ビターオレンジ
「帰るぞ。配給、混むからな。早く行かないと食べ損ねる」
アキラに歩み寄ったユキヒトが手を差し出す。アキラはその手を掴んで、立ち上がった。
「……悪い」
「何がだよ」
返ってきたのはそっけない言葉だったが、ユキヒトが自分を心配してくれているのは十分に伝わった。アキラは柔らかく微笑んだ。ユキヒトは照れているのか顔を背け、土手を上り始めた。
アキラはもう一度、胸元で揺れるタグを握り締めて目を閉じた。
「……ごめん。まだ、そっちには行けない」
呟いた言葉は、吹き抜けた風にさらわれて、朱と藍の美しいグラデーションの空に溶けて消えた。
「何やってんだよ、アキラ。走るぞ!」
「!」
ぐいと強く手を引かれ、反動でがくんと頭が揺れる。アキラはユキヒトに引かれるまま、土手を駆け上がり宿舎目掛けて走った。ただ握られていた手を握り返すと、少し驚いたようにユキヒトが振り向いた。それから少年のように笑って、また前を向いた。
その日は、トシマを脱け出してから初めて悪夢にうなされず眠った。