名の意味を知る
そう声を荒げるのと、主ががっと肩を掴み振り向かせるのは同時だった。
先とは比べものにならない近くに、そのまま口付けでもするのかという位置に主の顔があった。
静かで真剣な、主の瞳が。吸い込まれそうなほど近くに、大きく見えた。
両肩を痛いくらい強く掴まれて、逃れることができない。何よりその、瞳に。
「逃げるな、佐助」
逃げるなったって逃げられねえ、とは言えなかった。あまりに主の瞳が真剣だったから。
「言え」
主は言った。
「何をそんなに嫌がる?」
「な・・・にを・・・って・・・」
「名前だ。嫌いなのか?それとも俺に呼ばれるのが?」
言葉はするりと出て来た。
出て来て、しまった。
「―――嫌いだよ」
からからに渇いていた口が嘘のように、言葉は流れ出ていく。
「嫌いだよ。名前も、アンタに呼ばれるのも。忍の名前に意味なんてねえだろ。なんでそんな嬉しそうに名前呼ぶんだよ、忍に名前聞くんだよ―――!!」
それは心の叫びだったのかもしれない。
「―――忍の名前なんて記号だ。そんな風に呼ぶもんじゃねえよ」
そして、心が思うものは全て、天邪鬼なものだったのかも、しれない。
「そうか」
主はそう言って、すっと両手を下ろした。今までの勢いを思うと余りにそっけないのを訝しむと、主は一歩下がり腕を組む。
「―――なら」
と。
「なら、俺が意味を作ってやる」
そしてきっとこちらの目を見据え、言い放った。
「―――俺がおまえの名を呼ぶ。それが意味だ」
・・・ぱちくりと目を瞬かせてしまった。
一拍遅れで、口を動かす。
「や、―――や、わけわかんねえよ」
思わず出たのは呆然としたツッコミで。
けれど主は構わず言を続けた。
「おまえは名前になど意味はないと言う。なら、意味を作ればいい」
「だ、から、その“意味”がなんでさっきのになんの」
口の中は渇きっぱなしだ。主が何を言っているのか、己が何を口走っているのか、さっぱりわからない。
確かなのは、主は悪ふざけなどを言っているわけではないということだけだ。
その証拠が、目の前にある真摯な瞳。
「おまえが頑なだからだ。主の俺が、おまえの“名”を呼ぶ。おまえの名は俺が呼ぶためにある。それでよかろう?」
「―――、は・・・」
よかろうって、アンタ。
意味、わかんねえよ。
思ったことの何もかもが言葉にならなかった。
けれど、なんだか。
毒気を抜かれた、とかそんな気がするのは、気のせいだろうか?
「―――アンタ、ほんと馬鹿だよ」
漏れ出たのは苦笑だった。
「主に向かって馬鹿とはなんだ、馬鹿とは」
主もしたり顔でそんな口を叩いているし。
「馬鹿は、俺様の方かね・・・」
もう、全てどうでもいい気がしてきた。
勿論前向きな意味でだ。
意味だとか、何だとか。この主の前では、全てどうでもいいことなのだ。わかっていたはずではないか、主は非常識の塊だと。
小さな小さなその呟きを耳聡く聞き取って、主は当たり前だと断じた。
「馬鹿はおまえだ。わけのわからぬことで勝手に不機嫌になりおって」
気が抜けた苦笑しか、返すことはできなかった。
「わかったよ、旦那」
そして己は、主に誓う。
「俺の名前は、アンタのためのモノだ」