二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

彗クロ 1

INDEX|2ページ/24ページ|

次のページ前のページ
 

少年レグル





ND2021 Lorelei Decan Gnome 47

 レグルが生まれた瞬間から持ち合わせていた記憶はひどく断片的なものだった。それはおおよそ漠然とした不連続のビジョンとしてレグルには認識できたが、なにせ起承転結定かでないうえ弁士の口上を置き忘れてきた紙芝居のような塩梅で、しかも肝心の紙面に描かれているはずの「なにか」は概して知覚的には再現しようもない、実に感覚的かつ曖昧にもほどがある代物ばかりだった。そのくせ、そこに付随する感情ばかりが膨大で、生まれて間もない頃のレグルは少なからず振り回された。
 『それ』が自分ではない別の誰かのものであると唐突に悟った瞬間、レグルの世界は劇的に色彩を変えた。生後二ヶ月にもならない、ある日のことだった。最も初めに悲しみを知り、故に喜びをも覚え、以て怒りに昇華された。
 ために、レグル・フレッツェン齢およそ十三、若くして、この世のあまねく不条理に敢然と怒りを露わにして憚らぬ義侠の使徒であった。
「――烈破掌っ!」
 若木の枝に喩えるにもためらわれる幼い腕が突き出した掌底は、確実に狼藉者の懐を捉え、手ひどく打ち据えた。質量の足りない身体は自ら繰り出した技の反動で簡単に後ろに弾き出されてしまうが、レグルはあえて勢いに逆らわず、緩やかな放物線の終着に華麗に着地を決めた。頭部をすっぽり覆い隠す大判のバンダナを押さえながら、すっくと背筋を伸ばす。転々と昏倒する大の大人たちを睥睨し、右手に持った木刀を生意気らしく肩に担いで、満足げに鼻を鳴らした。
「終わったぜ、おっちゃん、おばちゃん」
 いかにも尊大に背後へと声を投げると、とれたて果実を満載した荷車の陰から、農家の夫妻がこわごわ顔を見せた。絵に描いた善良な一般庶民といった風情の夫が、レグルが作り出した惨状をおっかなびっくり覗き込んだ。
「や、やっちまったのかい……?」
「まっさか」
 レグルは碧の瞳をくりりと丸めて大仰に肩をすくめた。刃物の持ち歩きは禁止されている。十三歳の腕力をどれだけ買いかぶっているのか、とはあえて言わない。矜持と沽券に関わるデリケートな問題である。
「おれはね、人は殺さない主義なの。ボケたこと言ってないでこいつらふん縛るの手伝ってくれよ。すきっ腹のライガだってうっかり街道で昼寝ぶっこいちまいそうなこーんな平和な真っ昼間の野っ原で金目のモンもろくに積んでやしない荷車狙うようなチンケなハラヘリ盗賊だって、役所に突き出しゃ雀の涙くらいのはした金には化けんだろ」
「相変わらず口も金にも汚いねえあんたは。自治区に行けば配給だけで十分暮らせるんだろう?」
 同じく模範的な肝っ玉かあさんといった妻が、車引きのロバをなだめながら呆れ半ばにぼやいた。夫と協力してならず者たちに縄をかけていたレグルは、作業の手だけは止めずに、むっと眉を引き締めた。
「ざっけんなババァ、あれは配給じゃなくてれっきとした労働の対価だっ。いつまでもアタマかてーことヌかしてっとローレライの餌にしてやっかんな!」
「ばっババァ……!?」
「おれは、尊敬できない大人には敬意を払わない主義!」
「はは……レグルは厳しいなあ。悪かったね、今のは失言だった」
 妻の千倍人のよさそうな夫は、盗賊を縛る手を止めレグルの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。手を休めるのは非効率的だとかバンダナが外れるからあんまり触られるのは勘弁とか言うべきことはあったが、レグルは結局すべての文句を呑んでされるがままに大人しく撫でられておいた。純粋なスキンシップは、実は嫌いではない。これには妻の方が渋い顔をした。
「ちょっとあんた、その子の肩を持つ気かい」
「肩を持つもなにも、差別的なことを言ったのはこちらじゃあないか。レプリカ崇拝主義者に聞きつけられたら冗談じゃなく音譜帯に連れて行かれちまうよ」
「……よしとくれ、気が滅入る。そりゃあレプリカたちの境遇は気の毒だとは思わないでもないけど、連中は行き過ぎだよ。ただでさえ自治区が近くて物騒だってのに……」
「はんっ、テメェみてーな先入観バリッバリの埃くせぇノーミソ首の上に括りつけただけのオリジナルせんせぇがさっぱり減らねーから、お空の上のローレライがムカついて同士討ちさせてんじゃねーのっ? 同族同士削り合いしてくれるなんざ、こっちとしちゃあせーせーだね!」
「あんたねぇ……子供だからって大概にしなよ!?」
「ちょ、ちょっとお前たち、もうそのへんで――」
 子供と大人の大人げないいがみ合いをとりなす良心の人は、しかしそれ以上の言葉を発することができなかった。
 のけぞる夫の喉に黒光りする短刀があてがわれているのを認め、レグルは瞬時にして一瞬前までの自分自身をこそ音譜帯に召し上げたい衝動に駆られた。
 追い剥ぎ三人組の、最後の一人。最後に昏倒させたがゆえに、最後に縄をうつ予定だった、最も凶悪な面構えの男。
 甘かった。掌底の入りも、その後の始末も。なにより、風体も明らかに頭目らしいこの男を侮った、レグル自身の心眼も。
 一拍遅く、ようやく状況を悟ったらしい妻がか細く悲鳴を上げた。それさえ男の癇を刺激し「騒ぐんじゃねえっ!」とドスの効いた恫喝が振り下ろされた。刃がきらめき、人質の喉が上から下へと薄くゆっくり動く。
 とっさに構えた木刀は、男をしっかりと正面に捉えていたが、それが何にもならないことはレグルが一番理解していた。男は凶相をじわりと歪めた。
「動くんじゃねえぞガキィ。さっきはよくもやってくれたなーあ?」
「……っからなんだってんだクソ野郎、自分かわいさに平気で同族殺しくさるテメェらなんか怖かねぇぞカス野郎」
「およしっ、挑発するんじゃないよ……っ!」
 低く吐き捨てるレグルを、妻の悲鳴じみた制止がぴしゃりと叩いた。レグルは奥歯を噛みしめた。わかっている。強がってみせたのは自己満足だ。解決のための方策など、レグルには欠片も思いつかない。
 煮えくり返るはらわたを懸命に自制して、レグルは構えを解いた。木刀の切っ先が下げられたのを見て、男は満足げな愉悦を浮かべた。
「そう、賢く生きろよ坊主。――女ぁ、そいつ取り上げてこのガキ殴れ」
「な、何言って……」
「さっき面白ぇ話してたじゃねえか。そいつ、レプリカなんだろう?」
 ――まずい流れだ。柄を握る右手に汗が滲むのを自覚した瞬間、突然の力に木刀をひったくられ、ふり返る隙すら与えられず激痛が背中を走った。休む間もなく二度三度と打ち下ろされ、レグルの細っこい躯はあっけなく地面に這いつくばった。脊椎に響く衝撃に、息をするのもままならない。畑仕事しか知らない女の腕でも渾身の力を込めて振り下ろせば、レグルのような子供など木刀一本で簡単に征服されてしまうのだ。
 レグルはありったけの意気地を総動員して苦痛のうめきを押し殺しながら、死に物狂いで凶相の男への怒りを燃え上がらせることで理不尽な暴力を耐え抜いた。そうでもしなければ恨んでしまいそうだったからだ。不条理にあっけなく屈した女の弱さを恨みたくはなかった。なにかを恨んだり憎んだりした瞬間に、もっと大切ななにかを失うだろうことを、レグルは漠然と理解していた。
作品名:彗クロ 1 作家名:朝脱走犯