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胡蝶の夢の欠片

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 竜ヶ峰帝人がその話を持ち掛けて来たのは、今から半年程前のこと。
 いつものように夜中までチャットに勤しんでいる途中、内緒モードで都合の良い日に会えないかと訊ねられたのが全ての始まりだ。
 帝人とはプライベートの付き合いなど皆無に等しいものだったから、十中八九ダラーズ関係のことだと考えて了承した。
 日時を此方が指定した代わりに、相手は場所を指定した。待ち合わせ場所は、カラオケボックス。防音の個室は、確かに内緒話をするにはもってこいだろう。
 持ち掛けられた話は間違いなく人目を気にするものだった。けれどそれは、臨也の想像の斜め上をいくものでもあったのだった。
 帝人は言った。僕を抱いてくれませんか。飲み物はどうしますかと尋ねるような気軽さだった。
 事実、目の前で起こった事態に対処出来ていないのは臨也だけで、ワンドリンク付きですからと帝人は勝手にジュースとお茶を注文しさえした。
 一体どういうことなのかと帝人を問いただせたのは、画面に流れるCMがたっぷり一周した頃で。勝手に注文した割に妙に律義な相手は頼んだ飲み物に手を出さずに待っていた。
 お茶を半分程飲んで喉を潤し、漸く臨也は口をきくことが出来た。どんな理由で、そんなことを俺にお願いをするのかな。もしかしてお金に困ってるとか? どうしても欲しい情報があるとか?
 無難で堅実で妥当な憶測だっただろう。いくらダラーズの創始者といえども結局はしがない高校生でしかなくて、けれどそんな事実を許さないくらいにはダラーズという組織は大きなものだったから。
 帝人が自分のことをそういった意味で好いていて、だから思い出に一度だけ抱いて欲しいと思っている……などという考えも、まず有り得ないものだった。
 君が好きなのは、俺じゃなくてシズちゃんだろう? 揶揄するように言ってやれば、彼は淡く笑んだ。悲しみとも、諦めともつかないそれを。流石ですねと小さく零された言葉には、称賛以外の感情が多分に含まれていて。
 臨也さんは、人間を愛しているんでしょう。なら、僕のことも少なからず愛してくれているんですよね?
 ――愛が、欲しくなったんです。
 そう言われて漸く、臨也は自分が選ばれた理由を理解した。ただ一つ訂正したいことがあるとすれば、臨也の人間に対する愛情は性欲とは直結していないということだ。
 臨也は確かに人間という種を愛してはいるが、それは生き方そのものであって、一個人に入れ込むような恋愛感情とはほど遠いものなのだ。そんなことは、わざわざ明言せずともこの少年は分かっていても良さそうなものだが、そうも言っていられない状態なのdろう。
 つまり、それだけ平和島静雄に恋焦がれているということだ。全く、どいつもこいつもあんな化け物ばかりを気に掛けて。気に入らないといったらなかった。
 普通なら、その不愉快極まりない願いを切って捨てるべきなのかも知れない。かつて自殺志願者を弄んでいた時も、最後の思い出に……とか、処女のまま死ぬのは嫌だ……などと言って慰みを求めて来る相手はいた。それに応えるのもまた一興だっただろう。けれど臨也は、今まで一度もそうした相手を抱いたことはなかった。
 他人を踊らせるのは楽しいが、他人に使われるのはこの上無く癪だったからだ。
 だから、今この場で出すべき答えなど、初めから決まっている筈なのだ。それなのに、どうしてか臨也はそれを口にすることを躊躇った。
 ダラーズの創始者が新宿の情報屋を頼ることはこの先もあるだろう。けれど、竜ヶ峰帝人が折原臨也を求めることは、もう二度とないかも知れない。存在そのものが非日常である平和島静雄とは違い、その思想以外は人間の域を出ない自分を求めることは。
 それに、この少年はあろうことか天敵とも言えるあの男に好意を抱いているのだ。報われる可能性は皆無に等しいとは言え、他人との繋がりを渇望しているような相手がその想いを無碍にするとは考え難い。
 本人の預かり知らない所で救いの一端を取り上げてしまうのも、また一興ではないか。高校時代、まともな人間関係を築けなくしてやったように。

 ――良いよ、帝人君。俺が君を、愛してあげる。

 始まりは、そう、そんな純粋な嫌がらせでしか、なかったのだ。
作品名:胡蝶の夢の欠片 作家名:yupo