家族ごっこ【上】
#4
「僕の両親への挨拶も済んだことだし、次は君のご両親にご報告しに行かないとね」
翌週末、会うなりそう言い出した望に、坂上は表情を曇らせた。
「ん?どうしたんだい、そんな顔して」
「すみません、望さん……僕には望さんにご紹介できる人なんて、いないんです」
「え?それってどういう……」
望は問い返しかけたが、何かに思い当たったのか口をつぐんだ。
「……そうか。なら、なおさら早く結婚しないとね」
「え?」
「実はあれからお母様とお話して、身内だけで小さく式をあげることにしたんだ。身内っていっても、仲人に僕の友人を呼んでね。君も、結婚式に呼べる友人くらいはいるんだろう?」
「まあ、多少はいますけど……」
坂上は、あれから親しくなった元木早苗や、高校時代のクラスメイトで友人の斉藤のことなどを思い浮かべた。
「でも、式をあげるなんて、本気なんですか?」
いまだに結婚云々の話を了承したつもりなどない坂上は、怖々と尋ねた。
「もちろん。冗談でこんなこと言うはずないじゃないか。式の日取りだけど、大袈裟なものじゃないし、早い方がいいね。来月なんてどうだい?」
さも当たり前と言わんばかりに話を進めていく望に、坂上は内心どうやってはぐらかそうかと悩んでいたが、結局観念した。帰宅しても「おかえり」と迎えてくれる者がいない日々に寂しさを募らせていたのだ。望、そして荒井家に理想の家族を求めたのは坂上の方だった。
坂上から「結婚式に出席してほしい」と言われた斉藤は、驚きと動揺で目を丸くした。
「お前、ホモだったのか?っていうか、男同士で結婚式なんてできるんだな」
「ち、違う。結婚なんてあの人なりの言い回しだから気にするなよ。そういうのじゃなくて、きっと荒井家の人達は、僕を家族として受け入れてくれるつもりなんだ」
慌てて言い繕いながら、我ながらいい考えだと思った。
「へえ。よくわからないけど、それならよかったな。式には必ず出席するから」
坂上の事情を知り、恵美のことがあってからも何かと気にかけていた斉藤は、坂上のしあわせを我が事のように喜んだ。
坂上はそれから仲人に引き合わされた。仲人とはいっても名目上のことで、式の司会進行をつとめるというだけのことらしい。
「友人の綾小路だよ」
紹介を受けて望の隣に立った男は、望ほどではないが坂上より頭ひとつ分ほど背が高く、整った容貌をしていた。それだけならさぞかし女性にもてただろうが、口元のマスクが、彼の雰囲気を異様なものにしていた。
「で、綾小路。この子が僕のハニー、坂上修一さ。くれぐれも手は出さないように」
「ハニーじゃないですけど、よろしくお願いします」
お世話になるのだからと頭を下げた坂上は、再び頭を上げた時、綾小路の驚いたような視線に出くわした。
「あの……?」
「何だい綾小路、修一から何か普通じゃない臭いでもするの?」
普通じゃない臭いって何だ。坂上は少し傷ついたが、すぐに注意は綾小路に向かった。彼がマスクを取ったからだ。
「驚いたな……坂上君、と言ったか。君は何か体臭対策でもしているのか?」
「え?体臭、ですか?いえ、特に何も」
「綾小路、話が見えないんだけど?」
それはこちらのセリフだ。一体何なのだろう。望と坂上双方から訝しげな視線を受けて、綾小路は躊躇いがちにわけを話した。
「いや……人間誰でも多少は悪臭を放ってるものなんだけど……ああ望、気を悪くしないでくれよ。大抵の場合はいちいち気にしないレベルだからな。……なんだが、坂上君、君はそういう臭いが一切しないんだ。むしろ君の臭いは、すごく……」
「いい臭いなんだね?わかるよ。僕もいつも修一の臭いに癒されているからね」
「ちょっと、待ってください。何なんですか、その、臭いって」
体臭の癒し効果についても是非問いただしたいが後回しだ。坂上は顔中に疑問符を浮かべてふたりを見上げた。首が痛くなりそうだった。
「綾小路は、半端なく嗅覚が優れているのさ。まあ、そのせいで色々あるみたいだけどね」
当人はその紹介にいやそうな顔をしたが、結局何も言わなかった。
「もう一度念を押しておくけど、いくら修一の臭いが魅力的だからって、僕のものだからね。手は出さないでくれよ。臭いを少し嗅ぐぐらいなら許可してあげるけど、そうだな、一日一万円でどうだい?格安だろう?……何だい、その顔は。だって君には大川がいるじゃないか。君が修一に手を出したら、災難が修一にもふりかかってくるかもしれないだろう?」
離れがたいそぶりを見せる綾小路を追い払って、望は不満そうに口を尖らせた。 それを聞いた坂上は、綾小路には大川という嫉妬深い彼女がいるのだろうと考えた。
「じゃあ結婚式にその大川さんもお呼びするんですか?」
何気なく尋ねると意外にもリアクションを示したのは望だった。
「とんでもない!大川に修一を引き合わせるなんて冗談じゃないよ。万が一大川が綾小路に飽きて、修一に心変わりしたら……!ああ、考えただけでもぞっとするよ」
その様子を見た坂上は、大川さんとやらはよっぽど美人なんだな、とのんきに考えた。話を聞いていた綾小路は「心変わりしてくれたらこっちは助かるんだが。坂上君じゃなくて、望とかに…」と呟いたが、離れていたのでふたりには聞こえていなかった。もし聞いていたら、望は黙っていなかっただろう。