One-side game
1.
ぶ
「…ぇックシッ!」
「わっ」
むずっとするとかの予告もなく唐突に飛び出たクシャミ一つに、それまでの場の空気はきれいさっぱり吹き飛ばされた。
「あー…」
「きたないなぁもう…」
ついでに緊張感とかそういったものも道連れで。
それは対面に座った弟も一緒だったらしく、いきなり容赦なく浴びせられた飛沫をぶつぶつ言いながら丁寧に拭っている。悪ぃ、と一つ謝って、エドワードは固い背もたれにもたれ掛かった。
別に体調は普段どおりなので、さっきのくしゃみはアレだろうか。誰かに噂でもされているとかいう。別に噂になるような事はしてないはずなのに。
今までの彼の所業と武勇伝をよく知っている一部の面々(主に一番の目撃者兼被害者は目の前の弟だ)に聞かれれば、物凄い勢いでつっこまれそうなことを思いつつも、エドワードは取りあえずそれらを口には出さなかった。
――――今はそんなことよりも、だ。
「・・・・・・。」
2人は同時に足下に視線を向けた。
そこにはトランクが置かれている。
同じようなデザインの、使い込まれたトランクが、2つ。
先程から2人はそれを挟んで座席に座り込んだまま、沈黙を守り続けていた。
何となく、
何か、もう考えても仕方ないというか考えるだけ無駄な気がしてきた。
起こってしまった事はなかったことには出来ない。
今、事実ここにあるものを、見えないとも言えないし。
ああ。
・・・どうしてこう、次から次へ。
「・・・兄さん、もう諦めようよ・・・。預かっちゃったものは届けてあげなきゃしょうがないじゃないじゃない」
さっきの人、あんな必死な顔してたし、ワケありだったみたいだし…。
長い沈黙を破ったのは弟の方だった。
不毛な空気に耐えかねたとも言う。
だが、兄はただ頑なに無言を貫き通している。
もしかしたら、その類希なる頭脳をフル回転させて、色々なものから回避を計ろうとしているのかも知れないが。それはもう、何というか。このトランクをあの駅で受け取ってしまった時点で、もう遅いというか。
「放っておくわけにはいかないでしょ?」
溜め息混じりに落とされた弟の言う事はもっともだ。
それでも兄は何事か低く唸っていたようだが、最後にはがっくりと頭を項垂れた。
何だろう。ちょうどあの路線に乗り合わせたのが悪かったのか、それとも諸々の諸事情で乗るはずの汽車に遅れそうになって、走り出した列車に飛び乗るとか目立つ行動したのがまずかったのか。
確かに南部方面への乗り継ぎにイーストは経由するはずだったが、降りるつもりはさらさらなかったのに。
まさか先日まで滞在していたそこに、旅立ってから僅か3日足らずで戻るハメになってしまうとは思ってもみなかった。
「・・・最短記録で戻る事になっちゃったね・・・」
「また嫌味言われんのかよ・・・サイアク」
出掛けに立ち寄った際に向けられた、あの言いたい事あるならはっきり言え!と言いたくなる、正体の掴めない笑みを浮かべていた上官を思い出す。
しばらくの間で良いから少しくらいは大人しくしておけ、とか何とか言われた気がするが。
こちらの主張的には暴れたくて暴れている訳ではない。絡んでくるのは向こうだし、変化する状況に合わせて対処していった結果がああなるだけなのだ。
・・・あっちこっち街が変形したり、怪我人(主に突っ掛かってきた連中ばかりだが)が出たりするのも、別にわざとやってる訳ではない。
騒ぎが大きくなる前にこちらに連絡しろ、と口を酸っぱくして言われているが、別に大きくしようとしている訳でなく、降りかかる火の粉払ってたら最終的に話が大きくなっている、というか騒ぎが大きくなっている…だけだから、それは自分たちのせいじゃない。
・・・たぶん。
故郷が東部にあるためにここを拠点とすることが多いからか、自分たち兄弟の拠点はイーストだと思われているふしがあるが、それだって偶々なだけであって、東部一のトラブルメーカーとか呼ばれるのは実に心外だ。
第一結果的には色んな事件解決するきっかけにもなってたりするし。
好きこのんでトラブルに顔を突っ込んでいるわけじゃない。
トラブルが向こうからやってくるだけで。
「・・・どっちでも一緒だよ、兄さん・・・」
「不可抗力だ」
「・・・・・・何かそれ大佐みたいだよ・・・」
「ちょ…!待て、アル!」
「不可抗力って便利な言葉だよね…」
一瞬固まった後に絶望的な表情で、取り消せー!とか暴れてる兄を、兄さん周りの人に迷惑だよ、と適当に流しておいて、アルフォンスは視線を遠くへやった。
今はこんな身体なので出来ないのだが、出来るものなら盛大に溜め息を付きたい。
思い返せば今日はスタートから何かがズレていた。
出発前にちょっとだけ寄り道のつもりで立ち寄った本屋でいつの間にかどっぷり浸かってしまい、余裕だった所を全力でダッシュするハメになったし。
何とか駅へたどり着いてホームに滑り込めば、調べておいた筈のホームから急に変更されていて、別ホームから今まさに発車しようとする列車を追い掛けて、また走るハメになったし。
それから。
『キミたち…ッ』
これを司令部に、と。加速する列車の音に紛れて辛うじて聞こえたのはそれだけ。
「やっぱ行かないとマズイ、かな」
「預けられても車掌さんも困るよね。もし大事なものだったら…」
「『保護したからには責任持って届けるまでが仕事だろう』とかって絶対言われるな」
「似てないよ、兄さん…」
しみじみ言うな。良いんだ、似てても嬉しくない。
ぎろ、と弟を睨み付けても一向に堪えた様子もなく。(それはそれでちょっと空しい。特に兄の威厳的に)
確かに弟の言うとおり、これ以上は言ってももう遅い事だが、やはり出てきたばかりの街にまた舞い戻らなければならないのかと思うと気が重い。時間の無駄だ。
事が事だけに届けてハイ終わり、では済まないだろうし、このトランクの中身如何によっては調書だ何だ取られる上に、事によってはまたあの上司必殺の笑顔で飛んでくる、「協力要請」の四文字が一番嫌で。
やすやすとそんな未来予想図が浮かんできて気が重い。・・・確かに自分の軍属という身分上、協力の義務はあれど、なまじっか情報を得て意気揚々と南部に向かう途中だったので余計に出鼻をくじかれた感が強いのだ。
「・・・まぁ、これで大佐に貸し一つ押し付けて文献か紹介状の一つでもふんだくれればいいか・・・」
物憂げな顔で外を眺めながら言うセリフではないと思うのだが。わが兄ながらセコイ。だがもうアルフォンスはそこまで突っ込まなかった。
汽車が徐々に減速していく。
トンネルの多い地域を抜ければ、確かこの先は大きな湖があって、その湖畔の町に停車するはずだ。
そういえば何度も通っているけれど、降りたことはなかった。
いつも停まっている列車の中から、湖面に反射する光に照らされた街の白い壁がきれいだな、と思って見ていたのだけれど。
思えばこれだけ旅をしているのだから、ちょっと勿体無い気がしないでもない。
兄に言えばちょっと複雑そうな顔をされるかも知れないが、今度ちょっと降りてみたいと言ってみようか。
「・・・あ、兄さんお腹すいてない?何かサンドイッチとか売ってるみたいだよ」
作品名:One-side game 作家名:みとなんこ@紺