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sweet fancies

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「え?」
「だからさ、恋とかしてないの?」
「い、いや、私は別に、そういうのは……」
「二次元に恋するのも素晴らしいことだとは思うけど、三次元にも素敵な男の人はたくさんいるんだからね。―――例えばほら、ドタチンとかさ」
「ド、ドタチン?」
多少どぎまぎし始めた狩沢を見て、作戦成功とばかりに臨也は満面の笑みを浮かべた。

―――よし。このまま話を逸らして逃げ切ろう。

「そう。俺は高校の同級生なんだけどさ、いやぁあの頃から男女問わず皆から頼りにされてたなぁ、ドタチンは。もうほんとクラスのお父さんかお母さんかって感じで。最終的に揉め事を治めるのはいつもドタチンだったしー。結構モテてたんだよ?」
「はぁ……」
「ね、この俺がおすすめするんだから。あんないい男が側にいるのにもったいないよ、狩沢さん。ま、ドタチンは自分のことには鈍いから頑張ってね」
「いやっ、なっ、無い無い無い! 私がドタチンを、なんて!」
今まで揺さぶられた分の仕返しとばかりに捲し立てる臨也に、狩沢はぶんぶんと首を振る。

臨也の思い付きは予想以上に功を奏したようである。実際のところ、彼女はここ最近は遊馬崎と一緒に朝から晩までアニメや小説に浸る日々を送り続けていたので、そんな話を振られるのは実に久しぶりのことだったのだ。

「何で? 結構お似合いだと思うよ?」
「ちょっと、冗談はやめてよイザイザー! 全然笑えないから!」

主導権を取り戻した臨也はいつものように着実に相手を自分のペースへと巻き込んでいく。他方の狩沢はと言えばシズイザかイザシズかという重大な問題は一時的に頭から消え去っており、端的に言って、非常に焦っていた。

―――私がドタチンを好き、なんて絶対ありえない!
―――なのに何で、こんなに………やっぱ、イザイザが凄腕なの?

臨也と静雄の代わりに危うく自分と門田の妄想が広がりそうになり、彼女は慌ててそれを打ち消した。そして臨也を見上げて更なる反論を試みようとする。
「イザイザ、私本当に……」
「―――それともさ」

それまでとは声の調子を変え、真顔になった臨也がすっと一歩、彼女の方へ近付いた。

―――え?

近付いた彼の体の影で自分の視界が薄暗くなるのを感じ、狩沢は反射的に後ずさった。しかし、彼女の後ろにはワゴン車という壁が存在する。

その壁に背中がぶつかるのを感じるのと同時に、

臨也の両手が、彼女の頭のすぐ右と左で、とん、っと壁に触れた。

「それともいっそ、俺にしとく?―――絵理華さん」

―――――――――――――――!!!???

車体と臨也に四方を囲まれる形になり、狩沢はさらに混乱する。これではまるで、人気のない路地裏で男が女に迫っている図である。

しかし、如何せんここは真昼間の公園なのであり、相手は人を操るのが本分の情報屋である。そもそも狩沢の中では臨也と静雄は既に完全なる両想いとして成立している。焦りはしても、彼の言葉を真に受けたりはしなかったのだが―――

少し前屈みになって近付けられた赤い瞳が妙に綺麗で、ただ見つめ返すことしかできなかった。


「なーんちゃって」

だが、二人が接近したのは時間にしてほんの数秒間のこと。
臨也はすぐに二、三歩後ろへ下がり、ニコニコとした顔の両側で降参のポーズをするように両手を挙げてみせる。

「冗談だよ。もちろん君のことは人間として愛してるけど、こんなとこ見られたら俺も誰かさんに嫉妬されちゃうからね。続きはドタチンとどうぞ。そういう妄想も結構楽しいかもよ? じゃ、お幸せにね」

ぽかんとした狩沢をその場に残し、臨也は公園から走り去っていく。



―――なんとか煙に巻けたかな。

溜め息を吐きつつも、臨也は足を止めずに走り続ける。

―――あれで当分は大丈夫だと思うけど……念のため、池袋で会いたくない人のブラックリストに彼女の名前を加えておこう。

誤魔化して逃げてはきたものの、臨也は静雄との付き合いを殊更に周囲に隠すつもりは無かった。どうせいつかはバレるのだろうから、静雄との関係ぐらいは潔く彼女に認めてしまっても良かったのだが……
彼の中の小さな独占欲が、それを許さなかったのだ。

「―――シズちゃんで妄想していいのは、俺だけなんだから」

楽しげに、臨也はそう呟いた。
そしてブラックリストの最上位に載っているはずの彼の恋人を探すため、足取りも軽やかに街へ出る。



一方、残されたワゴン車は沈黙に包まれていた。

門田はそろそろ間に入るべきかと運転席から降りていたのだが、彼が何か言うより早く臨也は話を切り上げて逃げて行ってしまった。何だかんだ言ってあいつも静雄並みのトラブルメーカーだからな、と臨也の後ろ姿を見送りながら軽く息を吐くと、立ち尽くしたままだった狩沢がぽつりと呟くのが聞こえた。

「―――さては、イザシズだな………?」

懲りない奴、と呆れつつ門田が狩沢に目を遣ると―――そこには先ほどの臨也のように右手で口元を覆って頬をピンク色に染める、何とも見慣れない彼女の姿があった。

―――冗談とは言え、臨也の奴に言い寄られてこんな風になるとは。
―――……何だ、こいつも、案外普通の女だな。

普通の女なら怒りだしかねないその台詞は、この場合恐らくは、褒め言葉。門田は何だか愉快な気持ちになって、小さく吹き出した。
すると、その笑い声でようやく彼の存在に気付いたらしい狩沢が勢いよく門田に向き直った。そして門田の顔を見つめながら何事かを真剣に思案する顔付きになり、そのまま数秒が経過した後に―――

「―――――――――!!!」

狩沢の顔はピンク色どころではなく、ぼんっという効果音が聞こえそうなほど耳まで一気に真っ赤になった。そしてそのまま、大慌てでワゴン車の後部座席へ飛び込んでいってしまう。

―――?

てっきり、「何見てんの、ドタチン!」と怒りだすと思ったのに。門田は更に見慣れない彼女の反応にきょとんとする。
一体何を考えてあんなに真っ赤になったのだろうかと首を捻ったとき、遊馬崎と渡草の二人が戻ってくるのが目に入った。そろそろ仕事に向かう時間である。門田はひとまず、その問題は忘れることにした。

―――ま、あいつらには今のことは内緒にしといてやるか。

相変わらずよく晴れ渡った空の下、門田は深呼吸をするように大きく伸びをする。


微かな非日常を内包した穏やかな時間が、ゆっくり、ゆっくりと池袋の街に流れていた。
作品名:sweet fancies 作家名:あずき