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Loreley.

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「お前が船長の臨也か」

それは海の上で語られる下らない現実離れした噂話のようなものだと、彼は今までそう思っていた。

「なるほどな、気に食わねーツラしてやがる」

人は現実から離れた現象に対峙しても意外と冷静なのかもしれない。この場面で淡々と、今まで耳にしてきた噂話を整理している自分に気付いた時そう感じた。こんな時にまで情報をかき集めている自分が少し可笑しかった。

“海を荒らした海賊にはやがて死神が現れて、手にした財宝も魂ごと奪われる”

俺達は、汗水流して働いた金ではないものを使う。真っ当に働いて稼いでいるものにしてみればこれほどつまらない話はない。だからこんな話など、そうゆう輩が俺達にちょっとした恐怖を与えるために広めた、ただの下らない作り話だと、今の今まで思っていた。

だがこの話には面白い点があった。死神について細かい描写が伝えられているのだ。こういう類のものは姿かたちがわかりづらいほうがより恐怖を増す。白い服の女、顔のない人、など情報は少ないほうがより想像力が増して、恐怖心もまた増していくものだ。その、死神というにはイメージから離れているその情報に俺は怖がるどころか笑ってしまったくらいだ。

“サングラスをかけた死神に出会ったら死ぬ”

「さて船長、俺が何だかわかるか?」

海賊をよく思わない庶民たちの呪いが具現化した、そうとしか思えない。だって今俺の目の前にいるのは。

「という訳で、てめぇを殺しにきたぜ」

サングラスをかけた死神だった。




Loreley.



「なんだ、一瞬で死ねると思ったのか?幸せな野郎だな」

次の日、目が覚めると死神はまだいた。そして俺は、まだ生きていた。死神にその理由を聞いてみると、そんな答えが返って来る。どうやら昨今の死神は一撃必殺を使わないらしい。じわりじわりと死の淵へと追いやって行くらしい。全く趣味の悪い奴だ。そう言ってやると「てめぇにだけは言われたくないな」と言われた。船の甲板で煙草をふかしてサングラスをかけている死神は、どこにでも居そうなただの青年にすら見える。だが金色の髪を靡かせて海を眺めている横顔はどうやら俺以外には見えないらしく、それが異形のものであると改めて気付かされた。

「じゃあ、俺はいつ死ぬの?」

すると死神はにやりと口の端を上げてとてもとても嬉しそうに笑った。

「そんなん、わからないほうが楽しいだろ?」

悪い顔。本当に死神なんだなと思いながらも、そういえば笑った顔は初めて見た、とかそんなことを考えている自分に驚愕した。自分が死ぬかもしれないという危機的状況に居るから精神がおかしくなってきているのだろう。勝手にそう思うことにした。人がそんな葛藤に悩まされているというのに、死神のほうは海で跳ねているイルカの群れを見て無邪気に喜んでいた。

「君の名前は?」

「死神に名前なんてない」

「仲間は何人も居るの?」

「さぁ、生まれた時から一人だから知らない」

「どうやって生まれたの?」

「人々の、恨みから生まれた」

「なに、それ?」

あまりにも情報が少なすぎる、だから俺は色々とこの死神に質問したが、大したものは得られなかった。死神のほうは嘘なのか本当なのかわからない口調で簡単に答える。どこから持ってきたのかパンを千切ってカモメに与えながら、さして興味もなさそうに。死神の手からエサを受け取るのもどうかと思うが、カモメはひょいひょいとパンくずを空中でキャッチしていった。気付いたら結構な数のカモメが集まっていて、絶好のエサポイントとなりつつあった。

「事実だ。俺は海賊を殺したいほど憎んでいる人々の思いから生まれた」

「だから殺すの?」

「そうやって生まれたから」

生きる理由なんて、人間にだってよくわからない。それが存在自体、謎な死神になればもっとわからないのだろう。でも死神は一つも疑問を浮かべずただ淡々とそう言う。その横顔は無表情で、悲しいのか楽しいのかよくわからない。そもそも死神に感情なんてあるのか、それ自体が不明だった。だけど表情はあることはわかった。ふと、一羽のカモメが甲板に降り立ってきてミャーと鳴いた。どうやらウミネコの一種だったらしい。死神がしゃがみ込んで掌にパンくずを載せて差し出すと、その手からエサを食べた。人間が同じことをやってもこうはならないだろう。何となく感心しながらその様子を見ていた。死神は嬉しそうに口元を綻ばせている。海賊を殺すために生まれたこの死神に、表情があるのはどうしてなのだろう。俺はそんなことを考えながら、その表情をただ見つめていた。

そんないつもと変わらない日々が少しだけ続いた。死神は船の中を我が物顔で歩いていて、俺は相変わらず略奪の毎日だった。小さな船でも大きな船でも気が向けば何でも奪ってやった。そして勝利の後は船員たちと祝杯を上げ、本当にいつもと変わらない。死神なんてやはりただの噂話で、俺が見えているものも何かのおかしい幻覚か、海で死んだ幽霊とかいうやつなのかもしれない。きっと何も起こらず、このまま日々が流れていくとそう思った。自分でもあまりにも危機感を持たな過ぎていたかもしれない。

「やっぱりお前は、奪うんだな」

船員たちが飲んだくれて潰れた深夜、俺は甲板で静かに一人、酒を飲んでいた。そこにふらりと死神が現れた。暗い夜の海、サングラスの奥の瞳がいつも以上に見えない。だけど声色がいつもより少し低くて、淡々としていた。そのことに違和感を覚えて、口を開こうとした瞬間。腹の奥底から何かが込み上げてきて、吐き気を抑えられなくなった。思わず片手で口を塞いだが溢れて来たものを受け止めきれず、床にも散らばった。その色は暗闇でもよくわかるほどの、赤。

「・・・時間だ」

真っ赤に染まった掌を茫然と見つめる俺を、死神はただ見下ろしている。その背後には目が眩むほど明るい満月が浮かんでいた。耳鳴りが止まない、寒気が止まらない。死神が言う時間が、何の時間なのか、わからないほど馬鹿ではなかった。だが愚かな俺は今この瞬間が来るまで死神の存在を信じていなかったことに気付いた。目の前に居たというのに、死神のことをまるで理解していなかった。だって君は俺の船の上で、きらきらと輝いていた。イルカを見て喜んで、海鳥にパンくずをあげていて、星を見上げてため息をついて。水平線の向こうを見ているサングラスの向こうの目を、知っているのは俺だけだったから。それがどうしようもない優越感に浸らせるほど、俺は死神に恋をしていた。あぁ、こんなの。遠い異国で聞いたお伽噺のようで笑えるじゃないか。金色の櫛を持った美しい少女の歌声に魅せられた船頭は、川の底に沈められてしまうんだっけ。ここは海だけど。

「俺が死んだら、君と同じところに行ける?」

やっと口から出た声はあまりにも情けなく、自分のものと疑うほどだった。だけどそれは紛れもなく自分のもので、もう時間がないことがよくわかった。他に言うことがないのか、そんなことも思ったが残念なことにこれしか浮かばなかった。自嘲気味に笑いながら、何度目かわからない死神への問いをぶつけてみた。

「無理だ」
作品名:Loreley. 作家名:しつ