カレイドスコープ
「……楸瑛」
万華鏡から目を離さずに、絳攸は小さな声で呟いた。
「これが、……欲しい」
「絳攸、おいで」
「……ん」
楸瑛の手が、絳攸の髪にかかる。その髪をまとめている黒い紐を解けば、はらりと銀糸が広がる。紐に縛られていても型が付かないしなやかな髪。その一房に、楸瑛は口づけた。
「…綺麗な髪だ」
「ふん、貴様が言っても皮肉にしか聞こえんな」
「心外だね」
拗ねたような口調が可愛くて、絳攸は小さく微笑んだ。その口元に、楸瑛は小さく口づける。
「私は、純粋に君を褒めたんだよ?」
「俺もそうだが?」
ふふ、と笑いあう。
ふざけあう様な口付けが、次第に色を変えて、深いものに変わっていく。
「……っ」
理性を溶かすような熱い吐息は、どちらのものか。
舌先を絡めるという行為が、こうまで胸まで熱い気持ちで満ち足りるとは知らなかった。絳攸はそれを教えてくれた男の首筋へと顔を埋めた。
首筋を擽る乱れた息が扇情的だ。それでも、楸瑛は凶暴な感情から目を背けて、微笑んで見せた。
「ねえ、絳攸。昼間買った紐を貸してくれないかい?」
「ああ」
まだ開封していない紙袋を渡す。
楸瑛はその紐を手に持ち、そして考え込んだ。
「縛ってあげようと思ったけど、……すぐに解いてしまうよね」
その言葉の意味することに気付いて、絳攸は頬を紅く染めた。
それでも、おずおずとその紐を持つ手に、自分のそれを添える。
「でも、……お前が、解いてくれるんだろう?」
「ふふ…、もちろん」
言葉と共に首筋を撫でれば、絳攸はびくんと身を竦ませた。何をする、と睨み付ければ得意そうに笑われる。
「……、っ! さっさとしろ!」
頬が熱い。それを隠そうとして、絳攸は楸瑛に背を向けて座り込んだ。
楸瑛は意地の悪い笑みを浮かべる。
『さっさと』紐を結ばせて、その次は。本人は気付いていないが、その言葉で何を連想するのか……楸瑛は笑みを更に深めた。
さらさらと手の中から零れていく銀糸を、丁寧に集めていく。その手つきに一片も危うさはなく、絳攸も安心して委ねていた。
銀の中に、金と紅がうねる。
炎を模して作られた紐であるが、絳攸の髪の中に見え隠れするそれは、炎と言うよりは華麗な華であった。
楸瑛は鏡を指して微笑んだ。
「どうだい?」
「見えん」
ごもっとも、と楸瑛は鏡をもう一つ引き寄せた。その合わせ鏡に映る姿を、絳攸は見つめて、ゆっくりと紐に触れ、……そうして肩をすくめた。
「やっぱり、似合わないじゃないか」
「私は好きだけれどね」
否定は出来なかった。確かに、色素の薄い髪の色に、濃紅の色は浮いて見えた。けれど。
「私は、好きだよ」
好きだ、と何度も呟く。似合うとか似合わないではなく、ただ好きだと。
「み、耳元でそういう恥ずかしいことを口にするな」
くすぐったそうに身を捩って逃げようとする恋人の腰を捕まえて、楸瑛は優しく寝台に押し倒した。
「おや、事実を言って何が悪いんだい?」
「お前のは過剰なんだっ」
「愛はどれだけ重ねても重みにはならないだろう?」
あまりにもらしくなく純粋な言葉に、はあ、と溜息を一つ。
「相手がお前だと、きっと黄金積み重ねるより重いな」
恐悦至極、と楸瑛はひどく嬉しそうに呟いて白い肌に顔を埋めた。
情を交わすと、指先まで幸せが満ちていくような心地になる。
そして嵐が過ぎると、瞬きするのも億劫な倦怠感が身体を支配する。
でも、それすらも恋人が与えてくれるものならば愛おしい。
我ながら末期な考え方に、絳攸はこっそりと溜息をついた。びっくりするくらい、本気にそう思っているのだ、自分は。
「重すぎる」
「……ん? 何か言ったかい、絳攸?」
絳攸は、優しく頬を撫でてくる楸瑛に小さく微笑んで、お返しに汗で額に張り付いている黒髪を取り払う。
「お前がのし掛かってくると重いと言ったんだ。ほら、退け」
さらりと言うと、絳攸は楸瑛を押しのけて上体を起こした。
「まったく…。厳しいお姫様だ」
「黙れ」
ふくれる楸瑛を一人残し、絳攸は薄い夜着を羽織って窓辺へと近づいていく。火照った身体に、夜風は心地よかった。
風にながれる絳攸の銀糸を眺め、その視線はそのまま自分の手に残された紅い紐をなぞった。楸瑛は瞳を伏せる。
「なぜ、…なぜこんな色を持って生まれたのだろうね」
吐息ともとれる微かな声に、絳攸は片眉を上げた。
「何だ、やけに感傷的だな」
「ふふ、……なんでだろうね。でも、もし…って考えることはないかい?」
「もし持っていなかったら、か? ……そうだな」
絳攸は窓の淵を後ろ手に掴んで身体を支えて、楸瑛を振り返った。しかし、その顔は楸瑛の予想と違って微笑んでいた。
「この世界は、万華鏡みたいなものだ。実は両手で数えるほどしか色がないのに、俺たちの見ている世界は万ほども模様が重なっているんだからな」
そう言って、絳攸は机の上に置いてあった万華鏡を覗きこみ、筒を少し突く。
「ほら、こうやって少し揺さぶるだけで模様が変わる。……俺たちなんてその壮大な模様の中のたった一片にしか過ぎないだろう。結局は、運命という名の手によってぐるぐると回されるだけさ。相手が壮大すぎて相手にもならない」
「……不満はないのかい?」
楸瑛の言葉に、絳攸は筒から目を離した。その目が意外そうに細められる。
「不満?」
「そうさ、だって運命とやらに弄ばれているわけだろう?」
なるほど、確かにそうかもしれない。
抗っても、抗っても、結局はその流動的な何かに足下を掬われて流される。
「あるさ」
不満だらけだ、と呟いて絳攸は万華鏡を机の上に戻した。その手が、身体が微かに震える。その小さな震えを見逃さず、楸瑛は優しく微笑んだ。
「ほら、そんなに夜風に当たっていると冷えるよ?」
こっちへおいでとばかりに両手を広げられ、絳攸は少し迷ったが大人しくその腕の中に収まった。確かに、この男の腕の中は暖かい。ただ、向かい合って抱かれるのは恥ずかしいので、背中をみせた。その行動が可愛くて、楸瑛は声に出さずに笑う。
「答えていなかったな」
会話がないとどうにもいたたまれなくなって、絳攸は口を開いた。
「何?」
「もし、だ」
ああ、と楸瑛は呟き、さらに絳攸を近くに引き寄せた。絳攸は一枚羽織っているが、楸瑛はまだ裸だ。その引き締まった身体を背中に感じて、絳攸の頬が赤くなる。ついさっきまで、自分はこの男に抱かれていたことを強く思い出した。
「……教えて?」
耳元で囁かれて、その情欲の余韻を含んだ声に身体が震える。
「だっ、だから、耳元でそういう……っ」
「おや、……その気になった?」
「馬鹿かっ!」
<了>
作品名:カレイドスコープ 作家名:Kataru.(かたる)