gambling game
衝動に耐えるために瞳を強く閉じた瞬間だった。正面で硬い何かにぶつかり、それから背中が拘束された。同時におそらくはシャンプーか何かの良い香りが鼻腔を擽る。
見るまでもなく現在の状況は想像がついたが、俺は一応瞳を開けた。やはりというか、目の前に映ったのは古泉の首筋ドアップである。
「……現実だと思えません。夢だといわれたほうが、納得してしまうぐらいですよ」
古泉の声は普段の態度からは考えられないほど、見っとも無く震えていたが、俺はそれを笑う気にはなれなかった。それに先ず突っ込んでおきたい事がある。
「お前、まさかこれが夢なんじゃないかとか本気で思ってないだろうな」
近すぎる古泉の香りのせいか、内心が妙にざわついていたが、そこは深く考えずにすっぱり全てを無視して俺は古泉へと胡散な目を向けた。
「夢のようだとは思っていますが、夢そのものだとは思っていません。ここまでリアリティがあるものとなると、僕の想像が及ぶ範囲ではありません」
よし、解っているなら構わん。
「……何だか妙な気持ちですね。超能力者である僕が、『鍵』たる貴方と両思いになり、こうして抱き合っているなんて」
「『鍵』やら超能力者は置いておくにしても、確かにお前相手にここまで派手なB級恋愛映画もどきをする羽目になるとは思ってもみなかったな。……まぁ小学生女子には、俺達の気持ちなんてのはお見通しだったようだが」
言うまでもなく我が妹の事である。
「小学生女子 ?」
流石に俺の発言を怪訝に思ったようで、古泉が片方の眉を跳ね上げて問い返してきた。
適当に省いて、かくかくしかじか説明してやる。全てを聞き終えた古泉は、感想を述べるよりも先ず最初に小さく苦笑した。
「少女漫画ですか。まあ事実は小説より奇なりと言いますからね」
「なんにせよ、あいつがKとIは相思相愛に違いないなんて言い出さなかったら、今の状態はなかっただろうな」
俺まで古泉を、なんて発想は俺には無かったからな。
「それは、貴方の妹君にも、その少女漫画にも感謝をしなければなりませんね」
古泉が完璧に自分のペースを取り戻した様子で笑う。妹君ってお前、そんなどっかの王族とかじゃないんだから妙な呼び方止めろ。妹でいい。
というかそろそろ離せ。人が来たらどうするんだ。
「了解しました」
古泉はどこか名残惜しげな様子で腕を解き、一歩後ろへと下がった。
ああ、人肌の偉大さが解るね。一気に俺の体感温度が何度も下がった。おお寒い。
「これを使ってください」
自分の肩を抱いて震えていると、古泉が自分のまいていたマフラーを俺の首筋にぐるぐると巻きつけてきた。おいそれじゃお前が寒いだろ。
「僕は下がタートルなので、ある程度は平気ですから。ああ、ところで好奇心からお尋ねしたいのですが、貴方の妹さんが読んでいた漫画の題名はなんなんですか? 」
古泉がまるで誤魔化すかのように話題を変える。ったく、お前が明日風邪ひいても俺の責任じゃないからな。しかし妹が読んでいた漫画のタイトルね。なんだったか。確か
「ギャンブリングゲーム、だったかな」
実にうろ覚えである。ギャンブルゲームだったか?まあとにかくそんな名前だったはずだが。
ちなみに本来ならばこの題名は英単語が羅列しているのだが、俺の発音ではカタカナレベルが限界なのである。察してほしい。
「和訳すると『賭け試合』ですか。タイトルからして今回の僕達のようですね」
古泉が何が楽しいのか、にこにこと笑う。そうか? 俺もお前も確かに賭け試合はしたが、どちらも結果が見えていたじゃないか。
……まあとにかく、だ。
「とりあえず、ここは寒い。お前の家に行くぞ」
「え、僕の家、ですか?」
「ああ。別にそれぞれ帰っても構わんが、ここからだと俺の家は遠いんだ。お前の家のほうがたぶん近いんじゃないか?」
「確かにそうですが……良いんですか?」
古泉がじっと俺を見て、真剣に尋ねてくる。
全くこいつは解ってないな。ダチの家に行くのだって当たり前なんだ。いわんや古泉をや、だろうが。いちいちこんな当たり前の事を言わせるな。
「そう、ですね。解りました。今少し散らかっていますが、是非いらしてください」
俺の言葉を聴いて古泉が嬉しそうに笑う。それから自然な仕草で俺の手を取り、繋いできた。って、おい、まさかお前の家までこれで行くつもりなのか。
「幸いこの時間ならば人目にもつきませんし、貴方の手も僕の手も冷えていますから」
駄目でしょうか、と目線で問いかけてくる。
今気付いたが、俺はどうやら古泉が甘えらしきものを見せてくるのにめっぽう弱いらしいな。これが惚れた弱みというやつなら冗談じゃない。
「……あーあー解ったよ。ほら、さっさと行くぞ」
嫌な自覚を持ったために赤くなっていく耳を誤魔化すべく、眉を顰めて告げる。それからいかにも幸せですと言わんばかりの表情でいる古泉の手をいささか乱暴に引っ掴んだ。
「っと、ちょっと待ってください。言い忘れていたことがありました」
さっさと歩き出そうとした俺を、古泉が早口で引き止める。なんだよ。寒いんだからさっさと言え。
「……僕も、貴方のことが好きです。愛しているといっても過言ではないでしょう。貴方さえ宜しければ、僕と共に、神の目を忍んで秘密の恋愛をしていただけませんか?」
振り返った俺の目を真っ直ぐに見据えて、古泉が映画でだって言わないような台詞を真顔で告げてくる。お前はほんとによくそんな芝居がかった言葉がぽんぽん出てくるな。ある種尊敬に値するね。
しかし、こんな台詞を受けてドン引きしないどころか、あまつさえ嬉しいとすら感じる俺は、もう完璧に古泉に毒されたに違いない。
「……しょうがないな。お前に付き合ってやるよ」
耳が赤くなるどころか首筋まで真っ赤になっているんじゃないかというぐらい頬が熱いなか、俺は出来る限り偉そうに承諾の言葉を返した。せめてもの意地みたいなものである。
「有難う御座います。例えどんな事が起ころうと、貴方のことは僕が守ります」
古泉は気にした風もなく顔一面に幸せですといわんばかりの笑みを浮かべた。不覚にもその表情に見惚れてぼんやりしていた俺の耳へ、古泉は素早く触れるだけのキスを落とす。それから僅かに体を離し、繋いだ手を促すように引っ張った。
「それでは行きましょうか」
「……あぁ」
抗議するタイミングを失した俺は、耳が訴える熱を孕んだような感覚に眉を顰めながらも、古泉の言葉に素直に頷いた。古泉がまた嬉しそうに笑う。俺も釣られて小さく笑みを返しながら、俺達は揃って古泉の部屋へと歩き出していった。
作品名:gambling game 作家名:和泉せん