フェイクラヴァーズ
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翌日の朝、登校するなり下駄箱の前で日野の姿をみつけた新堂は、やや強めにその背中を叩いた。
「よぉ、日野。神田の奴に聞いたぜ。作戦は首尾よく進んでるみたいじゃねぇか」
からかい半分に声をかけるも、日野の反応は無い。それどころか、顔を真っ青にしてフリーズしていた。
「おい……」
新堂はそこで先日の日野の話を思い出した──毎朝下駄箱に入っている、ストーカーからの不気味な手紙。作戦が動き出した今、ストーカーからそれに対して何らかのリアクションがあってもおかしくはない。
新堂は恐る恐る日野の視線の先に目を向けた。開きっぱなしの日野の靴箱の中に入っていたのは、赤いチェックの袋に包まれたランチボックスだった。
「これって」
日野の手からひらりと白い紙が舞い落ちる。新堂は不審に思ってそれを拾い上げ、すべてを理解した。
〈他の女の作った料理なんてどうして食べたの?そんなにお弁当が食べたいなら私が毎日作ってあげるわ。たっぷり愛情をこめて。〉
「……これ、食うのか?」
「まさか!何が入ってるかわかったもんじゃないだろ」
「じゃあ、食わずに放置する気かよ」
「いや、それはまずい」
「だよなぁ……」
こんなもの、中身を確かめることさえ恐ろしい。
日野はひとまず弁当を鞄の中に突っ込むと、険しい顔をして歩き出した。
「やはり協力者を割り出そう。考えてみれば本人が毎朝手紙を届けに来るのは無理がある。協力者が手紙をいれていたのだとしたら、早朝から練習を行う運動部に所属している筈だ。中身を知らないだろうとはいえ、充分悪質だな」
「どうやって割り出すんだ?」
「朝練を行う運動部かつうちのクラスの女子かつ授業中に俺を見ている奴といったらすぐに特定できるだろ」
「まぁ、そうかもな」
「そうだ新堂、神田にうちのクラスに我が物顔で出入りするなと伝えておけ」
「何で俺が。別にアイツとダチじゃねぇし。自分で言えよ」
しかし、そううまくはいかなかった。運動部の女子数名が、風邪や怪我の為に欠席していたからだ。
これでは結局手紙や弁当を入れたのは本人なのか【協力者】なのかわからない。
あまりのタイミングの悪さに日野は頭を抱えたが、昼休みになると問題の弁当を持って予定通り屋上に向かった。
「あれ?日野先輩、今日はお弁当ですか?」
そこには、女装姿の坂上が購買のパンを膝にのせて待っていた。指示された通り日野の分もある。
「いや、これはストーカーからの差し入れだ」
「へ、へぇ……食べるんですか?」
「捨てるに決まってるだろ。その袋もらうぜ」
日野は坂上の手からパンが入っていた袋をひったくると、弁当を開けてその中身を袋に移し始めた。
一分後には、さも完食しましたと言わんばかりに空になったランチボックスを袋におさめる。
「い、いいんですか、そんなことして」
「何だお前、俺にこれを食えと?」
「いえっ、そうじゃなくて大丈夫かなって!」
「四六時中監視されてるわけでもないんだ。バレねぇよ」
「ならいいんですけど……」
坂上はそれでも心配そうに俯いてパンの袋を開く。
その姿に、無意識に腕が伸びていた。
「え……」
身長160にも満たない小さな身体は、抵抗なくすっぽりと腕におさまる。いつも掻き回している柔かな髪に唇を寄せると、シャンプーの香りが鼻腔を擽った。
「ひ、日野先輩……」
「いいからじっとしてろ」
とまどったようにみじろぐ坂上の耳元で囁いてやる。
「今日は【協力者】が欠席しているみたいだからな。このぐらい派手なことをやらかさないと、あの女に伝わりそうも無い」
「ああ、それで……」
自分に言い訳するように説明しておきながら、それを聞いて強張った表情を安堵に緩ませる坂上に、胸が微かな痛みを訴えた。
『今日も、明日も…しばらく先輩と食べるから』
またもや昼食同伴を断られた斉藤は、理由のわからない苛立ちに悶々としたまま午後を過ごし、坂上に声も掛けずに早々に部室に向かった。
自分でも、友人と昼休みを共にできなかったくらいで何をそれほど落ち込むことがあるのかとは思う。それでも、申し訳なさそうに、しかしどこか楽しそうに『先輩と』と口にする坂上の表情を思い出すと、暗闇の深淵に突き落とされたような心地がするのだ。
「きゃーっ!噂は本当だったんだ!?」
「よく撮れてるねぇ、これ!ロマンチック〜!」
部室の前まで来た所で、中から甲高い女子の声が上がった。どちらも写真部の上級生のものだ。
何事かと訝りながら入室すると、三人の女子部員が一枚の写真を囲んで騒いでいた。
「あ、斉藤君、見てよこれ」
「あんた新聞部の日野君って知ってるよね?」
「あぁ、はい。その日野先輩がどうかしたんすか」
新聞部の日野といえば、坂上がよく話題にするあの日野のことだろう。坂上が昨日から一緒に昼食を食べている相手として、真っ先に想像した人物だ。
少し興味が湧いて尋ねると、写真を持つ女子が首を傾げた。
「あれ?噂聞いてない?最近日野くんがさ、昼休みに屋上で謎の美少女と会ってるんだって!」
「え?」
美少女?
では坂上は、誰と昼食を食べているのだろう。
「それでさ、噂の真相を確かめようと思って、あたし屋上で張り込んでたんだよね。そしたら、じゃーん!こんな写真撮れちゃいました!」
混乱する斉藤に、彼女は得意げに写真を差し出した。
そこに写っていたのは、まるでラブロマンス映画のワンシーンのような光景だった。
屋上のベンチに腰掛け、小柄な女生徒をそっと抱き締める日野貞夫──。
「すごいよね!結構モテるのに優等生で通ってて浮いた噂ひとつなかった日野くんがさぁ」
「案外手が早かったんだねぇ」
抱きしめられている少女の方に視線を移して、斉藤は思わず目をみはった。
「これって……」
「うん?何?斉藤もしかしてこの子のこと知ってる?今まで何人か一年にこれ見せて聞いてみたんだけど誰も知らないって言うんだよね。知ってるなら名前教えてよ。E組の子?」
知っているもなにも。
(坂上、だよな……これ)
しかし、言えるわけが無い。
「いや、この子めちゃくちゃタイプだなーと……ははは」
「ああ……、可愛いよね。誰も名前知らないのが不思議なくらいだよ」
「あの……その写真ちょっと借りていいすか。ちょっとほかの奴にも聞いてみますんで」
「ホント〜?じゃあよろしく!」
渡された写真を握り締め、斉藤は急いで新聞部に向かった。
同じ文化部であるため、新聞部は目と鼻の先にある。しかし斉藤は廊下に飛び出した刹那、誰かにぶつかって思いきり転倒した。
「いってぇ……あ、すいません、大丈夫すか?」
肩章を確認し相手が三年生だと知ると、斉藤は慌てて立ち上がって手を差し出した。
「いや、僕も前を見ていなかったから……これは」
「あ」
床に落ちていた例の写真に視線を釘付けにして、彼は顔の下半分を覆っていたマスクを下にずらした。
「君……これはどういうことだ」