暗闇の中のやさしいお話
今日は最悪だった。仕事中に静雄に見つかり、ガチバトルに発展し、自販機はよけたがジュースをひっかぶり、途中でサイモンが参戦してさらに青あざが増え、結局仕事を完遂することはならず、あげくに帰り道ににわか雨に降られた。
なんなの、どうなってんのこれ、厄日なの。
事務所に帰りつくと、待機していた波江がパソコンから顔をあげて一瞥し、無言でまた作業に戻った。スルーかよ。いつものことだが。
後始末を全部彼女に押し付け、臨也はばったりとベッドに倒れこみ、泥のように眠った。体が熱い気がしたが、どうでもよかった。
目が覚めると部屋は闇につつまれていた。何時なのかはわからない。帰ったのは確か日が落ちる少し前だった。それほど時間が経った感じはしなかった。目が覚めたのは人の気配がしたからだ。女の声は、たぶん波江だろう。何事かぼそぼそと話し合う声が聞こえたあと、臨也の自室の扉がひらき、差し込む光が部屋の闇を薄めた。新羅だった。
「やぁ、折原君。これはまた疲労困憊の極みという感じだね」
「うるさいな。今、俺、超機嫌悪いの。ほっといて」
出来る限りの不機嫌さをこめて言い放った言葉に、だが元学友は全く意に介せず、かばんを無造作にベッドの上に置いた。臨也の額をぺちぺちと叩いて、ひとり軽くうなずく。
「風邪の初期症状、原因は疲労、処方箋は休養。こんなところかな」
「なにそれ」
「だから風邪だって。お大事に」
ああ、とも、うう、ともつかないうめき声を上げて臨也は枕に顔をうずめた。道理でなんだか熱いはずだ。
「そもそもなんでここにいるわけ?」
「私が呼んだのよ。一応ね。なんだか死にそうな顔してたし」
いつの間にか部屋の入り口に波江が立っていた。腕組みをして、なぜかしかめ面をしている。心配ないよと言って医者は陽気に笑った。
「一晩経てば治るくらいのもんだよ。じゃ僕の役目はこれで終わりっと。同居人が待ってるから帰るね」
「私も帰るわよ。あなたの所為で忙しいんだから」
病人を前にしてビジネスライクすぎる発言だったが、言葉を発するのも面倒だったので、手を振って『さっさと帰れ』の意思表示をした。
波江のあとに続いて扉をくぐろうとした新羅が、思い出したように臨也を振り返った。
「そうだ、彼がなんかうろうろしてたから一緒に連れてきたよ」
誰だって?
臨也が聞き返す前に、二人は素早く退去してしまった。
入れ替わりに、小柄な影が現れる。
リビングの光を背に、見慣れた青い制服が浮かび上がった。竜ヶ峰帝人が、こちらを見つめていた。
一瞬の混乱のあと、立ち直った臨也は笑みを顔に貼り付け、言った。
「何、突っ立ってるの?入れば?」
帝人はゆっくりと部屋に入ると、お邪魔してます、とぎこちなく挨拶した。
なぜ彼がここにいるのだろう。臨也はちょっとまばたきして、無言で彼を見返した。それと同時に、波江が不機嫌だった理由がわかった。この二人はかつてのいざこざから、今でも微妙な緊張状態にある。事務所でバトられるのも面倒なので、今までは二人が直接対面することのないよう図っていたが、いきなり戦闘開始しないだけの分別は一応あったようだ。
思考を巡らせる臨也の側まで来ると、濡れた上着を着っぱなし、帰宅時の格好そのままで寝そべっている姿を見て帝人が眉をひそめた。無言でコートをつかむと、臨也の体をぐいぐいと押して脱がせにかかる。
「えっち」
「臨也さん」
少年は怒った声で名前を呼び、やや乱暴に、力をこめて臨也を転がした。脱がせたコートをまとめて傍らに置き、続いて枕を取り上げる。濡れた頭を押し付けたせいで湿っていたカバーを外すと、代わりに乾いたタオルで包み、臨也の頭にあてがった。それから、体の下になっていた掛け布団を引っ張り出し、掛けなおした。そこまですると、一応満足したらしく、やっと臨也の顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか」
静かな声が心地よかった。遠慮がちに手のひらが額に当てられる。それが思ったより気持ちよくて、臨也は両手をあげ、帝人の腕を抱え込んだ。だがあっさりと引き抜かれ、帝人の体が遠のく。
「帝人君冷たい」
「臨也さんが熱いんですよ」
そういう意味じゃないというつぶやきは無視された。帝人はいったん部屋から出ると、なにやら抱えてもどってきた。500mLペットボトルと、氷まくらだ。前者はともかく、後者がこの家にあった覚えはない。帝人はペットボトルをベッドサイドに置き、氷まくらを臨也の頭の下につっこんだ。
「ちょ、つめた、タオルかなんか敷いてよ」
「あ、すみません」
頭を押しのけられ、ごそごそと音がした後、手が離れた。ひんやりした感触が戻る。帝人は、これで大丈夫かなあというように、少し不安げに首を傾げて臨也を見下ろした。
「何か食べました?」
「あー、うんうん、食べたよ、たぶん」
適当に答えると、また怒ったように何か言いそうな気配を感じたので、帝人が口を開く前に思いついたことを口に出した。
「なんでわかったの?」
「は、なにが、ですか」
「俺が撃沈してるってこと」
帝人は下を向いて、もごもごとしゃべった。部屋の暗さもあって、表情が見えなくなる。
「別に、わかってたわけじゃありません。学校から帰るときに、自販機が飛んでるのを見ました。あと、静雄さんのすごい声と」
あー、うん、そういえば学園の近くだった気がするなー、と臨也はぼんやり思い出した。ついでに静雄への殺意も蘇ってきたが、帝人の前なのでそれは抑えておくことにする。
「だから、ええと、そのあと出かけたら、岸谷さんを偶然見かけたので・・・」
それで事情を聞いてここに来たというわけか。この子、たまに勘が鋭いからなあ。臨也は帝人から目をそらして天井に目をやった。
なんなの、どうなってんのこれ、厄日なの。
事務所に帰りつくと、待機していた波江がパソコンから顔をあげて一瞥し、無言でまた作業に戻った。スルーかよ。いつものことだが。
後始末を全部彼女に押し付け、臨也はばったりとベッドに倒れこみ、泥のように眠った。体が熱い気がしたが、どうでもよかった。
目が覚めると部屋は闇につつまれていた。何時なのかはわからない。帰ったのは確か日が落ちる少し前だった。それほど時間が経った感じはしなかった。目が覚めたのは人の気配がしたからだ。女の声は、たぶん波江だろう。何事かぼそぼそと話し合う声が聞こえたあと、臨也の自室の扉がひらき、差し込む光が部屋の闇を薄めた。新羅だった。
「やぁ、折原君。これはまた疲労困憊の極みという感じだね」
「うるさいな。今、俺、超機嫌悪いの。ほっといて」
出来る限りの不機嫌さをこめて言い放った言葉に、だが元学友は全く意に介せず、かばんを無造作にベッドの上に置いた。臨也の額をぺちぺちと叩いて、ひとり軽くうなずく。
「風邪の初期症状、原因は疲労、処方箋は休養。こんなところかな」
「なにそれ」
「だから風邪だって。お大事に」
ああ、とも、うう、ともつかないうめき声を上げて臨也は枕に顔をうずめた。道理でなんだか熱いはずだ。
「そもそもなんでここにいるわけ?」
「私が呼んだのよ。一応ね。なんだか死にそうな顔してたし」
いつの間にか部屋の入り口に波江が立っていた。腕組みをして、なぜかしかめ面をしている。心配ないよと言って医者は陽気に笑った。
「一晩経てば治るくらいのもんだよ。じゃ僕の役目はこれで終わりっと。同居人が待ってるから帰るね」
「私も帰るわよ。あなたの所為で忙しいんだから」
病人を前にしてビジネスライクすぎる発言だったが、言葉を発するのも面倒だったので、手を振って『さっさと帰れ』の意思表示をした。
波江のあとに続いて扉をくぐろうとした新羅が、思い出したように臨也を振り返った。
「そうだ、彼がなんかうろうろしてたから一緒に連れてきたよ」
誰だって?
臨也が聞き返す前に、二人は素早く退去してしまった。
入れ替わりに、小柄な影が現れる。
リビングの光を背に、見慣れた青い制服が浮かび上がった。竜ヶ峰帝人が、こちらを見つめていた。
一瞬の混乱のあと、立ち直った臨也は笑みを顔に貼り付け、言った。
「何、突っ立ってるの?入れば?」
帝人はゆっくりと部屋に入ると、お邪魔してます、とぎこちなく挨拶した。
なぜ彼がここにいるのだろう。臨也はちょっとまばたきして、無言で彼を見返した。それと同時に、波江が不機嫌だった理由がわかった。この二人はかつてのいざこざから、今でも微妙な緊張状態にある。事務所でバトられるのも面倒なので、今までは二人が直接対面することのないよう図っていたが、いきなり戦闘開始しないだけの分別は一応あったようだ。
思考を巡らせる臨也の側まで来ると、濡れた上着を着っぱなし、帰宅時の格好そのままで寝そべっている姿を見て帝人が眉をひそめた。無言でコートをつかむと、臨也の体をぐいぐいと押して脱がせにかかる。
「えっち」
「臨也さん」
少年は怒った声で名前を呼び、やや乱暴に、力をこめて臨也を転がした。脱がせたコートをまとめて傍らに置き、続いて枕を取り上げる。濡れた頭を押し付けたせいで湿っていたカバーを外すと、代わりに乾いたタオルで包み、臨也の頭にあてがった。それから、体の下になっていた掛け布団を引っ張り出し、掛けなおした。そこまですると、一応満足したらしく、やっと臨也の顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか」
静かな声が心地よかった。遠慮がちに手のひらが額に当てられる。それが思ったより気持ちよくて、臨也は両手をあげ、帝人の腕を抱え込んだ。だがあっさりと引き抜かれ、帝人の体が遠のく。
「帝人君冷たい」
「臨也さんが熱いんですよ」
そういう意味じゃないというつぶやきは無視された。帝人はいったん部屋から出ると、なにやら抱えてもどってきた。500mLペットボトルと、氷まくらだ。前者はともかく、後者がこの家にあった覚えはない。帝人はペットボトルをベッドサイドに置き、氷まくらを臨也の頭の下につっこんだ。
「ちょ、つめた、タオルかなんか敷いてよ」
「あ、すみません」
頭を押しのけられ、ごそごそと音がした後、手が離れた。ひんやりした感触が戻る。帝人は、これで大丈夫かなあというように、少し不安げに首を傾げて臨也を見下ろした。
「何か食べました?」
「あー、うんうん、食べたよ、たぶん」
適当に答えると、また怒ったように何か言いそうな気配を感じたので、帝人が口を開く前に思いついたことを口に出した。
「なんでわかったの?」
「は、なにが、ですか」
「俺が撃沈してるってこと」
帝人は下を向いて、もごもごとしゃべった。部屋の暗さもあって、表情が見えなくなる。
「別に、わかってたわけじゃありません。学校から帰るときに、自販機が飛んでるのを見ました。あと、静雄さんのすごい声と」
あー、うん、そういえば学園の近くだった気がするなー、と臨也はぼんやり思い出した。ついでに静雄への殺意も蘇ってきたが、帝人の前なのでそれは抑えておくことにする。
「だから、ええと、そのあと出かけたら、岸谷さんを偶然見かけたので・・・」
それで事情を聞いてここに来たというわけか。この子、たまに勘が鋭いからなあ。臨也は帝人から目をそらして天井に目をやった。
作品名:暗闇の中のやさしいお話 作家名:れいと