誰が為に咲く花
名前ですか?帝人と申します。
はい、仰々しい名前でございましょう。なかなか便利なのですよ、この名前はとかく、人にすぐ覚えていただけるので。
彫師をしております。ええ、刺青です。やくざ者や火消し、博徒のお客が多いですね。最近は鳶職の方、飛脚の方なんかもよくいらっしゃいます。中には義理堅い方もいらっしゃって、お客を紹介していただけることもありますので、ぎりぎりではありますが、なんとか彫り物だけで食べています。
・・・聞きたいのは、あの人の話でしたね。
何からお話すべきでしょうか。
ええ、そうですね。僕があの悪党と出会ったのは、二年ほど前のことになります。当時僕は十五の歳、彫師として独り立ちをしたばかりで、日々の生活がやっとという有様でした。
悪党と言いますのは比喩ではありません。臨也さんは本当の意味で悪党でした。他人を落としいれ、いいように扱い、そうして壊れてゆく様を見て喜ぶような、そういう純粋な悪党です。そうです、最低の男でした。僕も何度そう思ったか知れません。でも、愛していました。
ええ、話を戻します。僕はそのとき新しくできたという色料の店を冷やかしていましたが、その店はまっとうなお店ではありませんで、そうとは知らずに僕は、いま少しで阿片の粉を売りつけられるところだったのです。そこを、無理やり店から連れ出すようにして助けてくださったのが臨也さんでした。ええ、勿論今はその店はございません。お役所が取調べをしまして、ずいぶん前に潰れました。おそらくそれも後ろで糸を引いていたのはあの人でしょうけれど。臨也さんは僕をただ助けたのではなくて、対価を求めました。十日ほど、僕の家に匿えと要求したのです。
あの人は役者のように整った顔をしていて、すらりとした体躯の、柳のようにつかみどころのない人でした。着物も帯も下駄の鼻緒さえ真っ黒にしていたので、町中ではたいそう目立ったのです。匿えと言うからには相応の理由が勿論あったのでしょう、例えば、厄介なものに手を出して追われているとか。
本当のことを言うと、厄介な人に関わってしまったなあと、そのときはそんなふうにしか思っておりませんでした。何しろ相手は悪党ですからね。けれど、僕の家は竜ヶ峰神社のすぐ横にありますから、ご存知でしょうか、あの辺りは静かで人通りもそう多くなく、隠れるには最適だったのです。
臨也さんは十日の逗留を、何をするでもなくだらだらと過ごして、きっかり十日で出て行きました。意外だったのはずいぶん大人しくしていたことと、それから、僕の仕事に興味を持ったらしいことでした。僕が図案に起している花の絵などをしげしげと見詰めたり、色を調合しているのに質問を投げたり、彫るところを見たいといったり。何がそれほど興味深かったのは分かりませんが、とにかくすっかりあの人に気に入られてしまったのだと知ったのは、それからしばらくしてもう一度あの人が僕の前に現れたときでした。
臨也さんは僕にぽんと金子を投げて、しばらく置いてくれと言いました。今度は追われているのではなくて、単に僕の仕事を見たいからだと。
それからです、僕とあの人の奇妙な縁が始まったのは。
臨也さんは本当の意味で、純粋なまでに、体の芯から悪党でした。人の不幸を無邪気に喜び、四方八方から恨まれて嫌われて畏怖されておりました。けれども彼は不思議なことに、僕に対してはとても子供じみた態度で接してくるので、ほだされてはいけない、心を許してはいけないとは思うものの、流されてしまうことばかりでした。
実際、彼の逗留中は金に困ることがなかったので、僕のような貧乏人にはありがたいものもありました。外では気を張り詰めて隙を見せないあの悪党が、僕の前では猫のように眠りこける、その落差が少し嬉しかったのもあります。そう、懐かない猫が自分にだけ懐くような感慨深さです。実際にあの人が他人の家に泊まるなんていうのは僕のところだけで、僕はあとからそれを知ってますます、あの人に絆されていったのです。
なんと単純なことだろうと笑うでしょうか。いえ、自分でもそう思います。今でも僕があの人の特別だったのだろうと、愚かにも信じているのです。
臨也さんは僕の手が好きでした。職人の手、まめのできた、この手。両手で包むようにこの手を握り、形をなぞり、帝人君の手はすごいねえと無邪気に笑うあの人のことを、僕は抱きしめたいと思いました。相手は悪党です、分かっているのです。何人もを破滅させ、不幸のどん底に叩き落し、それで甘露甘露と笑う、そういう男です。けれども、仕事がうまくいかずに落ち込んでいるとき、黙って隣に寄り添ってくれたのも、味付けに失敗した料理を、美味しいよと笑って全部食べてくれたのも、お金がなくて買えなかった色料を、何かのついでのように買って投げてよこしてくれたのも、そして刺青を彫る痛みに暴れたお客が僕を殴りつけようとたとき、代わりに殴られてくれたのも、臨也さんでした。
僕には優しかったのです。なんとも陳腐な表現と思われるかもしれません。使い古された言葉です。けれどもやはり、僕にはそれしか表現する言葉が見つかりません。臨也さんはたしかに悪党ですが、僕には優しかったのです。
丁度、一年ほど前の、こんな風に暑い日の夜でした。
いつもはそんなに遅い時間に来ることはなかったのですが、珍しく僕がもうそろそろ寝ようかというころに臨也さんが顔を出して、やけに神妙な顔で刺青を彫って欲しいと言いました。本当なら、明日にしろと言って追い返すところですが、臨也さんの珍しい表情を見るとそう無碍にもできません。
大体それまで興味深く仕事を眺めていたけれど、自分に彫って欲しいと言い出したのはそれがはじめてでした。いつも、こんなに痛そうなことを平気で施すなんて、帝人君は虫も殺さないような顔をしているというのに面白いなあ等と、そんなことばかり言って笑っているような人でしたから。
どうしたのですか、と僕は問いました。何かあったのでしょう、と。けれども臨也さんは小さく笑って、君の手で刺青を入れて欲しいと、そう繰り返すばかりでした。
予感がしなかったといわれれば、嘘になります。いいえ、はっきりとそのとき僕は、あの人との別れを感じていたのだと思います。多分何かヘマをして、命が危うくなったのでしょう。だからわかりましたと、彫りましょうと、答えたのです。
臨也さんは有難うと、彼岸花にしてくれるかと、僕に言いました。意外そうな顔をなさいますね。ええ、彼岸花は確かに縁起の悪い花です。死人花、地獄花、幽霊花と呼ばれる不吉なもので、俺にぴったりだろうとあの人は笑いました。けれどもあの花は、仏教の世界では曼珠沙華、天上の花とも呼ばれるそうです。その相反する印象を併せ持つところが、確かにあの人にぴったりでした。毒があるくせに、毒を抜けば食べられるところも似ていますね。