ベリーメリー
「今朝、毛先焦がした?」
リコが伊月に耳打ちされたのは、冬休みの初日だった。
「やだ、ちょっとなんで知ってるの!? まだどっか焦げてる!? イーグルアイで見えた!?」
あわてふためき髪を押さえるリコに、伊月は予想外の反応に戸惑ったように続ける。
「……ってネタ、イケてね? って訊こうと思ったんだけど」
「あ、そう……」
安堵のため息をつき、リコはささやかな胸をなで下ろす。
「ま、髪はちゃんと焦げてるけど」
伊月の指摘に、リコは悲鳴を上げた。
「普通に後ろだから、イーグルアイじゃなくても見える」
「やだ、どうしよう」
うろたえて伊月が示すあたりを指で確かめると、後頭部に若干縮れている部分があった。
「学校が休みで良かったんじゃない? 学校に来てる運動部員くらいしか顔合わせないだろ」
「それはそうだけど……とにかく、教えてくれて助かったわ」
かなりの落ち込みをにじませながらも、リコは礼を述べた。
「毛先なのが幸いかな。ちょっと切ればごまかせそうだけど」
珍しく情けない表情になるリコに同情したのか、伊月は慰めらしき言葉を口にする。
「ああ、それと」
「何?」
「ヘアがそれだけ焦げるってことは部屋も大変だろ? ほどほどにしとけよ」
「う、うん……」
ネタ披露なのかいたわりなのか判然としないが、とりあえずいい笑顔の伊月の言葉に、リコは曖昧にうなずいた。
クリスマスの翌日。リコはあくびが止まらなかった。
「ふあ……あ。おはよう、小金井く……」
部室の前でリコの顔を見たとたん、「ちょっと待ってて!」と小金井は回れ右をして走り去った。
「え!?」
待ってて、と言われたからには逃げられたわけではないらしい。リコがあっけに取られていると、まもなく小金井が戻ってきた。手にチラシを持っている。
「はい、カントク!」
勢いよく差し出された紙片を、リコは思わず受け取った。
「え、あ、でも何コレ?」
「カントク、最近目の下のクマひどいよ」
反射的に目の下に指を当てるリコに、「今日はとくに、うちのねーちゃんが二日酔いのときみたいだよ」などと余計な一言を、小金井は付け加える。
「今朝の新聞に化粧品っぽいチラシがはさまってんの見た気がしたから、今図書館でもらってきたんだよね。まー寝るのがイチバンだと思うけど」
リコがチラシに目を落とすと、それは確かに化粧品のチラシに違いなかった。が。
「小金井君。気持ちは嬉しいんけどコレ、40歳からの基礎化粧品って書いてあるわよ……?」
リコの指摘に一瞬凍りついた小金井は、体育館のほうへ走り出した。
「ゴメン、怒んないでー!」
遠くから声が聞こえ、リコは苦笑する。そしてまた小さくあくびをした。
「え」
リコは自宅の玄関のドアを開け、絶句した。
「や、だからみんなヒマでさ。五時にはまだ早いけど、来ちゃったんだよ」
ほら、と示す日向の後ろには、先ほど学校で別れたばかりのバスケ部の面々がそろって立っている。
「カントクー、寒いから早く入れてよー」
マフラーに顔をうずめるようにして小金井が要求し、伊月が「今日のデータを踏まえた反省は来年ゆっくりするから、とりあえず今日は忘年会ってことにしないか?」と両手のレジ袋を掲げる。
水戸部が持っているエコバッグからも、葱が顔を出していた。
「鍋とカセットコンロも持ってきたし、皿もあるよ」
土田が背負っているナップザックには鍋などが入っているらしい。
「つーわけで、カントクは場所だけ貸してくれりゃいーから」
日向がまとめると、全員がうなずいた。
「ちょ……ちょっと部屋が散らかってるの。すぐ片付けるから、待ってて」
引きつった笑みを浮かべたリコは、彼らの返答を待たずドアを閉めた。まっすぐ台所へ向かい、戦場とも惨状とも言える光景をあらためて眺める。
「コレってもしかして……ヤバくね?」
一人つぶやき、首を振る。
「……ううん、もしかしなくてもヤバいわ。ケーキが間に合わないどころか、とりあえずこの状況を気づかれないようにしなきゃ」
シンクに山積みになったボウルはとりあえずオーブンの中に放り込み、蓋をする。壁に飛び散った粉は目立つところだけでも拭き取る。
「にしても、どーしてこうなっちゃうんだろ……」
あわただしく隠蔽工作を施しながら、リコはため息をついた。
クリスマスにも部活を行う部員たちへのせめてもの思いやりとして、リコは各人の弱点を補う食材を入れたケーキを作ろうと思い立った。だが、成績優秀なリコも、家庭科は苦手だった。包丁を持てば材料でなく指を切ることが多く、型をオーブンに入れれば数分後には爆発音が聞こえてくる。
それでもまだ形があれば「身体にはいいんだから!」と食べさせようと考えていたが、この日に至っても、大部分が蒸発したような物体しか生まれなかった。
「やだ、あんなとこにまで!」
見上げると、天井にも粉がこびりついている。
「ちょっとあれは……時間もないし、気づかれなきゃいーんだけど……」
リコはため息をつき、こめかみをおさえた。
「布巾貸して。水戸部が拭いてくれるってさ」
「っきゃああああ!」
背後から聞こえた日向の声に、リコは悲鳴を上げた。振り向くと、部活仲間の同級生たちがそれぞれの表情で、焦土と化した台所をのぞき込んでいた。
「みんな、いつの間に!?」
「外寒ぃから、せめてジムのロビーの隅で待たせてもらおうと思ったら、親父さんが家入ってていーって」
「つか、むしろ片付け手伝っていいって」
「そーそー。どうせ台所借りるんだし、さっさと片付けちゃおうぜー」
口々に言い、腕まくりをしたバスケ部員たちは手分けして掃除を始めた。
「コレ、見られたくなかったのに……」
リコはやり場に困ったような恥ずかしさをにじませ、小さく呟いた。日向が頭を掻く。
「あー。悪ぃけど、うすうすわかってた」
「は?」
聞き返すリコに、土田が笑う。
「あんだけ毎日どこかしらケガして、気づくなってほうがムリだと思うよ」
拍子抜けしたリコが見回すと、水戸部や小金井、伊月の表情も似たりよったりだった。
「なんだ、バレてたのか……」
リコがため息をつき、「なら隠しても仕方ないわね」とケーキを作ろうとしていたことを白状する。
「でも結局間に合わなかったのよ、ごめんね」
「いいよ、気持ちだけで。何なら、その材料さえ教えてくれれば充分」
布巾を絞りながら、伊月が言う。
「そーゆーこと。さ、だいたい片付いたから鍋の材料切ろうぜ。あ、カントクは切らなくていーから」
「わかってるわよ!」
日向の言葉に、リコは赤面した。