パッカ君がみてる
「座っているよ?」
「俺が言っているのは脚を…」
村越がジーノの脚を直そうと触れた途端に、ジーノは小さく「あ」と呟いて、村越の手から脚を退けた。
らしからぬジーノの態度に村越は目を上げた。村越を見つめ返しはしたが、ジーノの表情は読めなかった。
「村越先生、王子は…」
「いいよ、バッキー。ボクから説明するから。…実はボクの脚は、あまり…強い方じゃないんだ」
村越は息を呑んだ。
「…すまない」
「ううん、気にしないで。ほら、コッシーもバッキーもどんどん食べるといいよ!」
ジーノの声は明るかった。より一層、村越の目は、ジャージに隠されたジーノの脚に引付けられそうになり、村越は己に自制を課した。
行きはよいよい帰りはこわい、という童謡ではないが、登り道より下りのほうが体の負担は大きいものだ。
「慌てずにしっかりと歩くように」と生徒達に伝え、村越は後方から生徒達を見守った。ジーノと椿は村越の目が届く範囲で歩いている。登ったときと同じく楽しそうだ。
昼での一件で、村越はジーノの体調に注意をしなければと心に留めた。
椿が草笛を作って吹いてみせると、ジーノはボクにも作ってよと椿にねだり、歩きながら椿に吹き方を教わる。すぐに音階まで鳴らせるようになり、椿は「王子すごい」と彼にもし尻尾があったならそれはうれしそうに振られただろう、そんな顔でジーノを見つめた。
子犬のようなプティ・スールのまっすぐな感動に鷹揚な笑みを浮かべてジーノは胸の前に笛をかざした。
「これからはこの笛を吹いたらバッキーはすぐにボクのところに来るんだよ」
「え!」
「フフ、ザッキーの分も作っておこうね」
もう一人のスールである赤崎がジーノにそうからかわれて思い切り据わった目が思い浮かんだ椿はわたわたと慌てた。
しどろもどろに「王子、やめたほうが…ザキさんは…きっと…」と、山道の途中で頭上の木々を見上げながら留守番をさせている番犬の笛のための木の葉を選んでる最中のジーノの背中に向かって訴えたが、もちろんジーノは聞いてなかった。
彼に求められたものは一つ。
ジーノはこれという葉を見つけると、椿を振り返って、頭上の木のひとつを指し示した。
「バッキー、飛んでごらん」
彼の姉(グラン・スール)は機嫌のよい様子で妹からの「はい」という返事が当たり前のように引き出せると疑わない。
そして王子の顔を見ていると、まるで見えない糸で引き出されるように椿の喉は声が出掛かるのだった。
「…は…」
「待て、ジーノ」
村越は見かねて割り込んだ。
「危ないだろう、グラウンドじゃないんだ。後輩に無理を言うな」
「え、あ、でも、おれ…飛べます!」
「バッキーのジャンプ力はすごいんだよ、でもそうだね、コッシーが言うならやめておこうか。代わりにボクがとるよ」
「…おい!」
「なんだい、コッシー」
返事はするものの、ジーノはバスケットを不安なそうな椿に預けると、村越の顔も見ずに、頭上の木と自分の距離を目で測っている。
「お前、脚は」
「なんともないよ。…なにか心配?」
ジーノ、と呼びかける低い声には底にくぐもる怒気があったが、ことさらジーノは意に介さずハハッと明るく声を立てて笑った。
村越はジーノのジャージ姿の細い背中を睨むように見据える。そして、背中からしなやかなラインで流れる身体の描線のその下を脳裏に掠める。昨日の夕方、自分を振り返ったジーノの脚の白さ。
あの、脚。
「バッキー、観てるんだよ。飼い主のボクがお手本を見せてあげるんだからね!…あれ、どうしたんだいバッキー、そんなおかしな顔し…!?」
目の前で慌てだした子犬に目を丸くしていたら、ジーノは膝下を両側から強い力で掴まれ、脚の間を割り込まれて、割り込んできたものにあっと言う間もなくその身体を持ち上げられた。