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崩壊日和

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俺が帝人くんを好きになるなんてことはありえないことなのだ。



折原臨也は何度も何度も自分にそう言い聞かせてきた。ダラーズの創始者であり、興味深い行動を取る彼を観察することが楽しいだけで、別にその彼を抱きしめたいとか、キスしたいとか、それ以上とか、そんなことは絶対に考えていないのだと。
大体そんなのは可笑しい、と臨也は思う。
折原臨也が、恋だなんて。そんなおかしすぎる状況、ありえない。
でも、ありえないなら、ありえないならどうして。


「どうしたんですか?」


3メートルほど前を歩いていた帝人がくるりと振り返る。海風にさらわれて揺れる短い黒髪が、あどけない少年の顔を一層引き立てるようになびいた。臨也は息を飲んで、吐いて、それから造作なく笑ってみせる。
「何でも。君は海が似合うね」
どうでもいいようなことを告げて、それから、そうですかと海へ視線を戻した帝人の横顔から、やっとのことで目をそらすのだった。
どうして俺は此処にいるんだろう。
臨也はそれがわからなくて、理解できなくて、理解したくなくて困っている。
事の始まりは、2日前の夜だった。
面白い方向に傾き始めた池袋の様子を楽しみながら、帝人はあとどのくらいで壊れるだろうかと、そんなことを考えていたはずだった。実際に彼に会うまでは、臨也は通常運転の臨也だった。どこもおかしなところはなく、強いて言うならば、ただいつも通りに歪んでいただけ。それなのに。
夜中にスポーツバックを片手に歩く帝人を見つけて、声をかけたら、彼は無造作に言った。
「ああ臨也さん、ちょうどよかった。僕、池袋を出てしばらく旅してきますね」
「え?」
「まあ・・・いろいろ、疲れたので」
苦笑しながらそんなことを軽く告げて、バックを軽く叩いてみせた帝人の表情はとてもとても透明で。
もしかして死んでしまうかもしれないと臨也は思った。俺の知らないところで、ひっそりと消えるように死んでしまうかもしれない。そんなことは許せないと、そう思った。
「旅って・・・どこに行くの?」
「海とか・・・特に決めてませんけど。でも、ちょうど夏休みですし」
行き当たりばったりで行きますよ、と告げた帝人の表情に迷いはなく、その意志が固いことが伝わってきた。臨也はどうしてか、行かせたくないと思った。彼が消えたところで何もかわらないというのに。
「・・・一人で?」
尋ねた声はかすれていて、臨也らしくないその声に自分で戸惑う。どうしてこんな、悲しそうな声が出てしまうのか理解出来ない。どこへ行こうが勝手だろうと思う反面、どうしても一人で行かせてはだめだと思ってしまう自分がいる。
「何か問題でも?」
帝人は帝人で、そんな臨也の不自然さに気づいたようで、首をかしげてそう訪ねてくる。
問題なんて、ない。あるわけがない。
だというのに臨也は、どうしてか。
「・・・俺も、行こうかな」
唇が勝手に動いていた。
そうしてそのまま、帝人のあとを付いて電車に飛び乗ったのだ。




そして今、帝人の希望通りに二人は海にいた。
曇り空から時折、パラパラと雨が落ちてくるような天気。当然のようにあたりに人影はなく、砂浜を歩く帝人は裸足で、白いくるぶしを晒している。
グリーンのTシャツがはためいて、インドア派の少年の肌が臨也の網膜に焼きつくように見えた。俺もよくやる、と臨也は息を吐く。ここまで付き合うつもりはなかった。本当に、なかったのだ。
電車を適当に乗り継いで、駅前で適当なビジネスホテルに泊まった帝人を、最初の夜は置いて帰ろうか迷った。そして、昨日の夜はどうやったら連れて帰れるのかを迷った。どちらにも答えが出なくて、そして今も臨也は帝人の後ろをついてまわっている。
真夏のジメジメとした空気が二人の間に壁を築いているかのようだ。ホテルの代金を臨也がカードで払ってしまったのが不満なのだろう。貸しっぱなしにするつもりは、もちろんない。池袋に帰ったら何倍にもして返してもらうと告げたのに、帝人は何時までも不機嫌だった。
「あなたって・・・」
「うん?」
足で砂を踏みつけながら、波打ち際ギリギリまで歩を進めた帝人が、不意に振り返る。
「似合いませんね、海」
「・・・あ、そう」
何を言われるかと思ったらこれだ。この旅に出てからの帝人は、どうも読みづらい。
本当なら臨也がここまで付いている必要なんて何も無いのに。どこででも死ねばいいって、思う、のに。
「違うかな。あなたってどこにいても、浮いて見えますよね」
黒いからかな、そんなことをこっちを見もせずに言って、帝人は波を蹴り上げた。暗い空から時々落ちてくる雨は、もうすぐ止むのだろうか、空の果てが明るい。
臨也は息を吐いて、深く吸う。
俺が帝人くんを好きになるなんてことは本当に、ありえない。
臨也は何度でも何度でも自分にそう言い聞かせてきた。それはもう、出会った時からずっとだ。よくこんなに長い間言い聞かせ続けて飽きないなと、自分で思うくらいに。
ダラーズの創始者であり、興味深い行動を取る彼を観察することが楽しいだけで、別にその彼を抱きしめたいとか、キスしたいとか、それ以上とか、そんなことは絶対に考えていないのだ。ただ彼は自分の駒として盤上で綺麗に踊ってくれればそれでいい。それで、いいのに。
これは恋慕なんかではないのだ。
臨也は何度でも何度でも言い聞かせる。だってそんなことはありえない。そんなことを認めてしまったら、彼を切り捨てることができなくなる。徹底的に壊して一番きれいに狂って欲しい。そうして壊れた帝人を一番近くで見てあげたい。
それだけなのに。
「本当に・・・どうしたんですか?」
帝人が笑う。
風が吹いて彼の髪をなぶる。
細められたその瞳の、奥には誰がいるんだ。その、奥には。
臨也はその目を見つめると、喉を押しつぶされるような気がして息が苦しくなる。
帝人の奥に、確かに揺らめくその人影は、誰なのか。自分ではないかと祈る気持ちと、自分のはずがないと否定する気持ちが混ざり合って臨也の中で混濁する。だから手は伸ばせない。伸ばしてはいけない。
だから、認められない。
認めては、いけない。
「どうして、あなたが泣くの」
透明な笑顔が、まるで何もかもを見透かすように、そうして何もかもを否定するように向けられる。届かないのだと言われている気がした。臨也がどれほど手を伸ばしても、決して、その手では届かないのだと。
頬を滑り落ちる涙が、重苦しい湿った空気を揺らす。
「泣く?俺が?」
声は酷く震えて、指先も震えて。
これが涙なんかであるはずがないのだ。
臨也は何度でも自分に言い聞かせる。どうして泣く必要があるというのだ、この、ダラーズの創始者であり、普通の高校生でもある彼に否定されたように感じただけで、ただそれだけで。臨也は別にその彼に愛して欲しいとか、認めて欲しいとか、許容して欲しいとか、それ以上とか、そんなことは絶対に求めてはいないのに。
大体そんなのは可笑しい、と臨也は思う。
折原臨也が、涙だなんて。そんなの似合わないにもほどがある。
でも、ありえないなら、ありえないならどうして。
この頬を伝う質感は、消えないのだ。
「・・・雨、でしょ」
作品名:崩壊日和 作家名:夏野