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カナタアスカ
カナタアスカ
novelistID. 4748
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from the 35th floor

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 音楽のない店内は静かで、植物とディスプレイで上手に仕切られたテーブルの話し声が、さざめきになって聞こえてくる。時折、バーカウンターで氷とガラスが鳴った。
「ねぇ」
 唐突に浦原が呼びかけた。真っ直ぐに一護の瞳を捉えて。
「まだ、恋でいいの?」
 は?
 一護は思考と動作を停止して、金翠の光彩を見返した。
「…なに、それ」
 永遠のような停止の後、ようやっと、喉が動いた。
 一○年続いた感情は恋でしかないのに、相手がそれを否定するというのか。
「『まだ』とか『でいい』とか、なんだよ」
 ここがどちらかの家なら、確実に怒鳴っていた。
「家でない方がいい」と予防線を張った男の周到さが忌々しい。いつだってこうだ。結論を決めたふりをするのは浦原の方。
「わけわかんねぇ…」
 声を荒げて発散させることもできない。身のうちに渦巻くものを堪えて、一護は力無く呟いた。
 浦原の目は、一護を注視している。
 視線を合わせているのに、一護には浦原が何を考えているのか掴めない。男との対峙ではよくある瞬間だった。このところ味わう機会はなかったが。
「怒りました?」
 ずいぶんと暢気な字面で、浦原が言った。
 返答は、深呼吸を三度必要とした。
「怒りました。…何がしたいんだよ。別れてぇのか」
 ズキンと、心臓が波打った。強い言葉は発するだけで力を持つ。望んだことのない別離は、心臓をわし掴むのに十分な効力があった。
 腰掛けたソファの天鵞絨張りの手すりに左の爪が食い込む。一護は弾む心臓を落ち着けようと息を吸った。神経は高ぶって過敏になっている。今なら発泡酒の炭酸がガラス越しに囁く響きさえ聴こえそうだ。大虚と対峙してもここまで心を乱されたりしない。動揺するのは相手が浦原だから。他は誰が相手で、なにを言われても対処できる。
 一護の心を乱すのも満たすのも、浦原でしかないのに。
 まさか、と男がジェスチャー付きで否定した。飄々と、こともなげに。
「アナタがアタシを見限るまではそんなことありませんよ」
 浦原を注視する一護の張り詰めた表情が弛む。
 傷付いた顔をさせた。結果を得た浦原は驚きなく思う。たぶん、自分は、彼がまだ傷付くと確認したかっただけなのだ。
 椅子の座面からずり落ちそうな勢いで脱力した一護は、右手で顔を覆って天を仰いだ。
 頭上は間接照明の灯るただの天井、天の月も地の明かりも窓の外だ。

 三五階から見た月は遠い。
 背伸びしたら届きそうな高さにあるくせに、精一杯伸ばした指先でも月を掠めもしない。
 三五階から見える月は浦原みたいだ。地上からここまで登ってきたけれど、手で触れるにはまだ足りない。後何階分足元に積み上げたら届くのだろう。六〇階? 一〇〇階? 五○○階?
 慕情に有効期限があると問う男を殴り付けてこの胸のうちを信じさせるまで、あとどのくらい?

 あの日一護の心は彼に奪われて、一護自身のものですらなくなった。生殺与奪権は浦原が持っていて、一護はいつ男が興味をなくすかと想像しては背筋を震わせて。それが一〇年だったはずなのに。
 もしかして男も、そうだったのだろうか。先を先を読んで結論を取り出すこの男も。
 椅子に座り直して、一護は正面の浦原へ訊ねた。
「……あんたはなにが怖いんだ」
 一瞬、間が空いた。一護の問いを燕下するための間だったのか。
次の瞬間、浦原は唇を歪ませて笑った。
 ああこの子供は。確かにこういう性質で、だから自分は覚悟したり逃げ出したかったりするのだろう。だから、気ままに外を回る飼い猫が縁側に戻ってくるように、彼があの部屋に「帰って」くることを期待している。
「いろいろ怖いッスよ、アタシゃ。あなたが大人になっていく過程全部が怖い」
 浦原は大概ふざけた言動で本音を隠すのだけれど、時折、突拍子もなく心中を吐露する。そして一護を絶望させる。さっきみたいに、今みたいに。
 男の中にあるがらんどうで巨大なうろが、男自身を飲み込む瞬間が確かにあって、それはいかに浦原が老練な策士だろうと抗えないものなのだ。彼はうつろを抱えている。一護の片割れがあれだったように、分かちがたい半身として。
 一護の半身は一護を喰らいたがった。浦原の中のうつろは一護を介在して浦原自身を消費したいのかもしれない。
「俺は、どうしたら、あんたを安心させれんの」
 一護はグラスに手を伸ばした。かわいそうなアルコールはすっかり泡を失っている。男の前のタンブラーにも、氷片はなくなっていた。
「飲み物、頼み直そうか」
 口実を見つけてホッとして、一護は浦原に訪ねる。だが、彼は一護の申し出に首を振った。
「安心なんかしません。どうせ何をしてもらっても安心なんかしない。だから、一緒にいてください」
 浦原があの諦観と情念がないまぜになった瞳をして、一護を見ている。男の内側を乱反射した月光が染み出したみたいな色だった。
 男がこいねがうというなら。一護は、一護は幾度も反芻した覚悟を、突きつけてやるだけだ。
「アンタが嫌って言ったっているよ」
 ハイ、と、浦原がやけに神妙に返事した。
「…家の方が良かったよ」
「?」
 一護の言葉の意味を、浦原は量りかねたようだった。家の方が良かった。そうしたら、相手を抱きしめることが出来たから。



「疲れた。家帰る」
 と一護が言い、浦原も同意したので、二人はやっと席を立った。
 チェックをする浦原に丁寧に頭を下げるウェイターは、訳ありな二人連れがようやく出ていくことに安堵しているに違いない。
「なんで今日出てきたんだ?」
「さっき言ったじゃないですか、家じゃないほうがいいかと……イテテッ」
 一護が軽く小突いたのに、浦原が大袈裟な反応を返す。
「急に納品しろって言うやつがいたから、恩を売りに言ったんですよ。アナタもたまにするって言ってなかった?」
「客先じゃなくて社内だけどな」
「似たようなもんスよー」
 折角浦原の仕事振りを聞くチャンスだったのに、はぐらかされた気がする。他に手段がなくて現場が立ち居かないときは本社勤務の一護もデリバリーに出たりはする。個人商店主のそれもサービスの一環ではないのか。
 チン。ベル音がなって、エレベーターが到着した。
「ああ、これ、いりませんか」
 乗り込んだ四角い密室の中、浦原が袂から、小さな箱を取りした。
 サイズはだいたい四センチ四方、革張りのかしこまった様子の箱。形状と素材は、つまりあるものを匂わせる。
「それ、まさか」
「今日も見てきたんでしょ」
 男の指にかけられて、箱はぱかっと明快な音とともに開いた。
 内側は天鵞絨張り、真ん中にキラキラ光る金属の輪。
「んなもの、どこで」
「仕事先から出てここ来る途中に売ってたから」
 憧れブランドとして名の挙がるロゴも、浦原にかかれば道端の自販機と同レベルらしい。
「縛られる覚悟はある?」
 今更きくな、と呟いて、一護は手を差し出した。
 少し緩い指輪が一護の指に収まるころ、エレベーターは地上に着いた。

 三五階からの距離、指輪がはまるまでの時間。
 遠くて近い距離も悪くないかもしれないと、傍らで月光を映す髪を見上げて思った。
作品名:from the 35th floor 作家名:カナタアスカ