楽園にふたり
俺とギルベルトが姿を消した時から、上司はどこにいるのか掴んでいたのかもしれない。だが連れ戻そうとはしなかった。こちらが連絡を入れるまで、接触してこようとはしなかった。だから俺は昨日まで何も思い出さずギルベルトと幸せに暮らしていた。出来過ぎたお誂え向きの環境の中で、密やかに迫る疑念にずっと気付かない振りをして。
けれどもう終わったのだ。終わってしまった。俺は隠された真実を見付け、全てを思い出した。そうなってしまえば、そのまま幸せな生活を続けるなど俺には無理だった。
全ての責任も義務も放棄して自分たちだけ幸せになることなど、許される訳がない。俺は、ギルベルトは、国であるから。一個人の事情よりも一国の事情を優先させなければいけない立場であるから。
それ故にギルベルトは軍服を隠し、鉄十字さえ外して隠蔽を試みた。出来るだけ長く浸っていたかったのだ、想像さえしなかった、人間のような幸せな時間というやつに。
俺とて、本心を言うならばギルベルトと同じ気持ちだ。いつまでもああして幸せに暮らせたならどれだけよかったか。戦況に頭を悩ませず、血腥い話など耳にもせずに、ただただ2人で。
こうして考えると、あの1ヶ月は夢ではなかったのかと思えてくる。意識を失っている間に見た、リアルな夢だったのではないかと。だがこうして帰途を行く車に揺られる時間の長さが、隣で肩を震わせるギルベルトが、あれは確かに現実だと証明していた。
俺はギルベルトを抱き寄せて、後頭部にこつりと額を預ける。本当に、幸せだった。ギルベルトが側にいて、俺たちを邪魔する者などどこにもいなくて。楽園のようだと思った。美食も綺麗な花も麗しい音楽もある訳ではない。質素で素朴な生活、だがそれは確かに、楽園のようだった。
「ルッツ、」
「泣かないでくれ、兄さん。攫って逃げ出してしまいたくなる」
これから何があっても、きっと俺はこの1ヶ月のことを忘れないだろう。そしてこの1ヶ月のことを思い出せば、きっとどんなことも乗り越えていけるだろう。
よく見知った街並みが見え始める。待ち受けている殺伐とした現実に、俺は息を吐いて目を閉じた。次に目を開けた時には叶わない願いなど断ち切っていると誓って。
「さぁ行こうか、兄さん」
「…あぁ」
取り合った手は仄かに、生温い幸せの名残を止どめていた。