認識は明日イーハトーブで
どこぞの国の世界の次元のものとも知れぬ、薔薇のにおいがずっときつく惑わすように薫っている。ただ我々はこのような超次元的な世界でこそ生身の会話が出来るのかもしれないと本田は思っていたし、それについては物言わぬフランシスもまた、たぶんそうなのであろう。何しろ現実世界でふたりが会話をしようものなら、政治的なオブラートやよそよそしいジョーク、義務的な抱擁なんかでその世界が欺瞞にまみれることは最早必須であったから。
本田とフランシスはその役割から解放されて、絶対的な個人対個人でいま、この正体のない薔薇園で向かい合っている。ふた揃えの清潔な靴が、視認出来ない陽光に晒されて下品に――人間の持ち物で下品でないものはたぶん一つもない――照りを返していた。それなら。それならば。
そうですねこのままいただきましょうか、と、本田はその一種独特な陰鬱さを隠さないまま言葉を抽出して世界にぶつけた。存分に味わえよ、と、余裕げにフランシスは言うので本田は益々やわらかな感性を刺激されるが、対する人はどうやっても気がつかない。もうこれは、どうやったって仕方がないというのは本田がとうとう理解した事実で、そのいかにも奔放な、自由な、したたかさと無垢とを同時に孕んだ「フランシスという個体」には、どんな愛の言葉だって性的拘束だって上滑りしてゆくことを悟ったからであった。
「冷酷というのなら、私もまたそうなんでしょう」
「確かに優柔不断だが、日本が優しいとは俺も思わんね」
「それが私なのだから仕方がない」
「俺が、こうであるように」
「あなたがそうであるように。だから、ここでは」
遊びみたいな性交渉は、遊びみたいな空間でそうやってはじまる。互い違いの個体がこんな風に混じり合うことを本田は不思議に思ったけれども、彼の芯に持つ、うすら寒いような冷酷さがそんなものをすべてかき消しては止まなかった。
満開に咲き誇る、異国の花々の誇示するにおいがする。視認出来ない太陽の斜日はまだ、いつまでだってはじまらない。
作品名:認識は明日イーハトーブで 作家名:csk