さよならのかわりに
くそ!最悪だ!!
何だってこんな日に寝坊なんか…!
平和島静雄はいつもの通学路を全速力で走っていた。腕時計に目をやると、もう午後1時を回っている。
先程からちらほらすれ違う、綺麗に着飾った母親と共に歩く自分と同じ学生服を着た生徒を見て、静雄の焦りは募るばかりだった。
あの人も、もう帰ってしまっているんじゃないだろうか。ようやく校門に入った静雄は肩で息をしながら、キョロキョロと辺りを見回し始めた。
今日は来神中学校の卒業式だ。
式典が終わり、最後のホームルームが終了した今でも、名残惜しく学校に留まっている卒業生は多かった。
田中トムもそのうちの1人だ。
玄関口で数人の友人達と3年間の思い出話や、自分が通うことになった高校の噂話に花を咲かせていた。適当に相槌をうちながら聞き役に徹していると、ふと、どこからか聞き覚えのある声が聞こえたような気がして、きょろきょろと辺りを見回す。校門の方へ視線を向けると、見知った人影が目に入った。
「…田中先輩!」
「…お?」
今度ははっきり聞こえた声に、友人達がギクリと一斉に会話を止める。その反応に田中は、いい奴だから大丈夫だよ、ともう何度言ったかわからない言葉を返すが、人影が近づいてくると友人達は皆また後で、と離れていった。それに適当に手を振ってこたえていると、バタバタと足音が近づいてくる。
「よお、静雄」
「っ…田中先輩…」
よかった、間に合った…
静雄は田中に駆け寄ると、ホッとしたような、嬉しそうな表情を浮かべた。だがすぐに、田中から離れていったグループを目で追って複雑な表情になる。
「あ、すんません…話してたみたいなのに」
「いやいいっていいって、謝るなよなあ」
「…だって、俺が来たから先輩の友達離れてったんでしょう、だから」
「あー、気悪くしたか?あいつら気の小さい奴らだからよ、悪いな、許してやってくれ」
「え?…いや、田中先輩がいいなら俺は別に、全然気にしてないです」
「そうか、お前心広いわ、すげーな」
「…それ、田中先輩だと思います」
間に合ってよかったと嬉しい反面、こんなふうに田中と話をしていると、静雄はなんともいえない気持ちになった。
ああ、この人は今日で卒業してしまうんだ…
感傷的になるのはガラじゃないが、静雄はどうしても寂しさを抑えられない自分を感じていた。普通じゃない自分に普通に接してくれた、普通じゃない人。静雄にとって田中は特別な存在だった。その人が今日でいなくなってしまう。あとニ年、この人がいない学校で自分は上手くやっていけるだろうか、とそんなことまで考えてしまっていた。
「お前、何か汗だくだな、どうしたよ」
「えっ…あー、その…」
ハアハアと息を切らしている静雄に気を遣ったのか、まあ、ちょっと座るか、と田中は適当な場所に腰を下ろす。田中に促されて腰を下ろした静雄は、ここに来た目的を思い出し、土下座でもしそうな勢いで頭をさげた。
「すんません、俺今日寝坊して…世話になった田中先輩の卒業式に寝坊とかあり得ないですよね、本当にすんません」
「いや、何だよおい、どうした静雄」
「実は俺昨日、田中先輩になんて挨拶しようかずっと考えてて、気がついたらなんかもう昼になってて、そんで遅刻しました」
「静雄、お前………それ告白してるみたいだな…」
「…えっ?」
「いや、かわいい後輩もって幸せだなって」
「か、かわいいすか…」
ああ、格好悪ィ情けねえ…
せっかく1年間世話になった感謝を伝える大事な時だってのに、と静雄は頭を抱えたくなった。結局、夜通し考えていてもいい挨拶なんて浮かばなかったし、あろうことか遅刻して、先輩には気を遣わせてしまっている。最悪だ。
せめてこれだけは真面目に、と深呼吸して、静雄は田中の目を真っ直ぐ見つめた。
「田中先輩、卒業おめでとうございます、本当にお世話になりました…ありがとうございました」
「………こっちこそ、ありがとうな」
静雄はペコリと頭を下げながら、ああ、こういうの嫌だな、と思った。頭では分かっていても、口に出すと何倍も寂しい気持ちになる。何で同い年じゃないんだろう、そうすればもっと一緒にいられたのに。
顔を上げると、照れくさそうに微笑む田中と視線がぶつかった。
「…なんかこういうの、寂しくなるな」
「………寂しいっすか」
「そりゃお前寂しいだろ、毎日のように顔合わせてたのによ、なかなか会えなくなるんだぞ」
「……………俺も、寂しいっす」
「…そっか」
田中先輩も寂しいのか…
自分と別れるのが寂しいと言ってくれた人は初めてかもしれなかった。そんなことを言われたら、卒業を見送るのが余計に辛くなってしまう。しんみり別れるつもりじゃなかったのに、と静雄は思ったが、どうしても明るく振る舞うことはできなかった。自分は自分で思っているよりも田中のことを慕っていたのだ、と今になって気がつく。こんなことならもっと一緒にいればよかったと、後悔ばかりが湧き上がってきた。
「…そうだ、静雄よお、せっかく来てもらったから、なんか飯でも奢ってやろうか」
「えっ、マジすか行きます」
「お、いい返事」
「あ…いやその…」
田中からの願ってもいない誘いに、静雄は反射的に言葉を返していた。
思わず食いついてしまい、恥ずかしくなって慌てて撤回しようとしたのだが、田中が今日はやけに素直だな、と言って笑い頭を撫でるので、静雄はただ顔を赤くして頷くことしかできなかった。まあ、今日くらいはいいだろう特別な日だから、と照れ隠しのために自分に言い聞かせる。
「どこ行くかな…お前、好きなとこ決めていいよ」
「え、まじすか………あっ、じゃあ、あそこがいいっす」
田中先輩と初めて会ったあの日連れていってもらった、あの定食屋が。
何だってこんな日に寝坊なんか…!
平和島静雄はいつもの通学路を全速力で走っていた。腕時計に目をやると、もう午後1時を回っている。
先程からちらほらすれ違う、綺麗に着飾った母親と共に歩く自分と同じ学生服を着た生徒を見て、静雄の焦りは募るばかりだった。
あの人も、もう帰ってしまっているんじゃないだろうか。ようやく校門に入った静雄は肩で息をしながら、キョロキョロと辺りを見回し始めた。
今日は来神中学校の卒業式だ。
式典が終わり、最後のホームルームが終了した今でも、名残惜しく学校に留まっている卒業生は多かった。
田中トムもそのうちの1人だ。
玄関口で数人の友人達と3年間の思い出話や、自分が通うことになった高校の噂話に花を咲かせていた。適当に相槌をうちながら聞き役に徹していると、ふと、どこからか聞き覚えのある声が聞こえたような気がして、きょろきょろと辺りを見回す。校門の方へ視線を向けると、見知った人影が目に入った。
「…田中先輩!」
「…お?」
今度ははっきり聞こえた声に、友人達がギクリと一斉に会話を止める。その反応に田中は、いい奴だから大丈夫だよ、ともう何度言ったかわからない言葉を返すが、人影が近づいてくると友人達は皆また後で、と離れていった。それに適当に手を振ってこたえていると、バタバタと足音が近づいてくる。
「よお、静雄」
「っ…田中先輩…」
よかった、間に合った…
静雄は田中に駆け寄ると、ホッとしたような、嬉しそうな表情を浮かべた。だがすぐに、田中から離れていったグループを目で追って複雑な表情になる。
「あ、すんません…話してたみたいなのに」
「いやいいっていいって、謝るなよなあ」
「…だって、俺が来たから先輩の友達離れてったんでしょう、だから」
「あー、気悪くしたか?あいつら気の小さい奴らだからよ、悪いな、許してやってくれ」
「え?…いや、田中先輩がいいなら俺は別に、全然気にしてないです」
「そうか、お前心広いわ、すげーな」
「…それ、田中先輩だと思います」
間に合ってよかったと嬉しい反面、こんなふうに田中と話をしていると、静雄はなんともいえない気持ちになった。
ああ、この人は今日で卒業してしまうんだ…
感傷的になるのはガラじゃないが、静雄はどうしても寂しさを抑えられない自分を感じていた。普通じゃない自分に普通に接してくれた、普通じゃない人。静雄にとって田中は特別な存在だった。その人が今日でいなくなってしまう。あとニ年、この人がいない学校で自分は上手くやっていけるだろうか、とそんなことまで考えてしまっていた。
「お前、何か汗だくだな、どうしたよ」
「えっ…あー、その…」
ハアハアと息を切らしている静雄に気を遣ったのか、まあ、ちょっと座るか、と田中は適当な場所に腰を下ろす。田中に促されて腰を下ろした静雄は、ここに来た目的を思い出し、土下座でもしそうな勢いで頭をさげた。
「すんません、俺今日寝坊して…世話になった田中先輩の卒業式に寝坊とかあり得ないですよね、本当にすんません」
「いや、何だよおい、どうした静雄」
「実は俺昨日、田中先輩になんて挨拶しようかずっと考えてて、気がついたらなんかもう昼になってて、そんで遅刻しました」
「静雄、お前………それ告白してるみたいだな…」
「…えっ?」
「いや、かわいい後輩もって幸せだなって」
「か、かわいいすか…」
ああ、格好悪ィ情けねえ…
せっかく1年間世話になった感謝を伝える大事な時だってのに、と静雄は頭を抱えたくなった。結局、夜通し考えていてもいい挨拶なんて浮かばなかったし、あろうことか遅刻して、先輩には気を遣わせてしまっている。最悪だ。
せめてこれだけは真面目に、と深呼吸して、静雄は田中の目を真っ直ぐ見つめた。
「田中先輩、卒業おめでとうございます、本当にお世話になりました…ありがとうございました」
「………こっちこそ、ありがとうな」
静雄はペコリと頭を下げながら、ああ、こういうの嫌だな、と思った。頭では分かっていても、口に出すと何倍も寂しい気持ちになる。何で同い年じゃないんだろう、そうすればもっと一緒にいられたのに。
顔を上げると、照れくさそうに微笑む田中と視線がぶつかった。
「…なんかこういうの、寂しくなるな」
「………寂しいっすか」
「そりゃお前寂しいだろ、毎日のように顔合わせてたのによ、なかなか会えなくなるんだぞ」
「……………俺も、寂しいっす」
「…そっか」
田中先輩も寂しいのか…
自分と別れるのが寂しいと言ってくれた人は初めてかもしれなかった。そんなことを言われたら、卒業を見送るのが余計に辛くなってしまう。しんみり別れるつもりじゃなかったのに、と静雄は思ったが、どうしても明るく振る舞うことはできなかった。自分は自分で思っているよりも田中のことを慕っていたのだ、と今になって気がつく。こんなことならもっと一緒にいればよかったと、後悔ばかりが湧き上がってきた。
「…そうだ、静雄よお、せっかく来てもらったから、なんか飯でも奢ってやろうか」
「えっ、マジすか行きます」
「お、いい返事」
「あ…いやその…」
田中からの願ってもいない誘いに、静雄は反射的に言葉を返していた。
思わず食いついてしまい、恥ずかしくなって慌てて撤回しようとしたのだが、田中が今日はやけに素直だな、と言って笑い頭を撫でるので、静雄はただ顔を赤くして頷くことしかできなかった。まあ、今日くらいはいいだろう特別な日だから、と照れ隠しのために自分に言い聞かせる。
「どこ行くかな…お前、好きなとこ決めていいよ」
「え、まじすか………あっ、じゃあ、あそこがいいっす」
田中先輩と初めて会ったあの日連れていってもらった、あの定食屋が。