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逝く夏の

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集中を持続できる時間の限界は九十分だと言ったのは誰だったか。
 時計の針は最後に見たときから一回りもしていない。窓の外の青い青い空を飛行機雲が横切ってゆくのを眺めて慎吾は指先のシャープペンシルを回した。図書室の中にはペンが走る音とページをめくる音とそれに混じって時折誰かが咳払いをする音ががひっそりとするだけだ。そしてそんな空気を引き立てるようにエアコンが冷たい風を吐き出している。ガラス窓を綺麗な一対三に分けた雲の行方をぼんやりと追いながらまたシャーペンを回す。くるりと回ったペンの先で斜め向かいの和己がちらりと視線を上げた。いつも笑いを含んだように見える和己の目元が諌めるように顰められる。声を出さずに動いた口が「あそぶな」の形に動いたので、慎吾はそれに応えて笑って見せた。一瞬だけ和己はさらに眉間のしわを深くしたが、すぐに言っても仕方ないという風に諦めた表情に変える。一拍大きな息を吐いて和己がノートを閉じたのを確認して慎吾は席を立った。
「遊んでんなよ」
「遊んでねーって。休憩」
 ガランゴロンと無駄に大きな音を立てて転がり落ちてきた缶ジュースを取り出すと、慎吾は視線も投げずにそれを放った。遅れて戻した視線の先で危なげなく青い缶をキャッチした和己にわざとらしい舌打ちをひとつ送る。「くやしいか」と笑った和己に「ああくやしいよ落とせよそこは空気読んで。カワイゲ出せよなァ」と返してやったら、ひどく楽しげな声を立てて笑われたので慎吾も釣られて笑った。自分の為には散々待った末にめったに飲まない炭酸を選ぶ。水滴の浮いた缶のプルトップに手を掛けた一瞬、炭酸が抜ける音が蝉の声を黙らせたような気がしたけれど、次の瞬間には蝉たちは一層煩く鳴きだした。
「ったく、今日もあっちいな」
 引退試合になった雨の日の二日後から生活はいままでの遅れを取り戻すように勉強漬けになった。山ノ井や他のメンバーは慌しく予備校を決めてしまったらしく、何日かおきにぱらぱらとやってくる。学校の図書室を自習室代わりにしている慎吾と和己はこうして毎日顔をあわせていた。引退をしたのが嘘のようだった。むしろ顔をつき合わせている時間は前よりも長いくらいだった。それでもなにかがほんの少し違う気がするのは、ここがグラウンドでないからかもしれないし、世界史の用語が頭の中で踊っているからかもしれなかった。正直、二千年近く前のローマで誰が政治をやってたなんて話がこの先どこかで必要になるとは思えない。慎吾がそう言うと、和己は妙に真面目な顔をしてオレもそう思うと返した。二人して溜息を吐いて空を仰ぐ。
 仰いだ空には図書室から見えていた飛行機雲は見当たらない。代わりに絵に描いたような入道雲が伸び上がっている。グラウンドで汗を垂らしていた時もよくあんな雲を見た。手に取れるんだと言われた方がよっぽど納得できるくっきりとした形の中に吸い込まれるように伸びていったボールが埋まって落ちてこなくなるんじゃないかなんてバカな話をして笑った。炭酸水が喉を下りる痛みに顔を顰めながら、慎吾はぼやくようにもう一度、夏ってこんなに暑いんだっけと呟く。言いながら、つい一週間前まで炎天下のグラウンドにいたくせにそんなことを思う自分が少しだけおかしかった。あの場所の方がここよりずっと暑かったはずだった。カンカン照りの空の下で意識がぶっ飛びそうになったことも一度や二度ではない。しかしそれもこれも離れてしまえば不思議なほど遠く現実感のない話だ。よくあんなんやれたよな。悲しさも悔しさも苦しさもなく、少しだけ懐かしいような気持ちで濃い影の落ちる黒い土を思った。
 こんな風にすぐに、ああやって終わった野球を受け入れられると思わなかった。試合の翌日、片付けと送別会を兼ねたミーティングでは、どこか吹っ切れて清々しい顔をした三年よりも準太やらタケやら迅やらの方が世界の終わりみたいな泣き腫らした目をしていて、慎吾がなんて顔してんだよと茶化すと、眉を歪めて絞り出すような声でスミマセンと頭を下げるから憐れを通り越して可笑しいくらいだった。その悔しさも後悔もわかるけれど、オレらのために泣くことなんてないんだと言ってやりたかった。そんな必要ないんだと。続かなかった夏を惜しむ気持ちはもちろんあって、最後の打球を思い出せば肺に鉛を仕込まれたように胸が詰まる。けど、でもそれより強く思うのは――
「……頑張ったよなぁ」
「なんだ、急に」
 缶を口から離して意外そうな目をする和己に笑いかける。
「やー、ベツになんでもねーけどさー」
「変なヤツだな」
 口の横に笑みを刻んでそう言った和己は、しかし慎吾の言わんとしていることをわかっている風だった。同感と思っているかは別問題だったが。
 こいつこそ、一番そう思ってしかるべきなんじゃないかと慎吾は思ったが口には出さずにおく。和己の中ではまだ整理がつかないことが多いようだったから。こいつと終わったことの話を笑ってするには夏が近すぎた。代わりに矛先を変えてやる。
「こないだ帰り際に利央と会った。和サンどこーとか言って。相変わらずうっせーのな、アイツ」
 背が高いわりにがっしりと見えない後輩の姿を思い出す。練習の途中だったらしく防具はフル装備で、かちゃかちゃ鳴る金具と派手な顔の印象がいつも通りキラキラと賑やかな印象だった。うるさいという言葉に苦笑した和己が口を開く。
「大変そうだったか?」
「さァ…? その辺は知らねーけど。……まぁ、大変は大変なんじゃねーの? 準太もアレで頑固っつーかキリキリしたとこあっし」
 なにより和己にべったりだったし、と続けると当の和己はのんびりした様子でそうかと頷いていて、
「でもまあ、あいつらならなんとかなるだろ」
 自信の深い声で言う。だからこいつはキャプテンなんだよなと慎吾は声に出さずに思う。この絶対の信頼を贈られて、やる気が出なきゃ嘘だろう。
「あ、あとそれからな」
「ん?」
「和サンがどこの学校受けるか訊いといてっつってた」
 亜麻色の髪の後輩は、そのことを口にするとき、らしくもなく寂しげな顔をしていた。和さん、オレに教えたくないのかな。とがった唇が彫の深い大人びた顔に似合わなくて思わず笑ったら、慎吾さん、ちゃんと聞いてんのォ、と食って掛かってきた。ほっとけなくてバカでかわいい後輩、と和己や準太が構ういつのも利央の顔だった。
「オレだって教えてもらってねーのにお前が訊こうなんざ百万年早い、っつっといた」
「はは、なんだ。お前も教えてほしかったのか?」
「はー? んなわけネーだろ。ガキじゃあるまいし……ってなに笑ってんだよ」
 何がツボにはまったのか、笑いの尾を引いている和己の腕を拳でどついて、その勢いで体ごと寄りかかる。汗をかいた腕がべったりとシャツの生地に張り付く感覚。めちゃくちゃ暑いと思いながらも、そのままの体勢で、まあ、と呟く。
「お前が聞いてほしいって言うんなら聞いてやらないこともない」
「なんだそりゃ」
 本格的な笑いの発作に襲われた和己の体から細かな振動が伝わってくる。それがくすぐったくなって体をはがした。それでも相変わらず暑いものは暑い。
「まだちゃんと決まってないからなあ」
「そんなもんだよなー」
作品名:逝く夏の 作家名:スガイ