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Kataru.(かたる)
Kataru.(かたる)
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神様のギャンブル

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 鳥が会話を一通り終える少し遅めの朝。一人で寝るには少し広すぎる黒いシーツが敷かれたベッドに横たわる男は、窓から零れる朝日が当たらない場所まで夢の中に片足を突っ込みながら緩慢な動作で寝返りを打ち、もぞもぞと身体を丸めてシーツの中へと潜り込んだ。まるで猫のような動作だ。彼にとって、オフ日の朝の二度寝は至福の時間、とろとろと微温湯に身体を浸している様な感覚が大好きなのだが、そんな心地よい時間は今日に限って数分と続かなかった。
「……んー…う、るさ…」
 安らかな夢路を妨げたのはベッドサイドに置いてある携帯電話から流れる無機質な電子音。休みの日はアラームを切っている筈であるし、第一アラームにはこの音を使用していない。ああ電話だ、と寝起きの頭で理解するのには数秒必要であった。
「…ふぁ…い?」
「お早うございます、臨也さん。済みません、起こしちゃいましたか? …というか、そんな場合じゃないですよ! どうして教えてくれなかったんですか!」
 ベッドから少しでも出たくなくて、腕だけを限界まで伸ばして携帯を指先で何とか手繰り寄せ、欠伸混じりで通話ボタンを押す。と、すぐにけたたましくスピーカーから声変わりを迎えたかどうかの少年の声が飛び出てきて、臨也は思わず携帯を投げ捨てそうになったが、お陰で頭の中から眠気が殆ど飛んでいってくれた。
「誰かと思ったら帝人くんか…あれ、モーニングコールなんて頼んでおいた?」
 幾分かはっきりとしてきた思考の中で、朝から血相を変えている(と思われる)帝人と会話しなくてはならないのかと真剣に首を傾げる。
「茶化さないでくださいよ! 《ダラーズ》の事です!」
 臨也からしてみたら特に茶化したつもりなどないのだが、相手が何やら深刻であるようなので軽口は差し控える事にする。
「俺達のバンドが、どうかした? 結構順調に成長して来てると思うんだけどな」
「順調だから戸惑ってるんですよ! …な、何なんですか《ダラーズ》がメジャー進出って…! 僕、今朝静雄さんからメール来て初めて知りましたよ!」
 もう一度欠伸を隠さずに零しながら、臨也はそんなことかと寝癖で跳ねてしまった後ろ髪を撫で付ける。メインボーカル兼マネージャーを務める臨也にとっては順調な成長の中に当然そのメジャーデビュー程度は含まれていたのだが。
「そりゃあ、バンドやってるからにはメジャーにのし上がらなきゃ意味ないじゃない。それとも、何、帝人くんはずっとインディーズのままでメジャーバンドの前座ばかり繰り返す方が好き?」
「そんなことは、ないですけど……」
「なら良いじゃん。《ダラーズ》メジャー入りおめでとう、わーい、やったあ! ぱちぱち! ……って事にはならないの?」
 携帯を肩と耳に挟んで両手を自由にしたまま無感動に言い放ち、のっそりと臨也がベッドから降り立つ。くるまっていた掛け布団から出て直接肌に触れる外気に小さく身震いをする。何だか寒いと思っていたら、昨夜寝るときに着ていたバスローブが寝返りを打つうちに脱げてしまったのか、それとも寝苦しくて無意識に脱いでしまったのか足下にまるまっている。もう一度着るのも面倒で、下の下着だけを身に付けた格好のまま、臨也は窓の外の日光に向かって大きく伸びをした。耳元では未だ帝人が何だかんだと言っているが、それらを適当に流す臨也の頭の中にはもうブランチとなってしまった朝食のメニューを何にしようかという考えで一杯になっている。
「第一、デビュー話なんてどこから手に入れてきたんですか、僕らくらいのバンドなんて全国にいくらでも居るでしょうに」
「いやそれが…どうしても俺達に、って話なんだよ」
 含み笑いと共に臨也が答えると、少しの間があってから、ためらいがちに帝人は小さく息を吸い込んだ。
「……それは《ダラーズ》だからですか、それとも、……折原臨也のバンドだから、ですか」
 チーズ入りのオムレツにしようかと適当にTシャツとトラウザーズを着た臨也は小さい簡易キッチンの戸棚からボウルを取り出しながら笑う。そうか、と臨也はやっと合点がいった。
 帝人が不満に思っているのは《ダラーズ》が知らない所でメジャーデビューを決めてしまった事ではない、その話が持ち込まれた先が自分ではなく臨也だったからなのだ。
「勿論、《ダラーズ》だからに決まってるじゃないか。リーダーの君が自信持ってなくてどうするのさ」
「…、……そうですね」
 溶いた卵が熱せられたフライパンの上で急速に固まっていくのを眺めながら、臨也の口が密かに吊り上がっていく。
「君を中心にバンドを組みたいと思ったのは、君のアレンジセンスに惚れ込んだから…俺の詩を安心して預けられるのは君しかいないって本気で思ってるんだよ、俺は」
 まだ《ダラーズ》の構想すら無かった頃、ネット上でフリーの楽曲を提供していた帝人の存在を知った瞬間に、背筋と言わず全身が震え上がるような興奮を覚えた事を臨也は今でも鮮明に思い出す事が出来る。特に奇抜なメロディラインな訳でも、生録音らしいギターのセンスがずば抜けていた訳でも無い。だが、液体の様に流動的でいて奥には岩盤より硬い意志が見え隠れし、磨く前の水晶の様に不透明の向こうの輝きと脆さを予感させる、竜ヶ峰帝人という人間が色濃く反映されたアレンジセンスに惚れた、否、堕ちたのだ。歌いたい、この世界に自分も立ちたい、その思いに突き動かされて、臨也は帝人とコンタクトを取り、二人だけでは足りないリズムパートや作曲の補強として、いけ好かないが腕だけは確かな高校時代の同級生である平和島静雄を加えた三名でインディーズバンド《ダラーズ》を立ち上げたのだ。
 池袋の小さなライブハウスで活動を始めた《ダラーズ》は、元々池袋界隈でライブバーやストリートを通してそこそこの人気を集めていた臨也や静雄の存在も手伝って次第にファンを増やし、いつの間にか雑誌などで成長が期待されるバンドとして時折取り上げられるようになっていた。
「取り敢えず、今日臨也さんはフリーですよね? 静雄さんと三人で話し合いたいんで、午後時間貰えませんか?」
「君と二人きりならやぶさかじゃないけど…シズちゃんと一緒なのはなあ…」
「そんな事言わないで来て下さいよ、静雄さんも臨也さんに会いたいって言ってましたし」
 明らかに生命の危機を感じて臨也は頬の筋肉を引きつらせた。情に篤く感情的になりやすい静雄とナチュラルに他人の痛い所を突いてしまう無遠慮な臨也とは昔から犬と猿より悪い仲である。最近はライブの絶頂で時折静雄がスティックに留まらずスネアやシンバルまでをも破損させてしまう事に関して諍いが頻発していて、一触即発の状態だ。確かに誰にも相談せずにメジャーへの招待を受けてしまって居る手前、静雄がまだ公になっていないこの話をどこから嗅ぎ付けて来たのかは知らないが、多分恐らくきっと絶対、静雄は怒りマックス状態であることは明白である。正直に、行きたくない。
「俺さ、午後少し予定入ってて…」
「すぐ済ませますから。《ダラーズ》を他の用事の為に後回しにするなんて、臨也さんらしくありませんよ、それもメジャー目前のこの状況で! 良いですよね、この話のディティールを握ってるのは臨也さんしか居ないんですから」
作品名:神様のギャンブル 作家名:Kataru.(かたる)