幸せアヒル
あの頃ユウジは夢しか見ていなかった。その夢を反対され、思わず家を飛び出したのはいつの事だろうか。そして学費を稼ぐのが精一杯だったユウジが、友人の家を泊まり渡っていた中、ふと出会った中学時代の後輩―それが財前光で。
初めは泊まらせてもらうだけのつもりだった。それなのに何時の間にか表札には自分の名前が並ぶようになり、こうして愛を語らう関係にもなって―…。
ほぼ絶縁状態だった両親との話し合いへと向かう自分の背中を押してくれたのも財前だった。
思い出せばキリがない彼との思い出は、中学時代の思い出とはまた違う輝きに満ちている。そしてそれはまだボンヤリながらも未来に繋がっているような気がするのだ。
「…1年前は風呂の順番で揉めてたんやっけ」
「そでしたね。つか常に揉めてませんでした?」
「せやな。冷蔵庫の中のプリンを食べた食べないで取っ組み合いしたっけ」
ハハッと楽しげに笑うユウジの瞼に、ふいに財前は唇を寄せた。突然のキスにユウジの笑い声はピタリと止まる。そして唇が離れた後にユウジは彼の顔を見上げるが、フイと反らされてしまった。そういえばプリン事件は確か財前が始めて大きな声を張り上げた喧嘩だったっけ。それを財前も思い出し、そのため照れているのだろう。
照れ隠しにいつもする彼のごまかしのキスにユウジはますます湧き上がる感情をギリギリ噛み殺した。
なんて可愛いのだろう!と心の中で叫ぶに留めておく。
「ほな、入りましょか」
「アヒルは?」
「持ちましたわ」
財前はそう言いながら手の中のアヒルから『ガァ』と鳴き声を鳴らす。それがプリン事件の後、仲直りの詫びとして自分が買って来たことは恐らく忘れているのだろう。ユウジは遂に堪えきれずに高らかな笑い声を上げた。
ただ当然、それをほぼ忘れている財前は首を傾げるだけである。
今でもユウジはふいに思い出す。冤罪と分かったからかシュンとした顔をして、財前が風呂場で遊ぶ用のアヒルを買って来た日の事を。子供をあやすんじゃないだぞと叫びそうになったが、人に贈り物なんてしたことがないからか品物チョイスが他人と少し違うだけで、財前自身は酷く真面目だったのだ。それを知った瞬間ユウジの中から怒りは一気に熱を下げ、別の感情が沸きあがっていく。
あの日からだ。二人の生活が少しずつ色を変えていったのは。
「はよ上ってプリン食うで!」
「プリン?作ったんすか?」
「おう、当たり前やろ!」
ユウジがそう嬉しそうに言うと、財前は「ほなお楽しみは夜までお預けですね」と彼もまた嬉しそうに呟いた。ユウジは再び顔を紅くしながら、財前の背中をバンッと少しだけ強く叩いた。その衝撃に財前がゲホッと咽た瞬間、再び彼の手元にあるアヒルが『ガァ』と気の抜ける鳴き声を上げる。
その鳴き声に二人は顔を見合わせ、そのあとどちらともなく笑い声を上げた。