まるできせきの
広大な白ひげの屋敷の中でも、一際大きなその部屋には見知らぬ人だかりが犇めき合っていて、エースは圧倒されたように傍らの男へ投げかけようとしていた言葉を飲み込んだ。
マルコは腰の辺りまでしか背丈の無い子供がぱしぱしと瞬いているのにくつりと笑う。
「こっちだよい、エース」
「え?…あ、マルコ!」
エースは慌てて遠ざかった背中を追う。
うん?と首を傾げて振り返った男に安堵する。こんな人の群れの中で逸れたら堪ったものじゃない。
「どこいくんだよ」
「オヤジのところだよい」
決まってんだろいと見下ろされ、エースはああそうかと納得した。
今夜は白ひげの生誕を祝うために催された宴らしいのだ。エースは物憂げな溜息を吐いた。
朝から仕事でなく出掛けていた男が、日が暮れる頃になって帰って来るなり、これに着替えろと言って一目で値段の高さを窺わせるような紙袋から取り出したのは、子供サイズの白いシャツにサスペンダーの付いた半ズボン、ジャケットに靴に靴下、おまけに蝶ネクタイだった。エースが今身に着けているそれだ。まさかこれに着替えろだとか言われたのだろうかとエースが呆けていると、マルコは時間がねェんだよい、早くしろと言って自分の身支度をしに寝室へ向かってしまった。エースは取り残されて並べられたフォーマルな子供服と対面し、いやまさかと往生際悪く首を振った。ちょっとというかかなり着たくないそれらを前に、幼い顔を苦悶に歪めるうち、すっかり身支度を整えた男が戻ってきて眉を上げた。まだ着替えてなかったのかよいと言われても、こんなものを自分がほいほいと着替えると思えるほうがどうかしてるんじゃないだろうかとエースは思った。着かたがわかんねェかいと的外れなことを尋ねる男に、着替えたくないとは思わねぇのかよと言ってみた。マルコはぱちと瞬き、困ったように着てもらわなくちゃァ困るよいと答えた。何でだと聞くと、今日はオヤジの誕生会だと返ってきて今度はエースが瞬いた。お前も連れて行くよいと言われ、だからってなんでこのチョイスなんだよと項垂れる。何というか、恥ずかしい。こんな小奇麗でむず痒い格好は終ぞしたことはなく、これからも出来ればしたくない。絶対したくない。だがマルコは、俺の見立てに間違いはねェよいと自慢げに頷き、そして何を思ったか徐ににたりと笑った。こういう顔をしたマルコは碌なこと言わないと経験で知っているエースはまず身構え、そしてどうにか逃れる方法がないものかと目を走らせた。そして身を翻そうと振り返る刹那の差で、マルコにはしっとTシャツを捕まえられた。わざとらしい溜息が聞こえ恐る恐る振り返ると、マルコはオヤジが喜ぶだろうになァと呟いた。エースがぴくと反応したのをちらりと見遣って、可愛くしてお前を連れてくっつったら楽しみだって笑ってたんだよい、残念がるだろうなァと続ける。白ひげの存在を出されてしまっては選択肢など残っていない。行かないとは言ってないだろ、とか、その服以外でも構わないだろだとかいう反論は、オヤジという名前に綺麗に捩じ伏せられてしまった。悔しげに睨み付けるエースに、マルコは大人気なくにやりと笑ってきっと可愛いよいとエースに着替えを促した。
そんなこんなで今に至る訳で、マルコに良いように事を運ばれ若干エースは釈然としないものがある。まぁマルコ相手に口で勝てた試しはほとんど無いのだが、それでも気に入らないものは気に入らない。
拗ねた顔をしたまま、あちこちから掛かる声に適当に返事を返しているマルコから逸れないようにと歩いていたエースは、唐突に立ち止まられてその腰辺りに鼻をぶつけた。
「ッて!…急にとまんなよ」
「ああ、ごめんよい」
鼻を押さえていると頭上からぽんぽんと撫でられ、そして緩やかに背を押される。何だとマルコを見上げようとしたとき、グラララと特徴のある笑い声が聞こえてエースの身体は瞬く間に強張った。
それが緊張によるものだと知っているマルコは優しくエースを見下ろし、小さな背中を押して数歩分オヤジと敬愛を込めて呼ぶ男へ近寄った。
手を伸ばせば触れられそうなほど近くまで近寄ってしまうと、エースはさらに縮こまった。
「オヤジ、誕生日おめでとさん」
「おお、よく来たマルコ!お前らのお陰でこんな歳まで生きてらァ」
「何言ってんだよい。まだまだ元気に生きててもらわねェと困るよい」
「そうか」
グララララ。白ひげは嬉しそうに目尻に皺を寄せた。
マルコは大きな親を見上げ、そして傍らで所在無さげに立ったままの子供の頭を撫でた。
「オヤジ、約束通りエースを連れて来たよい」
視線が注がれたのが分かって、エースはそろりと顔を上げた。
見つめられて口を開くが、何を言えばいいのか分からず結局また口を噤んだ。
白ひげがにやりと笑う。
「あの跳ねっ返りが随分懐いたみてぇじゃねェか」
「まァ、跳ねっ返りなのは変わんねェよい」
口端をつり上げて可笑しそうに見下ろされ、エースは眉を寄せた。こういうところが何となく腹立たしい。
エースがいい加減髪を掻き混ぜる手の平を払おうとした時、マルコは誰かに呼ばれて振り返った。慌てて駆け寄ってくる男はエースの知らない顔だった。忽ち幹部としての顔になるマルコを見上げ、何か緊急事態でも起こったのだろうかと心配になる。
少し離れた二人の会話は聞こえず、そちらに気を取られたエースは伸びてくる手に気付けなかった。