楽園にふたり
「ギルベルト?」
「ん? どうしたルッツ」
「…いや、何でもない」
「何だよ、おかしな奴だな」
ざわつく心を沈めようと声を掛ければ、ギルベルトの表情は普段のものに戻る。返ってくる声音にも変なところはなかった。どこからどう見ようと、その反応は俺の知るギルベルトのものだ。思い過ごし、だろうか。ただの見間違えと空耳。あんまりに幸せだから、そのことが空恐ろしくなって、だから。
ギルベルトは怪訝な顔をしながら食事を再開する。引っ掛かるものを感じながら、俺も皿の上のものを平らげていった。調味料が余り手に入らなくて大した味付けは出来ないのだが、ギルベルトは毎回不満を言うこともなく胃に納めてくれる。やっぱお前が作るのは美味しい、そう言われるのは嫌いじゃない。お世辞ではなく、本心からギルベルトがそう言ってくれるのが嬉しかった。
いつの間にか後片付けはギルベルトの役目として定着している。彼が洗い物をしたりしてくるくる動き回っているのを見るのが俺は好きだ。拗ねて唇を尖らせているのも、照れて真っ赤になっているのも、楽しそうに笑っているのも。だから彼の説明に俺は疑問を感じなかった。
俺とギルベルトは恋人同士で、世間の強い風当たりを避けてここで暮らしているのだ、と。ギルベルトはそう言った。彼との関係とここにいる理由を問うた俺に対して。
俺がそれを彼に訊いたのは、訊かなければならなかったのは、記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっているからだった。全てを忘れてしまった訳ではない。自分が何という名前で、どこの生まれであるか、生活する為に必要な記憶はほとんど残っていた。ないのは、体験によって記憶されるのものだった。どこで誰と何をしたか、どんな知人・友人がいるのか、俺は全く覚えていなかった。親族の顔さえも。
混乱する俺に、ギルベルトは根気よく色々なことを教えてくれた。それは何の疑問もなく納得出来るもので、俺は彼の言っていることに間違いないのだと信じられた。同じ状況に置かれた普通の人間が聞かされたなら受け入れられないような事実を、俺はあっさりと飲み込めたのだ。それは頭が覚えていなくとも体が覚えているからだと、俺は思った。
だからこうしてギルベルトと一緒に暮らしている。恐らく、記憶をなくす以前から何も変わらないまま。
「なぁルッツ、何か思い出したか?」