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ネイビーブルー
ネイビーブルー
novelistID. 4038
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ヤマトと妖怪と眉毛

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「英吉利さんは優しいですね」
 声色は寂しげだ。
「日本だけではありません。私の姿はもう、他のどの国の方にも見えなかったのですが、あなただけに見えたのは、きっと私とあなたがどこか似てる部分があるのでしょう」
「似ている部分?」
「ええ。表面的なところではなく、どこか、もっと深い部分で」
 男の、青白いとさえいえる肌が、火の玉によって照らされる。すべてを受け入れる黒い瞳に諦めを灯しながら話す男を、天狗や河童は慰めるように優しい目で囲む。
 その光景をまっすぐ見て、イギリスは言った。
「それでいいのか?」
「え?」
「それでいいのか? 日本がお前のこと分からなくて、忘れ去られたままで、それでいいのか!?」
 つい強くなった言葉尻を直そうともせず、激情に駆られるままのそれはほとんど叫びだった。ある意味、それは恐怖であったかもしれない。現代のこの世、過去を忘れ去ることへの抵抗の無さへの。
 男は驚いたそぶりも見せず、ただ瞳に複雑な感情を見せていた。結ばれた唇は真一文字だが、心なしか垂れ下がっている。
「良いわけではありませんけれど」
 少し間をおいて、男は頭を振った。
「けれど仕方が無いでしょう。今や日本はアメリカさんの後ろについて、前だけを見て一生懸命に進んでいます。それなのに、わざわざ後ろを向かせる必要もありますまい」
「だが」
「彼にとって、私は辛い記憶そのものです」
「大和」
「これは私の完全なエゴなのですが」
 月が流れてきた雲に隠される。火の玉も大人しくしており、あたりは闇に包まれる。その闇の中から、場違いのように優しい声がした。
「彼に思い出させたくは無いのですよ。辛い記憶、むごい記憶、すべて私が抱いて、必要ならば存在し続けましょう。けれど日本は、彼はそんなもの持たなくていい。彼はただ、光さえ見つめていれば」
 虫の音が聞こえる。イギリスは、ただゆるゆると頭を振った。違う、それは違うと言葉がぐるぐる回るだけで、一向に出てこようとしない。
 過去を捨てるのは許されないことだ。また、そんなことは出来ないはずだ。行いはずっとついてまわる。命の尽きることの無いこの身では、それこそ世界が崩壊するまで。だから、いくら日本が忘れていようとも、きっと過去を抱えた倭が消えることは出来ない。
 なのにそうして、忘れ去られたまま――ほんの時たま、記憶に浮かび上がるだけで――彼は生きていくというのか。それは、それはとても――。
「寂しいですよ」
 イギリスの心を見透かしたかのように、黒曜石のような瞳で彼は言った。
「一人は寂しいですよ。彼らがいるとしても、日本と言葉を交わせないのは、それどころか 家の中ですれ違っても、視線さえ交わらないのは、とても寂しいです。……そんな顔をなさらないでください」
 ひどく、情けない顔をしていたのかもしれない。いつの間にか傍にきていた彼が覗き込むようにイギリスを見上げると、薄い笑みを浮かべた。
「イギリスさんは本当にお優しい。日本が信頼するのも頷けます。ああ本当に、……あなたでよかった」
 なんて返事をしようかあぐねている間に、彼は「お先に失礼します」と風呂を上がった。
「少々おしゃべりが過ぎたようで、のぼせてしまいました。すみません」
「お気をつけて、日本さん」
「またお会いしましょう、日本様」
 河童と天狗が口々に言うのを会釈で受けると、彼はその場から姿を消した。歩き方までやはり日本にそっくりだ。いっそこれは、日本と妖怪の仕組んだたちの悪いいたずらだとでも思ってしまいたい。
「……お前達は、あいつを『日本』と呼ぶんだな」
「あの方は嫌がりますけどね。けれども私にとって、あの方は日本様以外の何者でもありませぬ」
 口元を歪め天狗が呟いた。
「ねえ、イギリスの旦那」
 眉を寄せて湯に浸かっていると、控えめに声をかけられる。
「ん? ああ、何だ」
「あの方はねぇ、よく鉄仮面とか何を考えているんだかわからないとか無口とか、あ、いや今夜はやけに饒舌でしたけれども、硬すぎるとか色々言われてきたんですがねえ、本当はとても繊細で弱い人なんですよ。それはもう一人の日本さんにも言えることですがね」
「ああ」
「たまに、この家に来たときだけでいいんで、あの方に話しかけてくれませんかね。あっしたちも会えばお相手をしてもらってるんですが、やっぱり妖怪とヒトじゃあ違うと思うんでさぁ」
「……ああ、分かった」
 心配そうだった河童の表情が、ほっと緩んだ。隣の天狗もそうだ。彼らにとって、彼はやはり日本より近しいのだろう。そして大事な同胞なのだ。
「旦那、久々に会ったんですし、ここ最近の話をしましょうや。天狗も旦那のことを話したら、しきりに話をしたがってたんですよ」
 しんみりした空気を打ち破るように、河童が明るい声を上げた。それに同調するかのごとく、色とりどりの鬼火がゆらゆら回る。
「ああ」
 イギリスは頷いて、「そういえば、うちのユニコーンが――」と話はじめた。


「随分長いお風呂でしたね」
 借り物の着物に着替えて廊下を歩いていると、日本に声をかけられた。
「ああ。……つい、気持ちが良くて」
 彼のことは、なんとなく口には出せなかった。もう一人の日本に会ったと言って、不思議な顔をされたら――どうということもないはずなのに、どうしてかそれは嫌だった。
 しかし噂をすれば影がさすとばかりに、ギィと床板が鳴った。顔を上げると、廊下の向こうから、緩く着物を着た彼が歩いてくる。思わずイギリスが立ち止まると、隣の日本は「どうしたのですか」と首をかしげた。
 ゆっくりと歩み寄ってくる彼が、すれ違う瞬間、日本の頭を撫でた。しかし日本はそれに気づく様子もない。ただただ立ち止まったイギリスを怪訝そうに見ているだけ。
「本当に、わからないんだな」
「何がですか?」
 『大和』は微笑みだけを残して、その場から立ち去った。足が縫い付けられたかのように、イギリスはしばらく動くことが出来なかった。