藍の中に溶ける
人と言う存在の、その罪深さを知る程度となる尺度を考えてみる。
如何に人が傲慢で矮小なのか、それは人の歴史を振り返れば分かる事だ。
先ず生まれるにして、生きとし生ける全ての生物の中で唯一、理性を手にし、全生物の長足りえていた。
地に足を付けて動く生物の中で地上と言う大きなフィールドを制覇し、随分と散々に荒し尽くした。
そうして次は、大いなる空へ。
鳥類のように翼に背を持たぬ人間は、擬似する何かを考え、作り出した。
それらはやがて空を害し、同様に人をも害す兵器へと姿を変えた。
更には、海へ。人間の矮小な存在は、弱肉強食と言う実に明快に成り立っている世界の中で、ただ1つ、理性を働かせる頭脳だけで地球と言う星の全てを勝ち取ったのだった。
人の欲は留まる事を知らず、際限無く膨れ上がる。
人間には、惑星1つだけと言う領域では飽き足らなかった。
次なる舞台は、宇宙へ。
星を賭け、未だ不毛な遣り取りを続けている。
菊は、そんな現状を嗤った。
場所はとある部品格納倉庫。とは言え、置かれているのはお世辞にも状態の良いとは言い難い廃棄品に近いガラクタばかり。5人で乗るには聊か窮屈なポットに乗り、此処へ降り立った。
シンと静まり返り人の気配は皆無だが、無機質な物体が犇めく雑然とした場所だった。
時の移ろいは無情であり、万物の変化同様に停滞を見せない。
かつて地球と言う星で各々が自治統治で満足していた時代は、疾うの昔に過ぎ去った。
最早どれ程、と言明するのも馬鹿な話ではあるが、兎にも角にも、誰かが叫んだ、「人類を再び元一統主の下に!」、と。
とち狂ったと思われても仕様の無い発言のなれの果てに、現組織、”クレア”だ。
その侵略は決して生易しいものでは無く、武力行使を軸として次々賛同者、否傘下を増やしていき、今では実質の地球統一者、である。
大抵の人類がクレア下での生活を強いられる事に妥協していく中で、これらの流れをいち早く察知し、反クレア団体として宇宙へ逃げ去った者達が居た。
そうした者達をクレアは、武力部隊と非武力部隊と分け、”パルラ”と”アウラ”、と呼んだ。
菊達は、そうしたアウラの中の1人であった。
諍いの最中に頼る手を亡くし、1人で生きる事を幼き頃より強いられた戦災孤児達、同様の境遇の子供達ばかりが集まるグループに居た。
中でも菊が家族と呼ぶ事が出来ていたのは、たったの4人。同じ流れの血を持つ、ごく近しい生まれの者達だった。
「兄様、もう降りても大丈夫ですか?」
そう菊に問うのは、家族の一員にして紅一点、美鈴だ。
「えぇ、大丈夫ですよ。気をつけて下さいね。」
「よぅっし、沢山盗って来るんだぜー!!」
元気良く、菊の弟分、勇洙が駆けて行く。
出入り口で立つ菊の横をスルリと小龍が抜けて行けば、残るは家族内の長男の立場に当たる、菊達グループのリーダー、耀だけだ。
「はぁ、窮屈だったある。」
「仕方無いではありませんか。ですから耀さんは家に残りますか、とお聞きしましたのに。」
「馬鹿言うんじゃねーあるよ。お前達だけで行かせられる訳ねーある。」
やれやれ、と肩を回しながら向かっていく背に苦笑して、菊も兄妹達の元へと歩いて行った。
浮浪者同然である菊達は戸籍も無い為定職に就く事が出来無い。
贅沢など許されぬ日々の生活である中で、彼等の稼ぎのなるのは、ジャンクの売買だ。
不要となった部位を整備し、使用可能な状態にして売り捌く。
今居る倉庫は菊達グループが前々から目を着けていた所。窃盗を働くと言う罪悪感も倫理観も最早持ち合わせていない。綺麗事だけでは生きていけない事を、彼等は良く知っていた。
薄汚れた鼠だと、自身の立場を弁え、菊はそれでも、この兄妹達との生活を守りたかった。
それは耀も同じであり、兄妹を支え育てていくのは自分達の役目であると、固い絆で繋がっていた。
ふと、菊は何かを感じて顔を上げた。
淀む空気の流れが一瞬、変化したからだ。
「兄上?どうかしましたか?」
小龍の問いに菊は答えず、眉根を寄せ虚空を睨み付けた。
音も無く立ち上がり、息を潜め空気の流れを感じ取る。
「耀さん。」
溶け消える程の小声で、菊は耀を呼んだ。
「何ね。」
「今直ぐ、この子達を連れてポットへ引き返して下さい。」
死角に停めてあるポットを指差し、菊は兄妹を隠すようにして立ちはだかった。
「何言って・・・」
「嫌な予感がします。全員で共倒れになる訳にはいきません。」
菊の嫌な予感は、高確率で当たる。
その実績を知っている耀は渋面を作り、無言で兄妹の手を取って引き返した。
「兄様!」
「大丈夫ですよ美鈴。直ぐ戻りますから行って下さい。」
安心させるようふわりと笑み、妹を見送った。
弟達は菊の感ずる何かを悟ったのか、表情を引き締め黙って踵を返す。
兄弟全員が死角へと姿を消したのと同時、新たな音が菊の耳へと入り込んだ。
コンクリートで出来た灰色の床を、規則正しい音をカツカツと立てながら向かい来る足音は着々と菊へと近付いている。
小気味良く鳴る乾いた音が止まった時、菊の双眸には1つの影が映っていた。
人影は、凛とした声で聞くに問い掛ける。
「お前、こんなトコで何してる?」
見上げる人影は言うや否や、ヒラリと地を蹴り菊と同じ地へと舞って来た。
羽織っていた上着が、重力に逆らってはためく。
鋭利な瞳が、菊の全身を射抜いた。
菊はこの場から、この男から逃げる算段を回る頭を用い高速で考え始めた。
菊は自身の力量を正しく判断出来る人間だった。
過失は己を殺すと信条を掲げ、相手との距離を測る。
状況判断を誤らない、生きる術であった。
「答えろよ。此処が何処だか分かってんのか?」
そうして判断を下した。目の前の男は、強い、と。
力では敵わぬだろう相手に向かって行くなどと言う馬鹿な真似を菊はしない。
相手が1歩進む度に後ろへ下がり、強い眼差しで相手の双眸を睨み付けた。
深淵の紅玉が、菊の内面を探ろうとする。
「勿論、分っております。ですが、私はどうでも良い事。」
「はっ、そうかよ。」
唐突に男は歩みをピタリと止め、目を細めて菊を見た。
その口元は、楽しげに半月を描いている。
「・・・何ですか?」
「見逃してやっても良いぜ、今回に限り。ただし、条件がある。」
怪訝そうに眉根を寄せる菊に笑って、歌うように男は言った。
「お前、俺達”パルラ”のパイロットになれよ。」
「・・・・・・っ、は?」
「お前のその目、気に入ったぜ。条件を呑む、ってんなら今回の件、チャラにしてやる。どうだ?」
不敵に笑む男に、菊は嘘を見出せなかった。
パルラに入る事は即ち、ひもじくとも生命を脅かされずに済んできた生活から一転、クレアとの全面抗争の道へと足を踏み入れる事を意味する。
その上パイロットとなれば、最前線で戦わねばならない。
菊は逡巡し、1つ溜息を吐くと、男の双眸をしかと見据えて言った。
「・・・良いでしょう。条件を呑みます。が、1つ、私からの条件も受け入れて頂けますか。」
「あぁ、俺様は寛大だからな。聞くだけなら聞いてやるぜ。」