け取る。
「早く治せよ」とそそくさと去ってゆく日向の背中を見送りつつ、土田がリコに告げる。
「男子はけっこう傷や血に弱いヤツ多いんだ、だから隠しておいてやってよ。もちろんケガするようなことはしないのが、いちばんいいんだけどね」
そもそも女の子があんまり傷だらけなのはかわいそうだしねえ、ああソレ返してくれるのは今度でいいよ、とのんびり手を振って歩き出す土田に、リコも手を振りかけ、あわてて手を隠す。
二人に渡された絆創膏と軟膏は、まだかすかに温もりが残っていた。
期末テストが終わり、答案が返ってくるまでのつかの間の安息の日々――テスト休みに突入したある日。
部活のために学校へと向かうリコは、背が高く無口な同級生の後ろ姿を見つけた。
「水戸部君!」
リコの声に気づいて振り向き、目顔で挨拶する水戸部の手からは、ビニール袋に入った小さな鉢植えがぶら下がっていた。
「それ、アロエ? どうしたの?」
並んで歩くと、袋の隙間から棘のある葉肉が見え隠れする。リコは水戸部の表情から答えを読み取るべく、顔を見上げた。が、そのアロエの鉢はそのままリコに差し出される。
「……くれるの?」
水戸部がうなずいたので、リコはそれを受け取った。
「ありがとう。でも、なんで……」
首を縦や横に振るだけでは済まない質問をぶつけて良いのだろうか、とリコは語尾を濁した。リコの逡巡を見てとったか、水戸部はす、とリコの手の甲を指差した。数日前に負った、小さな火傷の痕がある。
「あ、コレ? もう治りかけよ」
水戸部は静かに首を振った。アロエの葉を手折り、断面を擦り付ける仕草をする。
「ああ、アロエは火傷に効くって聞いたことがあるわ」
リコが頭の片隅に残っていた知識を口にすると、水戸部はかすかに微笑んだ。
「今度火傷したとき、使わせてもらうわね」
が、無口な同級生は、気遣わしげな視線を送ってくる。
「あ……うん。もちろん、もう火傷はしないように気をつけるわ」
水戸部はやっと安心したようにうなずく。リコは愛想笑いを浮かべつつ、腕の絆創膏の下にある、今朝できたばかりの火傷をそっと撫でた。