家族ごっこ【上】
#3
それから頻繁に望と連絡を取り合い、ほぼ毎週末を共に過ごすまでになった。ある朝、いつものように坂上を呼び出した望は、両手いっぱいの薔薇の花束を突き出して、とんでもないことをのたまった。
「結婚しよう修一。僕の家族になってほしいんだ」
プロポーズの言葉は意外にも殊勝だったが、坂上は驚愕のあまり「昨日までは“坂上君”だったのになぁ」と、少々ピントのずれた事を考えた。
「早速だけど、僕の両親に会ってもらうよ。ああ、緊張しなくていいさ」
返事が無いのをOKだと受け取ったのか、はなから断られるなど考えも及ばないのか、望はそのまま話を進めていく。
「あの」
「何だい」
「僕も望さんも、男ですけど」
何はさておき、日本の法律はそれを認めていない筈だった。
「何だ、そんなことまったく問題にならないよ。何故って、僕はスンバラリア星人だからさ。男とか女とか、関係ないんだよ。大丈夫、君に赤ちゃんを生んでもらうことだってできるんだからね」
まったくもってわけがわからないことを言い出した望に、坂上は「これはいつもの冗談なんだ」と思い込もうとした。
「でも、まあ、さしあたっては籍を入れなくてもいいんだ。ただ君とひとつ屋根の下で暮らしたいだけだからね」
冗談ではないらしい。坂上は車の助手席で頭を抱えたが、荒井家の屋敷につく頃には「同棲くらいなら別にいいか」という境地に達していた。
荒井家は予想以上の豪邸だった。四方を高い壁で囲い、鉄の門扉はまるで来客を拒むかのように閂をされている。隙間から僅かに覗く庭園は欝蒼と茂る緑に覆われ、その先にある筈の洋風の屋敷を隠していた。望は家人に閂を外すよう言って、車を敷地内に乗り入れた。適当な所に停め、やってきた家人に軽く手を振る。よく見るとそれは、坂上と同じくらいの年頃の若い女性だった。
「珍しいね玲子。お前が休日に家にいるなんて」
「ちょっと体調が悪くて。気乗りしないからデートキャンセルしちゃったんだ。ところで、彼が?」
「ああ、坂上修一。僕の未来の奥さんさ」
「……違いますよっ!」
危うく聞き流すところだった。慌てて否定すると、玲子はキャハハ、と明るく笑った。
「はじめましてぇ。妹の玲子です。その節は、どたキャンしちゃってごめんね?でも、それがきっかけで望兄さんと仲良くなったんだからよかったよね!あれ?ってことは私ってキューピッドなんじゃない?キャハハ」
玲子は一方的に喋り倒すと、先に屋敷の方へ歩き出した。
(よく笑う人だなぁ)
坂上は呆気にとられて彼女の背中を見送ったが、やがて望に額を小突かれた。
「あいたっ」
「突っ立ってないで、行くよ」
望の父母や他の兄弟は、どんな人たちなのだろう。そう考えると俄然わくわくしてきた坂上は、胸を弾ませながら望の後を追った。
玄関に足を踏み入れると、丁度水の流れる音がして、廊下の突き当たりにあるドアが開いた。中から出てきたのは、恐らく坂上と年が近いであろう、メタボ気味の男だ。彼も、望の家族だろうか。
「友晴君、またトイレにこもってたんだ」
「なんだい友晴、休日に家にいるなんて。可哀相に、一緒に遊ぶ友達もいないんだろうね」
「あ……おかえりなさい、望兄さん、玲子姉さん。……お客様?」
どうやら彼はふたりの弟らしい。慣れているのか兄姉のきつい言葉は聞き流し、坂上に興味の視線を向ける。
「あ、こんにちは。坂上修一です。望さんにはいつもお世話になっていて……」
「ああ、噂の修一君かぁ。うふふ、噂は望兄さんから聞いてるよ。……想像通りの人みたいで嬉しいなぁ。あ、僕は」
「弟の友晴だよ。君よりひとつ年上で、北聖大学の二年生さ。今はこんななりだから信じられないかもしれないけど、痩せさえすれば僕に似て中々イケメンなんじゃないかと思うよ。実際は見てのとおりだから、兄としては恥ずかしいかぎりだね」
「痩せてるとこなんて見たことないけどねぇ、キャハハ!」
坂上は見た。にこにこしていた友晴の顔が一瞬歪み、肩をすくめて大袈裟に嘆く兄に、怨念こもった眼差しで背後から睨みつけるのを。しかし友晴はすぐに笑顔に戻って坂上に手を差し出した。
「そんなわけで、よろしくね坂上君。君とは仲良くなれそうだよ」
「あ、はい。よろしくお願いします友晴さん」
反射的に握った友晴の手はホカホカとあたたかく、少し汗ばんでいた。
「ところで友晴、お母様とダディは家にいるだろうね」
「うん、ふたりともリビングにいたと思う」
「それはよかった。ふたりに修一を紹介したいからね。さあ修一、こっちだよ」
「あ、はい」
望に手首を掴まれ、よろめきながら前に進む。背後では玲子が友晴にお茶を用意するように言い付けていた。
「よろしくね?」
「はい、玲子姉さん」
友晴は幸せそうにニタリと笑って、キッチンに姿を消した。
リビングに入ると、ソファに腰掛ける女性の姿が先ず目に入った。
「お帰りなさい、望、玲子。……その子は?」
「ただいまぁ♪」
「ただいまお母様。昨日話した坂上修一だよ。彼を妻にしたいと思ってる」
「なっ!」
まだその冗談が続いていたのか。ご両親の前で口にしなくたって、と坂上は慌てた。しかし望の母親は瞳を眇めて坂上に微笑みかけた。
「そう。はじめまして、修一君。望の母の明美よ。望をよろしくお願いね」
「あの、よろしくお願いします……」
よく見ると、明美は美しい女性だった。長い黒髪、赤い唇、魅力的な瞳。二十代であろう望の母親ということは、若くても四十代後半であろうが、とてもそうとは思えない。坂上は、嫁云々を否定するのも忘れて彼女に見とれた。
「嫁って、男じゃねぇか」
聞き慣れぬ男の声で我にかえった。どこから聞こえたのかと辺りを見回すと部屋の隅にぶら下がるサンドバックに拳を打ち込む男の姿に気付いた。
「お休みでもボクシングかいダディ」
「さぼってるとなまっちまうからな。ところで、坂上だったか。お前、ボクシングやったらどうだ?女みてぇだしチビだし、見てらんねぇぜ」
「え?あの?」
望の父親らしいその男は一旦手を止めると、タオルで汗を拭いつつ坂上の前にやってきた。
「俺が荒井家の家長、誠だ。ボクシングはいいぞ坂上」
「は、はあ……よろしくお願いします……?」
呆気に取られる坂上に、玲子はキャハハと笑いかけた。
「お父様はね、ボクシングジムのトレーナーなんだよ。すごく強いんだから。坂上君もジムに通ったら?今からでも鍛えればたくましくなれちゃうかもよ?キャハハ!」
「ダディも玲子もわかっていないね。修一はこのままでいいんだよ。可愛いから」
「望の言うとおり、修一君はそのままがいいわね」
おかしな人たちだ。間違いなく変人家族だ。
坂上はつっこむ気力もなく呆然とした。