暗闇の中のやさしいお話
視界の端から帝人の手がのびてきて、額にはりついた前髪を払った。
「あの、大丈夫ですか。他に何かして欲しいこととか、あったら言ってください」
帝人君がやさしい、これは夢かと臨也は思った。たまには病気になってみるものだ。少し考えて、言ってみた。
「じゃあちゅーして」
「嫌です」
すげなく断られた。でも普段なら殴られているところだ。
「キスしたら風邪移って俺が治るよ。そういう話聞いた事ない?」
「僕は風邪引きたくないので嫌です」
これを本気で言うところがいい。臨也はにやにや笑いを浮かべた。反対に、帝人がちょっとこらえているような顔になる。
「なんでも言うこと聞いてくれるっていったじゃない」
「いやいやいや、言ってません!」
ぶちぎれて帰ってしまわれるのも嫌なので、臨也は仕方なく第一希望を引っ込めた。それから、何がいいかな、と考える。
「何か話してよ」
風邪を引くと人恋しくなると、何かで読んだ気がする。それは確かに当たっていた。今は、無性にこの少年の声を聞いていたかった。
「何かって、なんですか?」
「何でもいい」
帝人はしばらく思案していたが、再び部屋をでて、今度はスツールを抱えて戻ってきた。それをベッドのすぐそばに置き、浅く腰掛ける。薄闇の中で、その姿は少し頼りなげに見えた。帝人は、ひとつ息を吸って話し始めた。
「昨日、狩沢さんと遊馬崎さんに会ったんですけど、電撃文庫の発売日が明後日だという話を」
ちょっとその選択はどうなの。余計にダメージがきそう。
「あーストップ、その話はオチが想像できるからやだ。そういうのじゃなくて、君の話をしてよ。今日何時に起きたとか、昼に何食べたとか」
「ええ?そんなの聞いたってどうしようもないでしょう」
「俺が聞きたいの」
帝人は臨也を伺うように見つめていたが、やがて小さくみじろぎをして、たどたどしく、再び話始めた。
「ええと、今日は・・・」
帝人君がやさしい、と臨也はもう一度思った。労わるような、やわらかい声を耳に、目を閉じる。いつまでも聞いていたいと思ったが、やがて訪れたまどろみが臨也をさらっていった。
規則正しい、小さな呼吸音を確認すると、帝人は徐々に声を落として話を止めた。臨也は目をつむったままだ。音をださないように、静かに息を吐くと、帝人はそっと立ち上がった。
心配して来てみてよかった。静雄による破壊音とそのあとの雨で、何か無性に不安になって、夜に自宅を飛びだし、ここまで来てしまった。途中で岸谷新羅と会えたのは良かった。以前に来たことがあるとはいえ、場所を正確には覚えていなかったので。
まくれた布団をきっちり元に戻し、ゆっくりとベッドから離れる。明日も学校がある。帰ろう。
ドアのところで立ち止まり、小さな声で言った。
「おやすみなさい」
闇の中から返事はなかったが、帝人は少しの隙間を残してドアを閉じ、帰路についた。
作品名:暗闇の中のやさしいお話 作家名:れいと