色彩りキャンバス
03.あの子どもが笑うたびの、咎
例の如く仕事から脱兎したピオニーの行く場所といえば、ほとんどがジェイドの執務室であり、その執務室にわらわらとブウサギが入ってきて、その時ジェイドが思わず蹴りかけたブウサギがサフィールだったときたものだから、とにかくピオニーは笑った。可愛いほうのサフィールを蹴るなんて、なんてことだと思ったけれど、それでも笑った。
でもやっぱり、なんてことだと思ったらしい。が、やはり笑いのツボを押したのか、笑っていた。
なにをしに来たんですか、とジェイドはとりあえず目の前の人間へ不機嫌に訊いた。
遊びに来たんだぞ散歩がてら喜べ、とピオニーもとりあえず答えた。良く繰り返す科白だ。もうきっとお互いがお互いの科白を言えるくらい聞き飽きたに違いなかった。
ピオニーはふてぶてしくソファに座り、それに続いてブウサギたちも後ろ足を落としながら一生懸命にソファによじ登り、座る。その光景をジェイドは見て見ぬ振りをして、ペン先だけを走らした。
だけどどうやらそのソファにすべてのブウサギは乗れない。お前らはそこでいいのか、とピオニーが声をかけたのは二匹のブウサギで、一匹はピオニーの足許にきちんと座り、もう一匹は執務室の扉の前でじっとしていた。
ジェイドは文字ばかりの紙から顔を上げた。近寄ろうともしないブウサギはきっとルークなのだろう、と思った。
すると、ピオニーが軽く息を吐いた。
足許にきちんと座ったブウサギの頭を撫でてから、アスラン、ルークの側にいてやってくれ、と背中を押した。アスランと呼ばれたブウサギは歩き出して扉の前のブウサギに近寄ってそこで座った。
あの二匹はどちらも大人しかった。だからか、ソファの上で繰り広げられているブウサギ攻防戦は、ジェイドには理解しがたい。
「陛下、畏れながら可愛いほうのジェイドはどれです」
「ん? こいつだ」
ソファを陣取ってはいるけれどピオニーより少し遠い。
攻防戦に巻き込まれないように、寝た振りを決め込んでいるようなブウサギに、ジェイドは少しばかり安心した。そして扉の前にいるブウサギに視線を移して、あれはルークですか、と聞くと、ピオニーは驚いた顔をしてジェイドを見た。
「…なんですか」
「いや、なんだ。まさか、お前がブウサギ見分けられるとは」
「普通解かりませんよ、陛下とは違いますから。でも、」
似ている。そう告げようとして、やめた。
ピオニーはジェイドの変わらない表情を一瞥してから、扉のほうで俯いたままのブウサギを見た。側にいるアスランが慰めている(ように見える)けれど、一向にこちらに寄ってくることはなかった。
「さっき、」
ピオニーが突然思い出したように声を出した。それにジェイドはペンを机に置いて、書類を整理し始める。
「可愛くないほうのサフィールに会って来たんだが」
「…権力を公私混合させないで下さい。職権乱用ですよ」
それサフィールにも言われた、と言うものだからジェイドは溜息をついた。あんなのと同じようなことを言うなんて、気持ちが悪い。そうしたらピオニーが、今思ったことサフィールに言ったら傷つくぞ、などと言うものだから苦笑した。
「それで、そんなことまでして会って来てどうでしたか」
「ああ。ブウサギたちを見て、なんですかこれはって言われたから次々名前を言って紹介させて、新顔のルークまでいったらあいつ、突然表情変えてな」
自分の名前のブウサギがいることにも信じられない顔してたけどな、と笑い、膝の上を陣取っているブウサギを撫でた。首輪が付いて毛並みが綺麗なネフリーは膝横にいるので、あれが誰なのかジェイドにはわかりかねた。
「そしたら、あいつなんて言ったと思う。レプリカの名前なんて付けるなんて馬鹿なことを、だってよ」
さも可笑しそうにピオニーは笑う。
笑みを殺しながら、俺はそれが嬉しくてな、と言った。
「あのサフィールの中で、ルークはルークだったんだぜ。アッシュがルークなんじゃなくて、"ルーク"のほうだった」
扉の前にいるルークが一声鳴いた。側にいるアスランを無視して、ひたすら扉に前足をかけて、ごつごつと叩いた。
ピオニーはそれを見ながら構わずに続ける。
「なあジェイド。お前が、ゲルダって聞いたとき、どっちを思い出した。レプリカだったか、先生のほうだったか」
問いかけは静かだった。
外に出たがっているルークが騒いでいるだけで、ジェイドはただそれを眺めて、瞼を閉じた。なにもかもが、静寂のようだった。
後数日で、エルドラントも攻略できるだろう。それが脳によぎった。それだけで十分だった。
だからジェイドは何も言わなかった。それにピオニーは満足そうに笑みを浮かべてからソファから腰を上げて、さあ次ぎ行くかー、とブウサギたちを誘導した。
「きっとお前は間違っちゃいないぜ。可愛くないほうのサフィールだって、先生の名前をつけるなんて天の制裁をくらいなさい、とか言ってたしな。あいつアホだな、ほんと」
ピオニーは馬鹿笑いに近いものをしながら、執務室の扉を開ける。
それにルークは急いで外に出ていってしまい、慌てて他のブウサギたちがそれを追いかけていくのが見えた。それをピオニーが、お前ら躓くなよー、と間延びしたように声をかける。
扉を閉める前に、ジェイドを振り返った。
「あいつらによろしくな、ジェイド」
「そんなことより早く公務に戻ってください」
ばたん、と閉められた扉をしばらく眺めてからジェイドは眼鏡を上に押し上げた。
「本当に、どうしようもないですね」
それは、ピオニーのことか、サフィールのことか、はたまた自分のことなのか、ジェイドには判りかねた。
それでも、そこにある思いが真実なのだろう。
記憶も、思い出も、すべてが。
「本当に、どうしようもない」
帰ってきてくれ、と言えるのだろうかとジェイドは一人、思考した。
( 思 い 知 る 、 咎 )