会いたい
会いたい、会いたい、会いたい…。
未来は遠くて、あのときの誓いは決して嘘じゃないけど挫けそうになる自分が、確かに居て…。
ため息を胸に溜め込み、こてんと机に伏せた真琴に、バッグを肩にかけて立ち上がろうとした功介が声をかけた。
「真琴、どうした?」
「んー」
問いの返事には大分足らない一言に、功介が立ち上がって真琴の背中を見下ろす。
そのまま少し待つが、真琴からの返事は結局なかった。
「真琴…」
「んー」
先ほどと同じトーンで声が返ってくる。ふにゃふにゃに戻しすぎた若布のようだ。
肩をすくめ、功介はケイタイを取り出してメールを打ち始める。それにすら興味を示さず、真琴はほほをテーブルに押し付けたまま、己の爪を眺めていた。それに意味があるわけもなく。
「真琴、行くぞ」
「んー」
どこへ? と真琴が億劫そうに功介に顔を向ける。いつもの元気な表情とは段違いのひどい顔だ。
「甘いもの食いに行こうぜ。俺が奢ってやる」
「え? でも…」
「いいからいいから」
功介に急かされ、真琴は慌ててバッグに筆記具とノートをしまって立ち上がった。
「急になんで? どうして奢ろうって気になったの?」
「さあ。なんでかな」
「あやしー」
「怪しいはないだろ。何もねえよ。別に」
「じぃー…」
そんなやり取りで自転車置き場へ歩いていく。ブレーキが壊れた自転車は修理を終えて今は何の心配もなかった。
籠にバッグを乗せ、自転車を引きその横を功介がいつものように歩く。
「夏休みもあっという間に過ぎたな…。あいつが居ないと、面白さも半減した気がするぜ」
「うん…。そうだね」
誰と名前を言わずとも分かる、二人共通の友人の話。
功介の振ってきたそれに、真琴はちくりと胸の痛みを自覚しながら答えた。
普通に振舞おう…。いつもの元気な自分に。だけど、今は少し無理かもしれない。
頑張っても俯いてしまう己に、功介が気づかなければいいのに。そう願いながら真琴は自転車を押して歩いた。
「これは…」
「やっぱり、そういうことなのかしら」
「世の中、目に見えるものが真実よ…」
真琴と功介を、校舎の影からそっと覗く三人組が居た。ボランティア部のあの子達だ。
果穂がケイタイの画面を見る。
そこには差出人が功介のメールが。時間的に、先ほど送られてきたばかりのものだった。
『ごめん。大事な用事ができた。今日は一緒に帰られない。今度埋め合わせするから』
「大事な用事って…」
ぱたんとケイタイを折りたたみ、その先を口にせず前を見る。
自分との約束より大事な用事は、きっと同じクラスの紺野真琴のことに違いない。
「ちょっとがつんと言ってこようよ」
「恋愛ごとに先輩後輩は関係ないわ。同じ土俵よ」
「やめて…。嫌われたくないから…」
血気盛んな友達を必死でなだめながら、果穂は横目で功介の後姿を見る。
木に隠れ見えなくなっていくそれが、まるで自分から去っていくかのように見え、彼女は悲しさに俯いてしまった。
「津田先輩は、紺野先輩が好きなのかしら…」
地雷のような友達の一言に、手にしていたハンカチを落としてしまう。
「あ…、ごめん」
「そうなのかな…」
「や、適当に言っただけだし、そんなことないよ…。多分」
力ない語尾はフォローにもならない。
三人は顔を見合わせ、ふうとため息をついた。
青空ばかりが、今日も機嫌よく上に張り付いていた。
某ドーナッツ店の大人しめのBGMと店内のざわめきは、放課後の疲れた学生には相性がよかった。
中に入り、ガラス越しの商品を店員に注文していく。上の空の真琴に苦笑し、功介は財布を出しながら声をかけた。
「払っておくから、先に席取ってろよ」
「あ、うん…」
真琴は店内を歩きながら場所を物色した。
壁際の四人席。二人だけれど、余り込んでいないしいいだろうと、真琴はそこに決めた。
功介もすぐにやってきて向かい合わせに座る。
ふい、と辺りに目をやる。ここは千昭とも一緒に来たことのある場所だ。あのときの楽しかった思い出が脳裏を掠めた。
それぞれのトレイに手を伸ばし、最初の内は無言で口を動かした。
沈黙を破ったのは功介だった。
「最近、元気ねえけど、やっぱり寂しいか…?」
「寂しいって…?」
問いを問いで返す。
「夏休みは週一ぐらいでしか会ってなかったからさ、気のせいかなって思ってたんだけど。二学期入ってから、真琴元気ねえの丸分かりだぜ。早川さんも心配してた」
「友梨も…」
口に入れたドーナッツを咀嚼しながら真琴。
「真琴らしくないな。会いに行けばいいんじゃないか。どこに留学してるのか、俺は知らないけどさ。真琴なら知ってるんだろ」
「ダメだよ。会えない…」
千昭が帰っていった場所を知らない功介は、真琴のにべもない言葉に眉を顰めた。が、口角を上げながら四つ目のドーナッツに手を伸ばす。
「学生だもんな、俺達。金もないし、知恵もない。ついでにパスポートもないしな」
「うん。だから、会いにいけない…」
功介には話すつもりのない千昭の真実…。夕日が眩しかったあの日に気持ちが戻る。
頑張れるって思って、それから夏休みの間、ずっと真琴は前向きに行動していた。未来へ繋がる今を大事にしようと、妹に「心入れ替えたの?」と訊ねられるほど勉強机に向かったし、叔母の芳山和子のところにも通った。すべては千昭に大切な未来を迎えて欲しかったから。
「功介ごめんね、心配かけちゃって。あたし、ダメだ…。頑張るって約束したのに」
真琴はアイスカフェオレに口をつけた。
「最後に会ったとき、千昭どうだった? あいつのことだから、いつもの分かれ道みたいに普通に帰っていったんだろ。次会えるのいつになるか分からねえってのにな。全く、緊張感がなさすぎ…」
「でもそれって千昭らしいよ」
「ホント、あいつらしい…」
肯定する真琴に、功介は口を曲げならぼやいた。
会話の間の少しの沈黙が流れ、その間BGMが妙に耳に響いた。
「真琴…」
功介に名を呼ばれ、真琴は顔を上げた。
「何? 功介…」
「真琴さ、千昭のこと好きか?」
まっすぐに目を見られながら問われる。茶化す雰囲気ではなかった。
「…うん」
理科室の友梨に告白したときのことが頭を過ぎった。
「好き。あたし、千昭のこと好き…」
一言一言を心をこめて言葉にする。それを、功介は黙って聞いていた。
「そっか…。なら、今は少し辛いな…」
「うん。会いたい…」
真琴はぎゅっと手を握り締めた。
「ここ、前に三人で来たよな。覚えてるか?」
店内を見回しながら功介が話を変える。見ると、先ほどより店内は混雑していた。空いている席は、全体の二割ぐらいしかない。
「覚えてるよ。あっちの席で、あたしがあそこで千昭がそっちだった。功介が割引券持ってて、それで…」
「よかった…」
ふわりと微笑みながら功介が呟く。
「?」
「真琴がやっと笑った。笑ってろよ、そうやってさ。あいつに会えないなら、思い出を繰り返せばいいじゃん。いつも思い出してさ。忘れる暇もねえぐらいずっと思ってれば、待つ時間も辛くねえよ。その間、俺も一緒にいてやるし」
「功介…」
「そうすりゃ、寂しさも少しは紛れるだろ?」
な? と頼もしく笑う姿は、いつかの夏の日の功介とだぶった。