水色サンデー
昔っからなんとなく間が悪い。
傍観者ポジションを貫き通せたためしがないし、認めたくはないが巻き込まれ型だ。いつの間にかあれやこれやの皺寄せがそれこそ津波のように押し寄せている。知らないうちに!
具体的にあげ連ねれば、物心ついた頃の記憶は政春が起こしたいたずらのとばっちりを受けては怒られていたりだとか、理央と政春の全貧連に巻き込まれたくもないのに巻き込まれかけたりだとか、つい最近だといきなり頭に豆腐をぶちまけられたりだとか……。
やめよう、考えてみれば全般的に政春絡みのような気がしないでもない。
つまり政春が諸悪の根源だ、地球のために音速で絶滅しろ。
おまけにというかなんというか、運もよくはない。○×問題は勘で答えれば外れるし、福引きは見兼ねたおばさんにこの前なんぞとうとう代わっていただいた。だから宝くじは買わない。
……その分だって補えるように、努力を重ねてきたつもりだけれど。
天気予報の降水確率は20%だった。20%もあれば降られるに決まっていて、だから折り畳み傘は必須のはずだった。
なんでまた、今日に限って忘れたんだろう。
鞄の底をいくら漁っても出てこない見慣れたシルエットを探しながら、明良は思わずため息を吐いた。雨脚はまるで容赦なく、刻一刻と強くなる。
今日は首都圏の私大における助成金についての話し合いだった。慶介なんかはついこの間結構な額の負債を出したくせに、国からの補助金なんて受け取れるか!……と相変わらずだったけれど。
そもそも彼は福澤諭吉の建学理念である、国家からの独立独歩、を旨としているから、まぁ今更のはなしだ。常に資産運用ギリギリのラインの自分にはとてもできない芸当である。
駅まで走るか、せめてもう少し雨脚が弱まるのを待つか。或いは学校関係者の誰かに頼んで迎えを寄越して貰うか……少なくとも最後のは却下だ、そんなご身分じゃない。
先程慶介と言い合いをしながらなんだかんだと雨水を跳ねさせ楽しそうに帰っていった早太の後ろ姿を思い返しながら、明良はぼんやりと雨音のリズムに身を任せた。
ついてない。
こういうときに最も頼りになるはずの理央は、彼女のお茶女とデートだとかなんとか言っていそいそと車に乗り帰ってしまった。立原も青山を送りがてら買いたいものがあるとかで出ていってしまったし(あの時の青山の苦虫を噛み潰したような表情の理由が謎だ)政春の姿は見当たらない。大方また先ほどの会議で新しい女の子にでも目をつけたのだろう。
みんな、誰かが隣りに居る。
隣りに視線を向けてみた。映りこんだのは夕立にけぶるエントランスの冷たいレンガと、真っ白に冷えたガラス窓だけだった。
磨きあげられたガラスの向こうから、血色の悪い自分の面がこちらを見ている。
唇の端を持ち上げてみた。泣き出しそうに歪んだ笑顔がこちらを見ていてなんだか馬鹿らしくなった。
慶介のように理知的でもなければ、政春ほどのまっすぐな強さも持っていない。
待っていてくれるひとはいるけれど、こんな風に惨めで寒くて仕方がないときに隣りに居てくれる相手はいない。
望む相手には専売特許の相手が居て、たぶん敵わない。本当は、知ってる。
もうどうしたらいいのかわからないくらいに迷っていて、でも、諦められないままだ。
もう少しひとりでちゃんと立てればよかった。自嘲しながら生白く痩せた自分のてのひらを見下ろした瞬間、声。
「やぁ、お困りのようだね竹治明良」
「ひっ……!は、葉月、びっくりした、いきなり脅かさないで」
不意に背後から現われた気配に思わず鞄を取り落とす。同時に止め金が外れたのか、軒下から通りの方へ向かって筆記具諸々が吹き飛んで行った。
最悪だ。
「まったくしょうがないね竹治は」
思わず頭を抱える明良にしかし珍入者は容赦がない。大仰に肩を竦めつつ呆れたようなため息までが、しっかりおまけについてくる。
なんだかんだいいながら筆記具を細々一緒に拾ってくれるあたり、けっして悪い性格ではないと思うんだけれども。
正直苦手なのだ、どうしようもなく。なんというか、根本的に。
黒縁プラスチックフレームのメガネから覗くひとみに赤味がかった茶髪。渋谷原宿の通りに混ぜてもまるで問題はなさそうな彼を、千葉大学、葉月千叶。
「なんで葉月がここに居るんだよ、お前国立だろ?」
「そんなことより竹治」
出た。
思わず踵を返して走り出したいのを堪えつつ、明良は引きつった笑みを浮かべる。
葉月は基本的に相手のはなしを最後まで聞いた試しがない。むしろ自分の言いたいことだけを、滔々とぶちまけてくるから厄介だ。
「お前もうスイッチを切り換えたのか、つまらないな」
「は……?スイ「相手に合わせて言葉遣いが微妙に変わるだろ竹治は。因みに一番顕著なのが稲田と法崎の前だ。気が張っているのか?言葉が荒くなる。男らしいと言ってもいいかもしれないが、或いはそれも虚勢か」
「おいちょっと待て葉月、デタラ「デタラメだなんて心外だな!竹治は意外と育ちがいい、ぼんやりしていると口調はむしろ穏やかになるだろ。一番最初に俺が話し掛けたときもそうだった」
どうだい、黒目がちのひとみに得意気に見つめられて明良は思わず目を逸らす。
こういう邪気も悪意もないものの方が、よほど苦手だ。その内容がなんであれ。
「そんなこと、言われても……」
育ちが良かった記憶もないが、果たして早太と政春の前で、どう在りたいだとか、こう在りたいだとか。意識したつもりはあまりなかった。
それでも本当は男らしくありたいだとか、張り合おうだとか、そんな気持ちがあったんだろうか。
頼って欲しい、自分をちゃんと見て欲しい。
本当じゃ釣り合えない、そう知っているから?
思い付いたら胸の奥がずきずきと鈍く痛んで、無理やり笑おうと思ったら酷く不格好になった。
「そんな顔をするな竹治、まるで俺が苛めたようじゃないか!」
「そ、んなこと「ところで竹治、うちのキャンパスの素晴らしい広さを知っているか!」
「あぁぁもうなんの話がしたいんだお前!!」
「だからうちのキャンパスの総面積が「はいはいはい無駄に広いよな国立はな!!東さんトコといいお前んトコ「ちなみに先日倉庫からでずにーの原画が山のように出て来たんだが良かったら見にこないか竹治」
「い、今から……?」
「別に用事もないんだろ?」
散々一方的な会話を続けられたあげく、当然のように聞き返されて涙が出そうになった。そうだ、こんな日にうかれる予定の一つもない。
まっすぐ帰るつもりだったけれど、連絡を入れて葉月の学校まで足をのばすのもいいかもしれない。楽しそうな自慢話は憎めないし、葉月の適当で曖昧な好意もそれはそれで心地良い。
誘いの言葉は、優しさの近い。
「歓迎するぞ?」
「……じゃあ、「ぶべぼっ!!」
茶目っけたっぷりに腰を折った葉月へ、お言葉に甘えて、そう答えようとした矢先、横からの鉄拳。
葉月の裏原センスな洋服が視界を右から左へ横切って吹き飛んでいく。何事だ。
振り仰いだ先に、見慣れた横顔があった。珍しく肩で息をしている。
「葉月テメェ、誰の許可なく明良にベタベタ纏わりついてんだ!!」
傍観者ポジションを貫き通せたためしがないし、認めたくはないが巻き込まれ型だ。いつの間にかあれやこれやの皺寄せがそれこそ津波のように押し寄せている。知らないうちに!
具体的にあげ連ねれば、物心ついた頃の記憶は政春が起こしたいたずらのとばっちりを受けては怒られていたりだとか、理央と政春の全貧連に巻き込まれたくもないのに巻き込まれかけたりだとか、つい最近だといきなり頭に豆腐をぶちまけられたりだとか……。
やめよう、考えてみれば全般的に政春絡みのような気がしないでもない。
つまり政春が諸悪の根源だ、地球のために音速で絶滅しろ。
おまけにというかなんというか、運もよくはない。○×問題は勘で答えれば外れるし、福引きは見兼ねたおばさんにこの前なんぞとうとう代わっていただいた。だから宝くじは買わない。
……その分だって補えるように、努力を重ねてきたつもりだけれど。
天気予報の降水確率は20%だった。20%もあれば降られるに決まっていて、だから折り畳み傘は必須のはずだった。
なんでまた、今日に限って忘れたんだろう。
鞄の底をいくら漁っても出てこない見慣れたシルエットを探しながら、明良は思わずため息を吐いた。雨脚はまるで容赦なく、刻一刻と強くなる。
今日は首都圏の私大における助成金についての話し合いだった。慶介なんかはついこの間結構な額の負債を出したくせに、国からの補助金なんて受け取れるか!……と相変わらずだったけれど。
そもそも彼は福澤諭吉の建学理念である、国家からの独立独歩、を旨としているから、まぁ今更のはなしだ。常に資産運用ギリギリのラインの自分にはとてもできない芸当である。
駅まで走るか、せめてもう少し雨脚が弱まるのを待つか。或いは学校関係者の誰かに頼んで迎えを寄越して貰うか……少なくとも最後のは却下だ、そんなご身分じゃない。
先程慶介と言い合いをしながらなんだかんだと雨水を跳ねさせ楽しそうに帰っていった早太の後ろ姿を思い返しながら、明良はぼんやりと雨音のリズムに身を任せた。
ついてない。
こういうときに最も頼りになるはずの理央は、彼女のお茶女とデートだとかなんとか言っていそいそと車に乗り帰ってしまった。立原も青山を送りがてら買いたいものがあるとかで出ていってしまったし(あの時の青山の苦虫を噛み潰したような表情の理由が謎だ)政春の姿は見当たらない。大方また先ほどの会議で新しい女の子にでも目をつけたのだろう。
みんな、誰かが隣りに居る。
隣りに視線を向けてみた。映りこんだのは夕立にけぶるエントランスの冷たいレンガと、真っ白に冷えたガラス窓だけだった。
磨きあげられたガラスの向こうから、血色の悪い自分の面がこちらを見ている。
唇の端を持ち上げてみた。泣き出しそうに歪んだ笑顔がこちらを見ていてなんだか馬鹿らしくなった。
慶介のように理知的でもなければ、政春ほどのまっすぐな強さも持っていない。
待っていてくれるひとはいるけれど、こんな風に惨めで寒くて仕方がないときに隣りに居てくれる相手はいない。
望む相手には専売特許の相手が居て、たぶん敵わない。本当は、知ってる。
もうどうしたらいいのかわからないくらいに迷っていて、でも、諦められないままだ。
もう少しひとりでちゃんと立てればよかった。自嘲しながら生白く痩せた自分のてのひらを見下ろした瞬間、声。
「やぁ、お困りのようだね竹治明良」
「ひっ……!は、葉月、びっくりした、いきなり脅かさないで」
不意に背後から現われた気配に思わず鞄を取り落とす。同時に止め金が外れたのか、軒下から通りの方へ向かって筆記具諸々が吹き飛んで行った。
最悪だ。
「まったくしょうがないね竹治は」
思わず頭を抱える明良にしかし珍入者は容赦がない。大仰に肩を竦めつつ呆れたようなため息までが、しっかりおまけについてくる。
なんだかんだいいながら筆記具を細々一緒に拾ってくれるあたり、けっして悪い性格ではないと思うんだけれども。
正直苦手なのだ、どうしようもなく。なんというか、根本的に。
黒縁プラスチックフレームのメガネから覗くひとみに赤味がかった茶髪。渋谷原宿の通りに混ぜてもまるで問題はなさそうな彼を、千葉大学、葉月千叶。
「なんで葉月がここに居るんだよ、お前国立だろ?」
「そんなことより竹治」
出た。
思わず踵を返して走り出したいのを堪えつつ、明良は引きつった笑みを浮かべる。
葉月は基本的に相手のはなしを最後まで聞いた試しがない。むしろ自分の言いたいことだけを、滔々とぶちまけてくるから厄介だ。
「お前もうスイッチを切り換えたのか、つまらないな」
「は……?スイ「相手に合わせて言葉遣いが微妙に変わるだろ竹治は。因みに一番顕著なのが稲田と法崎の前だ。気が張っているのか?言葉が荒くなる。男らしいと言ってもいいかもしれないが、或いはそれも虚勢か」
「おいちょっと待て葉月、デタラ「デタラメだなんて心外だな!竹治は意外と育ちがいい、ぼんやりしていると口調はむしろ穏やかになるだろ。一番最初に俺が話し掛けたときもそうだった」
どうだい、黒目がちのひとみに得意気に見つめられて明良は思わず目を逸らす。
こういう邪気も悪意もないものの方が、よほど苦手だ。その内容がなんであれ。
「そんなこと、言われても……」
育ちが良かった記憶もないが、果たして早太と政春の前で、どう在りたいだとか、こう在りたいだとか。意識したつもりはあまりなかった。
それでも本当は男らしくありたいだとか、張り合おうだとか、そんな気持ちがあったんだろうか。
頼って欲しい、自分をちゃんと見て欲しい。
本当じゃ釣り合えない、そう知っているから?
思い付いたら胸の奥がずきずきと鈍く痛んで、無理やり笑おうと思ったら酷く不格好になった。
「そんな顔をするな竹治、まるで俺が苛めたようじゃないか!」
「そ、んなこと「ところで竹治、うちのキャンパスの素晴らしい広さを知っているか!」
「あぁぁもうなんの話がしたいんだお前!!」
「だからうちのキャンパスの総面積が「はいはいはい無駄に広いよな国立はな!!東さんトコといいお前んトコ「ちなみに先日倉庫からでずにーの原画が山のように出て来たんだが良かったら見にこないか竹治」
「い、今から……?」
「別に用事もないんだろ?」
散々一方的な会話を続けられたあげく、当然のように聞き返されて涙が出そうになった。そうだ、こんな日にうかれる予定の一つもない。
まっすぐ帰るつもりだったけれど、連絡を入れて葉月の学校まで足をのばすのもいいかもしれない。楽しそうな自慢話は憎めないし、葉月の適当で曖昧な好意もそれはそれで心地良い。
誘いの言葉は、優しさの近い。
「歓迎するぞ?」
「……じゃあ、「ぶべぼっ!!」
茶目っけたっぷりに腰を折った葉月へ、お言葉に甘えて、そう答えようとした矢先、横からの鉄拳。
葉月の裏原センスな洋服が視界を右から左へ横切って吹き飛んでいく。何事だ。
振り仰いだ先に、見慣れた横顔があった。珍しく肩で息をしている。
「葉月テメェ、誰の許可なく明良にベタベタ纏わりついてんだ!!」