猿の婿入り
昔々のことです。ゼフという名の広い山畠を持つ爺さんがおりまして、この爺さん、年のわりには随分かくしゃくとしているのですが、今年はどうも雨が続くせいか足の古傷が痛んで仕方ありません。しかしその一方で山畠の作物たちはすくすくと育つものですから、あんまりにも手が足りないと頭を悩ませておりました。
ところで、この爺さんには3人の娘がおりまして、上から名をパティ、カルネ、サンジと言います。一番上のパティは体格は良いのですが少々頭が悪く、二番目のカルネは頭はそこそこ良いのですが病で伏せがち。末っ子のサンジは体力もあり頭もそれなりに働く上見た目もちょっと見ないくらいなのですが、それを覆して余りあるほどに性格が悪くていけません。
そんなこんなで、パティは鋤を持てば畝を耕してしまいますし、カルネは陽に倒れてしまい、サンジはすぐに癇癪を起こして暴れるものですから、ゼフは3人の娘にほとほと手を焼いておりました。
「ああ、畜生。いったい、猿でもこんなに無茶なもんだろうか。猿でもなんでもいい、俺を手伝ってくれりゃァアホ娘どもから1人くらい嫁に遣っても、いっこう構わねえんだがなァ」
このゼフの言葉を草陰でそっと聞いておりましたのが、お山の荒れ社に住まう、ロロノア・ゾロという猿神でした。
「おい爺さん、そりゃあ本当だな」
ゾロは猿に姿を変えたままひょいと草陰から飛び出しまして、ゼフが返事をするよりも先にその神通力でさっさと畠仕事を済ませてしまいました。
「爺さん、約束は守れよ。俺は明日の朝一番に嫁を娶りに来るからな」
さすがのゼフも、しまったと思います。何しろ相手は猿ですから、約束は約束にしたって、あの3人の娘たちが自ら猿の嫁になろうと言い出すはずもありません。
困ったことになった、とひとり呟きながらも家に戻ってそのことを娘たちに話しますと、案の定不平不満がぎゃんぎゃんと返ってきました。
「おいパティ、お前行っちゃァくれねえか。お前は猿と気が合いそうだと思うんだがなァ」
パティはとんでもない、とおいおい泣き出しました。
「どうだカルネ、お前行っちゃァくれねえか。どうせ元々猿みてえな顔じゃねえか」
カルネはぎゃっと悲鳴を上げ、布団を被ってしまいました。
「サンジ……てめえにも一応聞くが、どうだ。俺ァ、お前なら猿山の頭にもなれそうな気がするぜ」
「わかった」
「まあそうだろうな、じゃあ仕方ねえ、籤で決めるか」
「わかったっつってんだろクソジジイ!」
どっしりと胡坐を掻き腕を組むサンジに、思わずゼフもパティもカルネもええ、と声を上げました。何しろ普段のサンジの所業と来たら、今まさに暴れ出しても何の不思議もないほどなのですから……。
「ああ、俺もそれがいいと思うぜ。前々からお前の頭の形は猿に似てると思ってたんだ」
「俺も同感だ。お前の意地悪さっつったら、昔話の猿にそっくりだからな」
2人の姉はころっと態度を変え、口々にサンジを誉めそやしました。お前ならうまいこと猿みたいに木も昇れるさとか、猿の嫁として立派にやっていけるさ、とか。
「まったくやかましい奴らだぜ。おいジジイ、嫁には行ってやるが、ひとつだけ条件がある」
「なんだ、言ってみろ」
「でかい水がめをひとつ、それにいっぱいの縫い針を嫁入り道具として用意してくれ」
また奇妙な話だとは思いましたが、サンジの奇行狂言はいつものことでしたから、ゼフは言うとおりに大人の身体ひとつもある水がめとそれにいっぱいの縫い針を品を用意してやりました。
そうこうしているうちに約束の刻限がやってまいりまして、約束のとおり、ゾロが娘を迎えにやってきました。昨日と同じ猿の姿をしてそれに随分立派な婿入り衣装を着ているものですからなんとも滑稽で、パティとカルネははばからずニヤニヤと笑うのですが、ゾロもサンジもそれをいっこうに気にする様子はありません。
「さあ行こうか」
「ジジイ、クソお世話になったな」
嫁入り衣装を着たサンジがいつになく殊勝なことを言うものですから、ゼフの目も思わず潤みます。面倒ばかり掛けられてしましたが、駄目な子ほどなんとやら、サンジもなかなか可愛い娘だったのでした。
さて、猿と人間の奇妙な夫婦はお山の社を目指します。サンジの嫁入り道具を猿のゾロが背中に負いまして、なんやかやと四方山話をしながら2人は獣道を進みました。
「緑髪の猿たあ、てめえは変わってるなあ」
「てめえこそ、髪は金ぴかで眉毛がぐるぐる巻いていやがるな」
山のふもとに差し掛かったころ、ここには下も見えぬほどに深い谷川がありまして、1本の頼りない丸太橋がかかっておりました。妻は夫の3歩後ろを歩くんだぜ、とここでまたサンジは殊勝なことを申しまして、ゾロは人間の理など大して知りはしないのですが「へェ」と言って言うとおり先に立って橋を渡り始めました。
「男の子供が生まれたら、髪は緑だろうか」
自分の言葉通りに3歩後ろを歩いているサンジに、ゾロは突然尋ねました。
「さあ、どうだろうな。てめえに似たらそうかもしれねえな」
「じゃあ、娘が生まれたら髪は金で眉毛は巻くんだな」
「そうかもしれねえな」
相槌を打ちながら、サンジは内心でよからぬ算段を立てておりました。橋は細く、片足を乗せるので精一杯。そして猿は背中に大きな大きな甕を背負っておりますから、ぐらぐらと身体が落ち着きません。
(やるなら、ここだ……)
そう、サンジは最初から素直に猿に嫁入りするつもりなど、欠片もなかったのです。調子に乗った猿を奈落の底に突き落としてやろうと、実に根性の悪い考えを腹に抱えていたのでした。
「わあ、しまった」
サンジはわざとらしい声を上げ、猿の背中の甕をグイと引きました。
当然、ゾロの身体はぐらりとよろめき――
「危ねえなあ、気をつけろ。ここから落ちたら、お前死んじまうぞ」
ゾロは確かによろめいたのですが、なんとぐいと足を踏ん張り丸太橋の上に留まったのです。挙句、サンジの身体をひょいと抱え、そのまま駆け足で橋を渡り終えてしまいました。
これはまずいぞ、と思いながらもサンジはそこそこ頭の働く娘でしたから、すぐに次の手を考えます。
「なあ、あそこ見ろよ。こぶしの花が咲いてるぞ」
そう言ってサンジが指差す先には、橋を渡ってすぐのところ、崖からぶら下がるようにしてこぶしの木がズイと生えているのでした。
「ああ。お前の肌みたいに白い花だな」
「俺、あの花が欲しいなァ。ほら、あのてっぺんのやつだよ」
どれだ、と言いながら、ゾロはひょいひょいと木に昇っていきました。
「これか?」
「違う違う、もっと先のやつ」
「これか?」
「違う、もっと右だよ」
「これか?」
「もうちょっと枝の端、そう、もうちょっと、もうちょっと……」
猿がどんどん枝の先へと向かっていくのを見て、サンジはしめた、と胸のうちで呟きました。なにしろ、猿は嫁入り道具の甕と、それいっぱいの針を背負っているのです。先へ、先へと行くうちに枝はみしみしと音を立て――
(やった!)
ついに、ぽっきりと折れてしまいました。
しかし、
「ギリギリだったな。これでいいのか?」
ところで、この爺さんには3人の娘がおりまして、上から名をパティ、カルネ、サンジと言います。一番上のパティは体格は良いのですが少々頭が悪く、二番目のカルネは頭はそこそこ良いのですが病で伏せがち。末っ子のサンジは体力もあり頭もそれなりに働く上見た目もちょっと見ないくらいなのですが、それを覆して余りあるほどに性格が悪くていけません。
そんなこんなで、パティは鋤を持てば畝を耕してしまいますし、カルネは陽に倒れてしまい、サンジはすぐに癇癪を起こして暴れるものですから、ゼフは3人の娘にほとほと手を焼いておりました。
「ああ、畜生。いったい、猿でもこんなに無茶なもんだろうか。猿でもなんでもいい、俺を手伝ってくれりゃァアホ娘どもから1人くらい嫁に遣っても、いっこう構わねえんだがなァ」
このゼフの言葉を草陰でそっと聞いておりましたのが、お山の荒れ社に住まう、ロロノア・ゾロという猿神でした。
「おい爺さん、そりゃあ本当だな」
ゾロは猿に姿を変えたままひょいと草陰から飛び出しまして、ゼフが返事をするよりも先にその神通力でさっさと畠仕事を済ませてしまいました。
「爺さん、約束は守れよ。俺は明日の朝一番に嫁を娶りに来るからな」
さすがのゼフも、しまったと思います。何しろ相手は猿ですから、約束は約束にしたって、あの3人の娘たちが自ら猿の嫁になろうと言い出すはずもありません。
困ったことになった、とひとり呟きながらも家に戻ってそのことを娘たちに話しますと、案の定不平不満がぎゃんぎゃんと返ってきました。
「おいパティ、お前行っちゃァくれねえか。お前は猿と気が合いそうだと思うんだがなァ」
パティはとんでもない、とおいおい泣き出しました。
「どうだカルネ、お前行っちゃァくれねえか。どうせ元々猿みてえな顔じゃねえか」
カルネはぎゃっと悲鳴を上げ、布団を被ってしまいました。
「サンジ……てめえにも一応聞くが、どうだ。俺ァ、お前なら猿山の頭にもなれそうな気がするぜ」
「わかった」
「まあそうだろうな、じゃあ仕方ねえ、籤で決めるか」
「わかったっつってんだろクソジジイ!」
どっしりと胡坐を掻き腕を組むサンジに、思わずゼフもパティもカルネもええ、と声を上げました。何しろ普段のサンジの所業と来たら、今まさに暴れ出しても何の不思議もないほどなのですから……。
「ああ、俺もそれがいいと思うぜ。前々からお前の頭の形は猿に似てると思ってたんだ」
「俺も同感だ。お前の意地悪さっつったら、昔話の猿にそっくりだからな」
2人の姉はころっと態度を変え、口々にサンジを誉めそやしました。お前ならうまいこと猿みたいに木も昇れるさとか、猿の嫁として立派にやっていけるさ、とか。
「まったくやかましい奴らだぜ。おいジジイ、嫁には行ってやるが、ひとつだけ条件がある」
「なんだ、言ってみろ」
「でかい水がめをひとつ、それにいっぱいの縫い針を嫁入り道具として用意してくれ」
また奇妙な話だとは思いましたが、サンジの奇行狂言はいつものことでしたから、ゼフは言うとおりに大人の身体ひとつもある水がめとそれにいっぱいの縫い針を品を用意してやりました。
そうこうしているうちに約束の刻限がやってまいりまして、約束のとおり、ゾロが娘を迎えにやってきました。昨日と同じ猿の姿をしてそれに随分立派な婿入り衣装を着ているものですからなんとも滑稽で、パティとカルネははばからずニヤニヤと笑うのですが、ゾロもサンジもそれをいっこうに気にする様子はありません。
「さあ行こうか」
「ジジイ、クソお世話になったな」
嫁入り衣装を着たサンジがいつになく殊勝なことを言うものですから、ゼフの目も思わず潤みます。面倒ばかり掛けられてしましたが、駄目な子ほどなんとやら、サンジもなかなか可愛い娘だったのでした。
さて、猿と人間の奇妙な夫婦はお山の社を目指します。サンジの嫁入り道具を猿のゾロが背中に負いまして、なんやかやと四方山話をしながら2人は獣道を進みました。
「緑髪の猿たあ、てめえは変わってるなあ」
「てめえこそ、髪は金ぴかで眉毛がぐるぐる巻いていやがるな」
山のふもとに差し掛かったころ、ここには下も見えぬほどに深い谷川がありまして、1本の頼りない丸太橋がかかっておりました。妻は夫の3歩後ろを歩くんだぜ、とここでまたサンジは殊勝なことを申しまして、ゾロは人間の理など大して知りはしないのですが「へェ」と言って言うとおり先に立って橋を渡り始めました。
「男の子供が生まれたら、髪は緑だろうか」
自分の言葉通りに3歩後ろを歩いているサンジに、ゾロは突然尋ねました。
「さあ、どうだろうな。てめえに似たらそうかもしれねえな」
「じゃあ、娘が生まれたら髪は金で眉毛は巻くんだな」
「そうかもしれねえな」
相槌を打ちながら、サンジは内心でよからぬ算段を立てておりました。橋は細く、片足を乗せるので精一杯。そして猿は背中に大きな大きな甕を背負っておりますから、ぐらぐらと身体が落ち着きません。
(やるなら、ここだ……)
そう、サンジは最初から素直に猿に嫁入りするつもりなど、欠片もなかったのです。調子に乗った猿を奈落の底に突き落としてやろうと、実に根性の悪い考えを腹に抱えていたのでした。
「わあ、しまった」
サンジはわざとらしい声を上げ、猿の背中の甕をグイと引きました。
当然、ゾロの身体はぐらりとよろめき――
「危ねえなあ、気をつけろ。ここから落ちたら、お前死んじまうぞ」
ゾロは確かによろめいたのですが、なんとぐいと足を踏ん張り丸太橋の上に留まったのです。挙句、サンジの身体をひょいと抱え、そのまま駆け足で橋を渡り終えてしまいました。
これはまずいぞ、と思いながらもサンジはそこそこ頭の働く娘でしたから、すぐに次の手を考えます。
「なあ、あそこ見ろよ。こぶしの花が咲いてるぞ」
そう言ってサンジが指差す先には、橋を渡ってすぐのところ、崖からぶら下がるようにしてこぶしの木がズイと生えているのでした。
「ああ。お前の肌みたいに白い花だな」
「俺、あの花が欲しいなァ。ほら、あのてっぺんのやつだよ」
どれだ、と言いながら、ゾロはひょいひょいと木に昇っていきました。
「これか?」
「違う違う、もっと先のやつ」
「これか?」
「違う、もっと右だよ」
「これか?」
「もうちょっと枝の端、そう、もうちょっと、もうちょっと……」
猿がどんどん枝の先へと向かっていくのを見て、サンジはしめた、と胸のうちで呟きました。なにしろ、猿は嫁入り道具の甕と、それいっぱいの針を背負っているのです。先へ、先へと行くうちに枝はみしみしと音を立て――
(やった!)
ついに、ぽっきりと折れてしまいました。
しかし、
「ギリギリだったな。これでいいのか?」