PM6:58の不安
私がその違和感に気付いたのは、クネリ氏――あるいはもう1人のミサイル――と別れた直後だった。
最初はその違和感の正体がまるでわからなかった。疑問のようにも思える。得体の知れない不安のようにも思える。だが全てが解決した今、一体何を不安に思う必要がある?
10年前の彼の「死」は、私たちによって回避された。だからその「死」が発端になった、あの悲劇も、あの復讐ももう起こらない。カノンの母親が死ぬこともないし、リンネが殺されることもないはずだ。
ただひとつ問題があるとすれば、私とヨミエルの関係ぐらいだろう。あの公園で私はジョード刑事に拾われた。私とヨミエルを繋ぐ線は、そこで途切れてしまったのだ。私たちがあんな風に10年を過ごすことは、もう2度とない。そう思うと少し寂しいものがないわけではなかった。
その一方で、私はこれで良いのだとも思っていた。新しい未来では、ヨミエルは「シセル」を喪わずにいられる。あんな悲しい顔をして、孤独な闇の中で惑うこともなくなる。だったらそれでいいじゃないか。幸い、ジョード刑事のお陰で、飢えた子猫が路頭に迷うこともないのだから。
縁があれば、彼とはまた会うこともあるだろう。それで充分だ――ここで感傷的にならないあたり、私はやはり猫なのだと思う。あの勇敢な小動物クンのようなひたむきな忠義を私は持っていない。
そこまで考えた時、私はやっと気が付いた。そうだ、彼だ。彼のことだ。私の感じた違和感は、ミサイルに対する疑問と不安だったのだ。
新しい未来のどこで、私たちはミサイルに会えるのだろう?
カノン嬢の小さな友人という立場には私が納まってしまった。本来ならミサイルがいる位置を私が埋めてしまったのだ。果たしてジョード氏は、2匹目の友人を彼女に与えてくれるだろうか?
そもそもミサイルはどこから来て、いつからカノンの傍にいたのだろう。それさえ分かっていれば、何らかの方法で彼の運命を手繰り寄せることができるかもしれない。だが愕然とするほどに、私は彼のことを知らなかった。今夜、私は自分の過去と記憶を追うことだけで精一杯で、彼自身のことになど興味を持つ暇すらなかったのだから。
10年後の未来、彼は一体どこにいるのだろう?
私は恐ろしいほどの不安に襲われて、激しく流れる時の流れの中、必死に彼の姿を探した。この際クネリ氏でもいい。彼の痕跡だけでもいい。何かひとつでも見付けたら、どうあっても離さないつもりだった。
一番近くにいたのはジョード刑事だった。それはきっと、彼と私の関係が「繋がった」からだろう。ヨミエルの姿も、薄っすらとではあったが見えていた。少なくとも私たちは、10年前にあの公園で出会っている。その僅かな繋がりが、彼の姿を私に見せているのだ。
なのにミサイルの姿だけが見付からない。死者の見えざる手を伸ばしても、彼の気配に触れることすらできない。
「ミサイル、どこだミサイル!!」
大声で叫んでみても、あの甲高くも頼もしい声は返ってこなかった。跳ねるように走る金色の毛並もどこにも見当たらない。
そうするうちにも、新しい未来への旅は刻一刻と終わりに近付いていく。
「待ってくれ、私はまだ彼を見付けていない! もう少しだけ待ってくれ!!」
だがその叫びも空しく、時は私たちを押し流し続ける。時は本来止まりも戻りもしないものだ、とでも言うように。
「ミサイル……!!」
そして、私たちは新しい未来へと放り出された。今夜の真の英雄とはぐれたまま。
気が付けば、暗闇の中だった。
「シセル、おとなしくしてなきゃダメよ。おねえちゃんを驚かすんだから」
カノンが私に言い聞かせている。おそらくまた、彼女お手製の仕掛けがあるのだろう。その結果と、仕掛けられた相手の驚く顔をできるだけ近くで見ようと、彼女は息を潜めて隠れているのだ。
そういえば先日もこんなことがあったな、と私は思い出した。カノンの母親の誕生日パーティの時だ。カノンが挑戦した中では今までに一番の大仕掛けだったが、彼女の計算と寸分の狂いもなく動いたのを覚えている。彼女が大喜びしたのも、仕掛けられた母親が卒倒しそうになったのもだ。今日はあれの使いまわしだから、仕掛けが狂うことも失敗することもないだろう。私が慌てて4分前の世界に戻る必要もなさそうだ。
その他にも、様々な記憶が私の中に現れていた。どうやら新しい10年分の記憶らしい。
私はその記憶を慌てて辿った。私たちの運命が再び交差しているのなら、どこかにミサイルの姿があるはずだ。あるいは、彼に繋がる何かが。それを絶対に逃したくない。
ジョード刑事に連れ帰られた私は、1人暮らしの彼の良き友人になった。しばらくの間、彼の膝の上や、ソファの隣は私だけの心地良い空間だった。以前、ヨミエルの膝の上がそうであったように。
数年後、その暮らしにもう1人の人間が増えた。ジョード刑事のフィアンセ、アデル嬢だ(私はここでやっと「フィアンセ」という言葉の意味を知った。なるほど、これは確かに大切なものだ)。
彼女はいつまで経っても子猫のままの私を気味悪がりもせず、また、この家の先住者である私を尊重してくれた。そのお陰で、私たちの関係はとても良好だった。
彼女がジョード刑事の婚約者ではなく妻となり、やがてその腹部に命のコアが芽生えるのを見守るのは、私にとってもとても幸せな気分だった。
彼等の間に生まれてきたカノン嬢にとって、私は最初の、そして一番小さな友人だった。彼女を尻尾であやしてやるのは、一時期の私にとっても最も大切な仕事のひとつだった。 彼女は私の知っている以上に賢い子供で、幼いうちから様々な道具を使いこなし、仕掛けを作り上げた。誰に教わったわけでもないのに、たいしたものだ。
カノンはそれを利用して、時には幼児にはとても不可能に思える悪戯してのけた。その悪戯が引き起こした惨状は、しばしば私のせいだと誤解された。無理もない。天井から下げられた換気扇の羽を、よちよち歩きの子供が四方八方に飛び散らせるとは誰だって思わないだろう。
時にはカノン自身が、私に責任を擦り付けることもあった。だが私はそれに文句を言おうとはしなかった。小さなレディの窮地を放っておくのは私の流儀から外れるし、彼女が本当に危険なことをしたり、悪意で何かを壊したりした時には、不思議とジョード刑事がそのことに気付いて、カノンを厳しく叱ったからだ。これもまた刑事のカンというやつだろうか……そうやって私は、この10年を過ごしてきた。
だがそこには、やはりあの勇敢な小動物クンの姿はなかった。