カテリーナⅡ
1.
『兄さん、姉さん。春休みに、そちらに行くことになりました。本田も一緒です。』
“カテリーナⅡ”
―――シンデレラは、ガラスの靴も落とさずに逃げてしまった。
彼女は再び、俺の目の前に現れた。
今までとは違う、すっきりとした表情で。
ガラスの靴なんて、彼女には必要なかったんだ。
だってもう、彼女はガラスの靴を自分で叩き割ってしまったのだから。
自分を縛り付けていた、「ガラスの靴」という鎖を。
「ずっと、弟のために生きてきた。」
彼女は真剣な顔で話した。
昼休みの大学のテラスには生徒がたくさんいて、周りはとても騒がしい。
俺は彼女のほうを向いて、こくりとうなずく。
すうと息を吸ってから、彼女は話を続けた。
真剣な面持ちは、変わっていない。
「でもね、わかったの。全部、自分の自己満足だったって。」
「どういうことだい?」
知りたかった。わかりたかった。わかろうとしたかった。
彼女のことを。彼女の心を。彼女の本心を。
俺は彼女を見つめる。
彼女は少し言いにくそうに、目を逸らした。
「・・・・・私の母はね、弟の目の前で、・・・・自殺、したの。・・・私が、9歳の時だった。弟は心に大きな傷を負ったわ。だから・・・その時から、私は誰よりも弟を守ろうと決めた。」
俺は何も言うことができなくて、ただただ彼女を見つめた。
冬だってのに、やけに日差しが強かった。
ロシアにこんな気候の日もあるのか、と頭の隅で考えていた。
彼女の唇は、彼女自身の物語を紡ぎ続ける。
「笑っちゃうわよね・・・本当に・・・馬鹿みたい。弟はもう、あの時の小さな子どもじゃないのに。」
彼女は自分の腕をぐっと掴んだ。
瞳には、涙が滲んでいるように見えた。
悔んでいるようだった。自分のしたことを。自分の、信じたものを。
「君は・・・今までずっと、頑張ってきたんだろう?」
俺に言えることなんてこんなことしかなかった。
にこりと笑うと彼女もこっちを向いて、少し笑った。
「うん・・・そうね・・・。本当に自己満足で、ずっと弟を守ってきたつもりになってた。弟はそんなこと、望んでなかったのに。」
「ライナ・・・。」
「妹と電話で話して、やっとわかった。私たちはいつまでも、傷の舐めあいをしているだけなんだって。私は、自分の生きる道を歩いていいんだって。」
彼女の、アイオライトの瞳がきらりと光を放った。
母なる海原の色。アクアマリン。
吸い込まれそうになるほど美しい色を放つ彼女の瞳には、涙が滲んでいる。
俺は彼女の頬に触れて、流れる涙を拭った。
「私は、貴方から逃げた。・・・・貴方を、一番にするのが怖くて。一緒にいればいるほど、貴方は私の中で大きくなってしまうから・・・。嫌われても仕方ないわ・・・。本当に、ごめんなさい。」
彼女は、頬にある俺の手を上から包み込んだ。
嫌われていたわけじゃなかった。
それがわかったことが、ただ嬉しくて。
ガラスの靴なんてなくても、彼女を見つけ出せる。
俺には、それができる。
「嫌いになるはずないじゃないか。・・・・お帰り、ライナ。」
俺は、彼女を抱きしめた。
たとえ間違っても何度だってやり直せるように。
道を外れてしまったら、何度だって自分の道を見つければいい。
一人でできないなら、俺が手を引っ張ってあげる。
だから笑って。俺のシンデレラ。