さよならのかわりに
「…そういえばよ、ここってお前と初めて会った日に来たとこだよな」
「……………あ、」
店の前までやって来ると、田中が懐かしそうに呟いた。
先輩も覚えてたのか…
思い出を共有できるっていいことだな、と静雄は思った。ちょっと照れくさいけど嬉しい。
だからここにしたんです、と素直に言うと、田中は一瞬驚いたような表情になったが、すぐにくすぐったそうに笑った。
「お前って意外とロマンチストかもな」
「…ロマンチスト?」
「いや、なんていうか…記念日大切にするタイプ?そういうヤツはモテるぞ」
「へえ…じゃあ、田中先輩もモテますね」
「はあ?何でよ」
「だって、先輩も覚えてたじゃないっすか、だから」
「………お前ってホントアレだな………」
それ天然かよ、ワザとじゃないだろうな、などとぶつぶつ呟く田中の袖を引いて、静雄は適当な席に腰掛ける。昼時を過ぎているせいか、店内はそれ程混雑していなかった。
席につくなり、田中は注文お願いしまーす、と店員に声をかける。メニュー見なくていいんすか、と静雄が問いかけると、田中はお前だってもう決まってるんだろ、と笑ってみせた。
「親子丼と鯖の味噌煮定食、それから、牛乳をとりあえず5本くらい」
はいかしこまりましたー、と店員がさがっていったあとで、田中は静雄に向かって得意気な顔をする。
「違ってたか?」
「…すげえ、完璧っす」
「だろ」
参りました、とテーブルに両手をついて頭を下げると、田中は声をあげて笑った。
あの時頼んだメニューまで覚えていてくれたことに、静雄は感動した。やっぱりこの人すげえ、もっと一緒にいたかったな、とそればかりが頭の中を巡る。はあ、と思わず大きな溜め息をついてしまい、静雄は慌ててごまかすように咳ばらいをした。
「…どうした、静雄」
でかい溜め息だな、と案の定しっかり田中につっこまれて、静雄は苦笑いをうかべながら何でもないです、と首を振った。そのままやりすごそうとしたのだが、物言わぬ田中の視線にいたたまれなくなって、実はちょっと考え事をしてて、と正直に言い直す。
そうだ、田中先輩とはこれで最後になるかもしれないんだし、ちょっと恥ずかしいけどちゃんと言おう。こんなことを言って変に思われないかなという不安もあったが、静雄は覚悟を決めて、やや緊張気味に口を開いた。
「…あの、大袈裟とか気持ち悪いとか思われるかもしれないんですけど…俺、昔からこんなんだし、田中先輩みたいに普通に接してくれる人って全然いなかったんですよ」
こんなことを人に話すのは初めてだ。照れや気まずさから、田中の目をみることができず、視線を右往左往させながら話を続ける。
「最初は変わった人だなって思って、失礼なこと言ったりもしてたんですけど、今はもう本当に感謝してるっていうか…だから、その、先輩が卒業するの寂しいし、ホントはもっと一緒にいたかったし…この先、俺ひとりでうまくやっていけるのかって、ちょっと不安です」
「静雄…」
急激に恥ずかしさが押し寄せてき、静雄は今すぐにでも店を飛び出して逃げてしまいたい気分になった。だが、気持ち的にはなんとなくすっきりしたような気がする。変に思われたかな、とドキドキしながら恐る恐る田中に視線を向けると、田中は、話してくれてありがとな、と穏やかに微笑んだ。
「まずな、大袈裟だとか気持ち悪いだとか思ったりしてねえから安心しろ、俺だって寂しいしな」
「…はい」
「お前別に何も悪いことしてねえんだから、もっと堂々としてていいんだからな」
「はい」
「気休めにしかならねえだろうけど、俺はお前ならうまくやれると思ってるよ」
「…ありがとうございます」
「まあ、暴力嫌いならやらねえ方がいいし、できれば堪えたほうがいいけどよ、もし我慢できねえほど理不尽なことされたらまた思いっきり暴れてみろ、そしたら噂ももっと広まって…って悪ィ、毎度偉そうに同じこと」
「いえ、実際田中先輩のおかげで喧嘩減りましたし、そう言ってもらえるのありがたいです」
「はは………こんなに懐いてくれた後輩初めてだから、嬉しくてついな」
「え………………」
嬉しい…?
お前とは気が合うのかもな、ホント寂しくなるなあ、としみじみ呟く田中の声を聞きながら、静雄は自分の涙腺と必死に闘っていた。そんな風に言ってもらえたのは初めてで、嬉しいのはこっちの方です、と言いたかったのに、口をひらいたらみっともない声が出そうでやめた。どうして先輩は今日で卒業してしまうんだろう。最後なんて嫌だ。せめてあと1年一緒にいられたらよかったのに。先輩の言葉とてつもなく嬉しかった。最後にそう言ってもらえてよかった。いろんな想いが渦巻いて溢れそうになるのを、静雄は無理やり押さえつけた。情けねえ泣くな、こんなことで泣いたら笑われる、とそれだけを強く自分に言い聞かせるが、涙腺はもう崩壊寸前だった。
だが、ちょうどそこに注文した料理が運ばれてきて、お待たせしましたー、という店員の間延びした声により会話が打ち切られる。思考も一緒に中断させられたおかげで静雄はなんとか涙を引っ込めることに成功した。
「腹減ったなー」
「…そう、っすね」
目の前の料理に集中し始めた田中を見て、気づかれなくてよかったと、静雄はこっそり胸を撫でおろした。
いただきまーす、とさっそく親子丼にがっつき始める田中に、ごちになりますと声をかけてから、静雄はガチャガチャと並べられた牛乳ビンに手を延ばした。
足りなかったら追加していいから、と言う田中にどうも、と頭を下げ、まず一本目を一気に飲み干す。よし、大丈夫だ落ち着いた。後は飯食って笑って先輩見送ろう、と静雄は自分に言い聞かせる。
「…そういえば静雄よお、」
「はい?」
ほかほかと湯気をたてるサバの味噌煮に箸を入れながら視線だけチラリと田中に向ける。思い出話でも始まるのかな、と思ったが、田中が一旦食事の手を止め、あのよ、と言いづらそうに言葉を切り出すので、静雄も同じように一旦手を止めて、じっと田中を見つめた。
「すげえ今さらなんだけどよ…俺のこと田中じゃなくて、トムでいいから」
「…え」
「もっと早く言えばよかったんだけど、タイミング見失っちまって悪い、」
「あ、いや…」
「俺は卒業したってお前の先輩でいるわけだからよ、遅くてもやっぱり言っておこうと思ってな…街で見かけた時は声かけてくれ、俺も声かける…つーか、お前の噂ならすぐ耳に入るだろうから、ヤバそうな時は様子見に行くけどよ」
「…はい」
「そういうわけだから、俺卒業するけど、これからもずっとよろしくな、ってことで」
「………はい」
「…静雄」
「……………はい」
「……………泣くなよ」
「………………………はい…っ」
我慢してたのに。
嬉しい。寂しい。嬉しい。声にならない言葉が、涙となってどんどん溢れた。
俺は馬鹿だ。何で勝手に会うのは最後だと思い込んでいたんだろう。先輩はこれからも俺との関係を続けようとしてくれているじゃないか。勝手に落ち込んで空回って泣いて迷惑かけて、俺は馬鹿すぎる。