まるできせきの
「ッ…!な、」
大きな手に襟首を摘み上げられ身体が宙に浮く。
驚いてじたばた身を捩るエースを気にせず、白ひげはひょいと小さな身体を膝に乗せると、指先でぐりぐりとエースの頭を撫でた。
「なァに、心配するこたァねえ。せっかく息子共が開いてくれた宴をぶち壊そうなんて輩は、今夜は出ねェよ!そんなもんはみんなマルコが潰しちまってらァ!グラララ」
豪快に笑うと、白ひげは目を細めてエースを見下ろした。
「よく来たなァエース。その格好はマルコか?可愛くなりやがって!」
機嫌良く杯を重ねる白ひげを見上げ、エースは開いた口がふさがらない。
ちょうど戻ってきたマルコは、いつの間にやら白ひげの膝に乗せられ固まったままのエースを見て、呆れたように苦笑した。
「何やってんだよい、オヤジ」
「マルコ、これがお前の言ってたプレゼントってやつか」
「気に入らなかったかよい」
「いいや、気に入った!」
振動に揺れながら勝手に交わされる会話を聞きとがめ、エースはバッと振り返った。
「なんだよそれ!」
俺をつかいやがったな!と憤慨するエースに涼しい顔をしたマルコはちらりと笑って心配しなくても似合ってるよい、とさらにエースを煽るようなことを口にする。そして絶句するエースを放っておいて視線を白ひげに向けた。
「オヤジ、今日はこっちに泊まってこうと思うが構わねェかい?」
「構うも何も、ここはお前の家だろうが。好きにしな」
「ありがとよい」
白ひげの屋敷は広く、その中でも16人の幹部には一つずつ部屋が与えられる。まさしく自宅だと言えるだろうそこは使うも使わぬもそれぞれの勝手だが、マルコはエースが来るまでの間、外に持った家に帰るほうが少なかったくらいだ。けれどエースが来てからは何ヶ月も帰っていない。さすがに部屋の状態を見てこないとまずいだろう。
頬を緩めたマルコは、ぶすっとしたままのエースの頬を突く。男前が台無しだろいと言い、エースは馬鹿にするなとその手を叩いた。
マルコは気にした風もなく笑って、エースの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「俺は今から少し席を外すが、エース、俺が戻るまでオヤジが飲みすぎねェように見張ってろい」
「グラララ、抜け目がねェなマルコ。今日くらいいいじゃねェか」
オヤジはいつでも飲みすぎだよいと言い、だが白ひげの手から酒を退けようとはしない。
形ばかりの忠告を残して踵を返そうとするマルコにエースは慌てた。慌てて引きとめようと白ひげの膝の上でわたわたするエースを面白そうに見遣り、マルコはいい子で待ってろよいと笑うだけで人ごみへ紛れて行った。
自分の意思を全く無視してあれよあれよという間に事を運ばれ、エースはやはり些か憮然とする。それに加えて、マルコが去ってひと時もせぬ内に次々と白ひげに言祝ぎにくる顔も知らないような兄弟たちにすら、特等席だなんだと揶揄されさらにぶすくれていった。
だから白ひげに呼ばれたときややぶっきら棒な物言いになってしまったのも致し方ない。
白ひげは気にした様子もなく笑い、白ひげが笑うたびにエースはその膝の上で転がり落ちないようバランスを取るのに必死になった。
「マルコとは上手くやれてるようだなァ」
「…別に、普通だ。と思う、よくわかんねぇけど」
「そうか」
そりゃァいいと白ひげは手酌し、エースを見下ろした。エースも白ひげを見上げる。
白ひげの瞳はマルコの瞳と同じだった。だが白ひげの双眸に漂う青色はマルコのそれよりも更に深い。底のない寛容さが海のように寄せては返している。その漣には余すところ無く、家族に対する愛情が乗っている。呑み込まれそうな潮はだが恐怖を呼びはしない。
「アイツはファミリーの事になると手前ェの身体を省みねェからなァ、お前が舵を取ってやれ」
「舵って?」
「何でもいい。無茶してやがったら叱ってやれ」
エースは呆れたように笑い、足をぶらつかせた。
それがもう無茶なことだろうとエースは思った。マルコはエースよりも余程遅くまで起きているのに、朝はエースが起きる頃に温かい朝食が並んでいる。一緒に朝食を食べる。そしてエースを独りにしないよう、構わないと言っても、どんなに遅くなっても必ずマルコは帰って来た。朝決まった時間に出掛け、夜は概ね同じ時間に帰宅する、そんな堅気の仕事のような生活習慣が罷り通るような仕事をしている訳ではないことも、それが許されるような立場ではないことも分かるのに、欠かさずエースにおかえりと言わせてくれた。仕事で止む負えないときは電話を。全てがエースの為だ。どんなにエースが幼かろうと、それは分かる。温かな湯に身を委ねるように大切にされていた。そんなマルコに一体自分が何をしてやれるというのか。
だが白ひげはエースのそんな杞憂を見透かしたように笑い飛ばした。
「なァに、お前に出来ることから一つずつやればいい」
それにアイツはお前が可愛くってしかたねェようだしなァ、グララララ。
白ひげは鷹揚に笑う。そしてふと白ひげの笑んだままの口元が真剣さを帯びる。
「エース、愛されてるのが分かるか?」
そう問われた意味合いをエースは不思議に思った。
感じたことの無い平穏、渇いた罅割れを潤すように注がれる眼差し。
うんとエースは頷いた。知っていると思う、そう呟いて人波に視線を向ける。白ひげは目を細めた。
黒々と艶やかな光を放つ幼く危うげな鋭い瞳は、無意識に一人の姿を探している。ファミリーを気に掛けるあまり自分を二の次にしがちな息子と、敵という一括りでしか他人を見れなかった末の息子がお互いを顧みている様子は胸に安堵を齎し、白ひげは逞しい口ひげの下でゆったりと口元を緩めた。