幸福な食卓
「ほら、起きな綱吉」
「んー…」
ふに、とやわらかく頬を摘まれて、綱吉は小さく唸る。
「もう昼前だよ。ブランチ作るから起きな」
「……んち?」
「そう、ブランチ」
こしこしと目を擦った綱吉の眉間に、雲雀が軽いキスを落とす。
「いらないなら僕の分だけ作るけど」
「や、食べ、ますぅ」
「ならおいで」
振り払えない眠気と戦いながらそう言った綱吉の手を引いて、雲雀はベッドから下りて新しくシャツを羽織るとキッチンへ向かう。
☆
雲雀のシャツを身に着けたまま眠っていた綱吉は、寝ぼけ眼を擦りながら手を引かれるままにぺたぺたと裸足でついてくる。
そのあまりの無防備さに、これが自分でなかったらどうするのだろうと雲雀はいつも少し心配になるが、実は綱吉は本当に気を許した相手以外にこの無防備さを見せない。
だから雲雀の心配は杞憂なのだけれど、それを彼が知るのはもう少し先のこと。
「座ってな」
「はぁい」
キッチンにたどり着くと、雲雀は綱吉をいつもの席に座らせて冷蔵庫へ向かう。
こちらへ来るときに自分の滞在する日数分だけの材料を手配しておいたので、中には食材がきちんと入っている。
ぱかりと開いたその中に、イタリアでは手に入りにくい味噌やしょうゆが入っているのは、和食を好む雲雀の趣味だ。
最初に雲雀は米をといで水を入れて炊飯器にセットし、早炊きボタンを押した。
その間に冷蔵庫から数種類の野菜ときのこを出し、必要な分だけざくざくと適当な大きさに切り分ける。
ガスレンジで湯を沸かした片手鍋の中にそれを入れ、噴き上げないように火を弱めて煮立たせる。
簡単に灰汁を取って粉末のだしの素を入れた後に豆腐とわかめを入れて味噌を溶き、隣のガス台で砂糖入りの出汁巻き卵を焼く。
無言でてきぱきと動く広い背中を、綱吉はテーブルに肘を突いてうっとりと眺める。
母の特訓のおかげで綱吉もそれなりに料理は作れるが、気まぐれに雲雀が振る舞ってくれる料理は文句なしに美味い。
得物を振るう彼の手が存外慣れた手つきで包丁を操ることを知ったのは、雲雀の部屋で初めて朝を迎えた日だったか。
ひとに作らせて不味いものを出されたら不愉快だから、という理由で憶えたらしい彼の料理は、自己流な部分も多いが味も見た目も申し分ない。
初めて出されて口にしたとき、母の作ったものとは違うおいしさに綱吉はいたく感動したのだ。
できあがった料理を盛る器や箸を取るために、雲雀は一旦ガスレンジの前を離れる。
器の入れてある食器棚は、綱吉の座る席の後ろにあるのだ。
綱吉同様裸足のままの雲雀は、微かな足音だけを立ててテーブルを横切り食器棚に向かう。
その経路の途中に座っている綱吉の横を通る際、雲雀は決まって綱吉の顎をひょいと指で掬い上げる。
「…ん、」
ちゅ、と小さな音を立てて唇が啄まれる。
そして顎から手を離して食器棚を漁り、目当ての器を手にして戻るときにもまた口づける。
こうして通りすがりにキスをしていくのも、前から変わらない雲雀の癖だ。
無用な接触は嫌う割に、意外にも自分からするキスは惜しまないのだ、このひとは。
綱吉も雲雀とのキスは好きだから、拒みもせず受け入れる。
料理と器が揃う迄の数回、そのキスは繰り返される。