非日常を笑う
帝人は言葉に詰まる、自分でも何故泣いているのかわからぬのだ。最初のうちはこうして泣くこともあったが、今では静雄との生活に悲しいことも苦しいことなく泣くことも無かったというのに。それを知らぬ静雄は苦しそうな表情を浮べる。大方、帝人が元の生活に戻りたいと泣いていると思っているのだろう。
「明日には、幽も帰る。そうしたら、帰ればいい。だから今は俺と一緒に居てくれ。」
無骨な手で涙を拭うと、帝人を抱き上げ寝室へと連れて行く。
そしてバーテン服を脱ぐこともせず、何時ものように後ろから抱きしめたまま横になり許しを請いはじめた。何時間も、何時間もそれは続き、声は途切れた。眠ったのか…、だからこそ帝人はここ数日の間に感じた自分の気持ちを吐露することが出来た。
「静雄さん。」
「僕も怖いんです、僕も僕が怖いんです。」
自分のいる意味が分からなくて怖いんです。それを口にしたとき、ドロリとした感覚が胸に溢れ、一瞬苦しくなり涙が浮かぶがやがておさまる。
業者も引き上げ、幽は自分の持つ最後の鍵で扉を開く。
リビングのソファーには足を抱えおでこに膝をつけ、小さくなっている少年がいた。幽の気配に気付いたらしい少年と視線を交わす。
「…。」
「竜ヶ峰帝人です。」
しばしのあいだ二人の間には沈黙が流れた。
「帰ります。」
「うん。」
帝人は制服に着替えると、幽に一礼し、静雄への言伝を頼む。
「変わればいいんです。」
久々に日差しを直に浴び、帝人は憑き物が落ちたように晴れ晴れとした気持ちで池袋の街を歩いていた。
( “変われ”ばいいんだ。 )
心の中で口にすると帝人はほんの少し嬉しくなった。
非日常は帝人の中に溶け、笑って消えていった。
人は、変わる、変わり続ける、気付かぬうちに歪み続ける。