フェイクラヴァーズ
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秋が深まり、冬の気配さえ感じ始めた十月下旬。昼休みのうちに日野に放課後新聞部の部室に来るように言われていた新堂は、面倒に思いながらも部室棟に向かった。
新堂自身は夏休みを境に部活動を引退し受験勉強に専念していたが、もとより優秀である日野は未だに新聞部に顔を出しては、後輩の指導に励んでいるらしい。
利己的に見えて意外に面倒見がよく、他人の事まで責任を背負い込みながら、それを決して負担にはしない、新堂は日野のそういった部分を彼の美質として認めていた──本人に面と向かって伝えることはないが。
「来たか」
部室に入ると、日野はひとりで椅子に腰掛け、テーブルに肘をついて俯いていた。新堂に気付くと顔をあげ、普段通りを装って笑いかけてきたが、隠しきれない憔悴が窺える。
昼間は気付かなかったが、前回顔を合わせたときよりも若干頬がこけ、やつれているようだ。
新堂は訝りながらも、用意されていた席に腰を下ろした。
「どうしたんだよ、急に呼び出して」
「ああ……少し相談したいことがあるんだ」
「相談?珍しいな、お前が人に助けを求めるなんてよ。ああ、だから今日は天気が悪いのか。見ろよ、今にも降り出しそうじゃねぇか。傘なんて持ってきてねぇんだが。──で、何があったんだ?」
「それは、他の奴らが来てから話す」
「何だ、ほかにも呼んでる奴がいたのかよ。いつものメンバーか?」
「ああ」
それきり会話は途切れ、何をするともなしに待っていると、やがて「いつものメンバー」が続々とやってきた。
「あら、新堂君。早いわね」
三年の岩下明美。
「おや。一学期の例の会合を思い出しますね」
二年の荒井昭二。
「こんにちはぁ。日野さん、少し痩せました?」
一年の福沢玲子。
「まったく、忙しい僕を放課後に呼び出すなんて、よっぽどの理由があるんだろうね?」
三年の風間望。
「はぁ、はぁ。遅れてすみません、トイレが長引いちゃって」
二年の細田友晴。
新堂を含め、クラスも個性もバラバラな六人の共通点は、日野の知人であるということだけだ。こうして日野に呼ばれでもしない限り、個人的につるみもしない。
とはいえ、それぞれがある目的のために自由意思で頻繁に新聞部に訪れる為に顔を合わせる機会は多く、六人の関係は知人以上友人未満といったところだった。
目的とは、新聞部に所属するある人物に会うこと。日野ではない。六月に行われた七不思議の集会で聞き役を務めた一年生、坂上修一だ。六人は意味や程度は違えど揃って彼に好意を抱き、親交を深めようと新聞部に通い詰めているのだった。
全員が揃うと、日野は深刻な顔をして切り出した。
「実は……一週間ほど前からストーカーに遭っているんだ」
「何を言い出すかと思えば。君、男に追い掛けられてるのかい?てっきり、君自身が追い掛ける方だとばかり思っていたよ」
「違う。女のストーカーだ」
「へぇ。女にもいるんだな」
「あら、ある意味女の子の方が怖いんじゃないかしら。うふふふ」
「それで、具体的にはどういった被害に遭われているんでしょうか。相手の方は知人ですか?」
荒井の質問に、日野は僅かに肩を震わせながら答えた。
「それがな。かなり陰湿なんだ。あれは、好いている人間に対してやることじゃないぜ。
はじめは、妙に視線を感じるという程度だった。
そのうち、家に無言電話がかかってくるようになってな。
更には下駄箱に毎日手紙が入ってるんだ。
赤いインクで、前日の俺の行動を克明に記してあるのさ。
それだけでも気味が悪いのに、日曜日には自宅に手紙が届いた。もちろん差出人不明だ。
中から出てきたのは、黒くて長い女の髪、ちょうど岩下くらいの長さだな。それと、短い髪。その二本に、赤い糸がほどけないほど複雑に絡んでいた。
よく見てみると、短い方の髪は、どうも俺の髪みたいでな。
……その夜、また無言電話がかかってきた。さすがに参っていた俺は、つい相手に怒鳴ったんだ。
“いい加減にしてくれ、俺のことが好きなら、直接会って話せばいいだろう”、ってな。
すると、電話の向こうの相手は急に笑い出した。荒井みたいにな。
『ひひひひひ……いま、逢いに行くわ……』
地獄から響くような、不気味な声だったよ。
俺はそれから誰か来やしないかと待っていたが、日付が変わっても誰も来なかった。
それで俺は安心して、勉強をきりあげてベッドに横になったんだ。
……しばらくして、窓を叩く音がした。俺の部屋は一階にあるからな。それ自体はおかしなことじゃない。
けど、真夜中だ。最初は気のせいだと思い込もうとした。だが、窓を叩く音は途切れない。それどころか段々、大きく、激しくなっていく。
コツコツ、コンコン、バシバシ、バンバン、ガスガス、ガンガン、ゴツゴツ、ゴンゴン、ドスドス、ドンドンドンドンドン!
はじめは怯えていた俺も、あまりの騒音に腹がたってきてな。文句のひとつでも言ってやろうと思って起き上がり、勢いよくカーテンを開けたんだ。
……血の気が引いたよ。
青白い顔の女が髪を振り乱し、丁度網戸にとまる蝿のような恰好で窓に張り付いて、眼球が零れそうなほど目を大きく開き、俺をじぃっと凝視めていたんだからな……。
そのあとの事は覚えていない。気付いたら朝になっていたんだ。
とにかくあの女は相当やばいよ。何とかしたいんだが……」
日野が話し終わると、六人は六様に呆気に取られたような顔をした。
「お前、そりゃストーカーっていうか、オカルトじゃねぇか」
はじめに口を開いたのは新堂だった。
「確かに、幽霊っぽいですよねぇ。私たちに相談するのって筋違いじゃないですか?」
福沢も新堂の意見に賛成のようだ。
「僕たちじゃなくて、オカルト同好会だっけ?あそこに相談してみたらいいんじゃないの?」
風間は引きつった顔でそう言った。
「おいおい、何を言い出すんだよお前ら。オカルトだの幽霊だの、そんなもんあるわけねぇだろ。ありゃ、生身の人間だ。だから怖いんじゃないか。幽霊が電話してきたっていうのかよ」
「ありえない話ではありませんよ。霊界からの電話というのは、かなり昔からよく語られている怪談ですしね。まぁ今回の場合は、僕も人間の仕業だと思いますが」
「そうだよなぁ、荒井!」
追い詰められてノイローゼ気味になっているせいか、日野は荒井の言葉に涙ぐんだ。
「……どちらでも構わないけど、貴方、結局その女に見覚えはあったの?」
沈黙を保っていた岩下がようやく口を開く。その問い掛けに、日野は曖昧に頷いた。
「ああ、多分……小学校の同級生だ。名前は……何と言ったかな。アルバムで確かめようとしたんだが、何処にしまったのかみつからなくてな」
「それで?私達にどうしてほしいのかしら」
「ああ、先ず岩下か福沢のどちらかに頼みたいことがある」
「えっ?何ですか?」
唐突に名前を出されて、福沢は驚いたように身体をびくつかせた。どうやら先程の日野の体験談に本気で怯えていたらしい。
「しばらく、俺の恋人のふりをしてくれないか?」