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真夜中は純潔

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つくづく思うことがある。
葉佩九龍はふざけた男だ。

「皆守」
甘く尾をひくような、芝居がかった声で俺を呼ぶ。ほとんど同時に、ドアがパタンと閉まる音がした。そのどちらも背中で聞いた。俺はけして、振り返らなかった。
「みなか、み」
背後の声は切羽詰まったものに変わっている。「……なんだ?」と優しく聞いてやることもできるし、緊迫した空気に気づかないふりをして、かわすことも出来る。避けるのは得意だ。放課後の遺跡巡りで、最近さらにディフェンスに磨きがかかっている気がするのは、錯覚じゃあない。
「……甲ちゃん」
葉佩が試すように甘えた声を出す。縋り付くような、べったりとした語感。
まだこの段階では、道は隣接している。戻れなくなるのはどこからか、本能が教えてくる。
薄暗い部屋の中で、俺は壁に手をついた。スイッチの場所なんて、見えなくても身体が覚えている。けれどわざともたついて見せる。親友面して監視してるんだ。今更、欺くことがひとつくらい増えたってどうってことはないだろう?眠くて仕方がないというように、首を緩慢に振った。
言うな、という願いも込めていた。
「甲ちゃん、甲ちゃん」
葉佩に背後から腕を回された。こいつの身長が俺よりも低ければ、抱きつかれた。高ければ抱きしめられたと表現するところだが、葉佩と俺の目線の高さは同じだ。だから、言い表しようのない接触だった。がむしゃらにしがみつかれた、が近いかもしれない。
本当にふざけた男だと思う。
こんな時しか、俺のことを名前で呼ばないんだ、こいつは。

遺跡探索を追え、部屋に戻る。葉佩が早い時刻に寮に戻ることは少ない。時間帯はいつも深夜になる。疲労と眠気で、帰りはたいてい無言だ。女子がメンバーにいるときは早めの帰宅を心掛けてると言うが、それも心掛けだけに終わっている気がする。まあ、皆承知の上で探索に協力するのだし、都合があわなければ断っているのだから問題はない。
ただ、問題なのは。バディがどれだけ困憊していてもハイテンションな葉佩が、しんと貝のように黙り込んでいる時があることを、知っているのはどうやら俺だけだということだ。
あいつが静かな時って、遺跡帰りの時だけだよな。と何かの会話の継ぎに八千穂に言ってみたことがある。結果、八千穂は驚いた顔をした。もしも表情に音が付くなら、きょとん、だ。九ちゃんは女子寮まで送ってくれて、門を閉める最後の時まで元気いっぱいでしゃべりまくるよ、と。
今度は俺が驚いた顔をする番だった。二人きりで地下へもぐる際は、二回に一回は静穏な帰路になる。親しいからこその、気兼ねしないからの沈黙だと八千穂は解釈をしたようで、素を見せてくれてるんだね、羨ましいなあと羨望の目を向けられたが――俺だけに見せる顔だとしたら、あの黙り方はおかしいと気づいてしまった。あの沈黙。故意に歩幅を狭くして、俺の背中へ物言いたげな視線を浴びせる葉佩。なにかが起こるのでは、と思わされる不穏な緊張感。
あの無言は、言いたいことを堪えている類のものだ。

静寂の帰路を共にするのは二回に一度。
葉佩が部屋まで着いてくるのは、更にその半分くらいの確立だ。って、どれだけ一緒に地下へ潜ってんだよって話だが。
「甲、もう俺、部屋戻れない。……体力の限界」
葉佩はそう言って、背後から俺の頭を抱え込んだ。
泊めて、と後頭部に額をこすりつけられる。心臓が跳ね、顔面に血が集まっていく気がしたが、どうせ暗いし後ろを向いている。構う必要は無かった。
葉佩が同衾を求める言葉を吐いたのは、まだ今夜が三回目だ。
一度目は自室が散らかってて寝れない、と呟かれた。遠まわしに泊めてくれといっているのは理解したが、したからこそ。自業自得だと言って追い出した。二度目は、自分の部屋の位置が風水的によくない、なんて理由だった。知るか、出て行けと言って、立ちすくむ葉佩を無視してベッドに倒れた。
今度は、今夜は。俺はどうしたらいい。
まさか自問する日が来るなんて思わなかった。でも答えは用意されていない。思うがこういうのは、はじめに数秒答えに詰まった時点で、了承してることになるんじゃないか?
硬直していた身体を、くるりと回転させられた。肩を掴んで、踵を払うようにして後ろを向かせられる。なんだその体術は、と訊けば。プロのトレハンだからとしれっとした顔で言われるんだろう。悔しいから訊いてやらない。
「甲太郎」
向き合った葉佩の眼は睡魔とは無縁に、わずかな光を集めて輝いている。
真摯な視線には力があった。
なあ、お前何を言う気なんだよ――
解っているくせに、俺の心中は恐慌を起こしていた。言いたくても、言えないことってつまり、
相手にとっては聞きたくないこと、かもしれない。そう思うから言いにくいんだろう?
「甲、」
「言うな」
葉佩の発言を打ち消すように、鋭く吐き捨て二の句を遮る。気づけば、視界に水の皮膜ができている。葉佩の声も震えている。
零れそうなのは涙か、言葉か、それとも気持ちなのか。信仰心も無いくせに、助けてくれと天を仰ぎそうになる。世の中には、言わなくていいことは確かにある。
ここが葉佩との関係の、岐路だという確信がある。
「お前が言ったら、俺も言わなきゃいけなくなるだろ」
葉佩の肩を押し返す。その抵抗は逆効果だったらしく、今度は正面からしがみつかれた。いや、勢いとしては。がっちりと拘束されたが正しい。
同じ学生服であるはずなのに、葉佩の肩口は何かが違う。安堵感に似た、ホッとするような暖かさがある。これはきっと、誰もが持っているものじゃない。
「ねえ甲ちゃん、」
さっきから、俺への呼び方が定まっていない。
随分前(といっても一ヶ月やそこらだが)に、九ちゃん、甲ちゃんと呼び合ってるところをクラスメイトにからかわれた日に、俺はきっぱりと名前呼びを廃止した。人目を気にした訳じゃない。もともと、八千穂が連呼するものだから、なんとなく移っただけの呼び方だった。
むしろ、これ以上転校生との仲を深めないための自分へのストッパーの意味を兼ねていた。――なのに、葉佩までもが苗字呼びに切り替えた時に、俺はひどく傷ついた。皆守と呼ばれた瞬間に、数ヶ月の親密な空気が、初対面のそれにリセットされたような気がした。
俺は、自分が身勝手なことくらい知っている。それでも痛んだ胸に沁みこんだ思いは、葉佩はとことん、ふざけた男だという憤りだ。
日中人前では、毎日愛の言葉を叫びながら突進してくるくせに。夜二人きりになると、求愛の台詞なんて吐いたことがない、みたいな顔でじゃれつきも極端に減る。未知の遺跡に夢中だからか?まだ見ぬ秘宝のことばかり考えて、俺のことなんか眼中になくなってるのか?
最近は、胸中に狂った疑問しか湧き出さなくなっていた。
嫉妬だとは思いたくない。
「それってさあ、俺と同じ気持ちってこと?そう受け取るよ、俺は」
「……勝手にしろ」
作品名:真夜中は純潔 作家名:まつやま