Second to None 後編
第5話
この家はずっと静寂に包まれたままだった。だから家の前で車が止まった音、人が歩いてくる音、そして呼び鈴の音。菊はわかっていた。すべてがアルフレッドのものでないということを。アルフレッドだったとしたら、あんなにゆっくり歩いてくるわけは無い。もっと走ってきてくれる、という自負があった。それだけあの短い期間でも愛されていたと、菊は一人になってから思い知っていたから。だから玄関を開けることが億劫でならない、どうせあの人じゃない。そう思いながらも、錠を外す。ゆっくり扉を開けると、そこには。
「まじかよ」
黒いスーツ、写真で見たことのある人、アーサーが立っていた、とても驚いて。
「アーサーさん?」
「俺のこと、覚えているのか」
「いいえ、写真で見たことがあるだけです。アルフレッドさんなら、居ませんよ。一ヶ月ほど前に出て行かれました」
「知ってる」
「…もう、会えないのですね、私はアルフレッドさんに」
「何か、知っていたの」
「やっぱり、そうなんですか」
「ああ、死んだよ。知っていたのか、何か」
「いいえ、全く気づきませんでした。ただ一人になって寂しくて、家中を探してたらお薬の袋と診察券を見つけて。そしたらほどなく主治医の先生が尋ねてきました。その時、全部聞きました。あの人は最後に、あなたを選んだのですね」
「それは違う、俺に菊のことを頼むために、アルフレッドは来ただけだ。それと菊には心配とかさせたくなかっただけだろ、あいつ見栄っ張りだから」
「そんな時にまで」
「それとあいつの遺言」
「何でしょう?」
「死んでも菊に会いたい」
「馬鹿な人」
***
二人でアルフレッドを寝室に運び、菊は棺を開いた。そこには白い菊花に包まれて眠ったようなアルフレッド、菊はその頬をそっと撫でる。かすかな弾力はまさか死人だなんて思えず、ただ何度呼んでも瞼をぴくりと動かさないアルフレッドに、菊はなんとかその現状を受け入れる。
「冷たい、のでしょうね」
「そうだな」
「私には、わかりませんが」
アーサーは部屋の入り口に立ったまま、そんな菊を見ていた。胸のポケットには菊の記憶を呼び覚ませる秘密を忍ばせたまま、言い出せずに居た。今目の前に居る菊は、アーサーの知っている菊ではない。この菊の世界の中心はアルフレッドであり、アルフレッドが最期にどうしても会いたいと願った結果の犠牲だと気づいているはず。老いることも無い、死ぬことも無い。予測できる結末は壊れること、だけ。生命の倫理に違反させられた、憐れな作り物。けれどアーサーは、頭でそう理解していてもそこに居たのはただの生き別れた恋人同士にしか見えなかった。でも今記憶を取り戻したところで、菊は喜ぶだろうか。菊もアルフレッドと同じことを考えは居ないだろうか。アーサーは怖かった。アルフレッドを生き返らせて、とせがむ菊を拒めるか怖かった。
「アーサーさん、私本当はアルフレッドさんと2回出会っているのではないですか」
そんな時、菊がアルフレッドから視線をそらすことなくアーサーに問いかけた。
「それは、どういう意味だ」
「いいえ、何となく。少しだけ思い出したことがあって」
「記憶、取り戻したいか」
「え?」
「アルフレッドが死んだ今でも、菊が生きてた頃の記憶を取り戻したいか」
「そんなことできるわけ」
「できる、その方法はアルフレッドから言付かってる」
「あなた、そういえばアルフレッドさんと同じエンジニアでしたよね?」
「そうだが」
「ならば、私のお願いを聞いてはくれないでしょうか」
「悪いがアルフレッドのことは」
「違います、私を、です」
「菊、を?」
「私を処分していただきたいのです。この国でアンドロイドは禁忌だということを知っています、アルフレッドさんが出て行ってからこの家にある書物を読み漁っていたら偶然知ってしまいました。そこで、私が見つかればアルフレッドさんの功績を汚してしまいます。けれど私の事情を知っているのは、アーサーさんだけなのでは?ならばあなたの胸にしまっておいてくだされば、私の事は誰にも知られない。それに私はアルフレッドさんが居ない以上、動く理由がありません。あなたに迷惑ばかりかけて申し訳ないと思っています。もし断られても、他の方法で私は消えます」
「もし俺が断ったら」
「海に身投げ、が一番安全なのではないかと。でも長い間この体は残ってしまうでしょうね。鉄も含まれていますから」
「身投げは困る。安心しろ、俺は菊の処分までアルフレッドに頼まれてた」
アーサーは笑顔で嘘をついた。
「でも、本当にいいのか」
「何がです」
「思い出したら、その意見が変わるんじゃないのか」
「それはないです、きっと。だって私はアルフレッドさんの望みとして今こうして動いているのでしょう?だったらアルフレッドさんが居なくなった今は、もう必要ないんです。たとえ今からあなたに望まれたとしても、私は消えたい」
「そう聞けて、安心した」
***
アルフレッドが菊を作りまた起動してからはメンテナンスを行っていた部屋へ、菊はアーサーを案内した。アーサーはまるで聖域に踏み入るかのような気持ちでいた、他人の干渉してはいけない部分に触れてしまう気がして。けれど部屋の中から菊が誘う声につられて、アーサーは踏み出す。そこには個人で集めたとは思えない機械の数々、そして部屋の中央にキャスターのついた可動式の寝台が一つ置かれていた。
「私はいつもここで直されていました」
菊はその寝台にのっかり、アーサーを見つめる。
「私のメインスイッチと接続部はここです」
菊は髪をかき上げて、首の後ろをアーサーに見せる。そこは開閉式の扉がついており、開いた向こうにはスイッチとプラグの差込口らしきものを、アーサーは視認する。この時アーサーは漸く菊が人間でないということをはっきりと理解した。
「あとは、全部あなたにお任せします」
アーサーは持ってきた鞄から一つの冊子を取り出す。表紙書かれた「kiku」の文字はアルフレッドの手書きであり、またその中身も全てアルフレッドが自ら書いたものであった。所謂菊の設計図そして取扱説明書のようなもの、をアーサーはアルフレッドを看取ると決めてから譲り受けていた。体はどんなものでできていて、どんな回路がどこをどう通っているのか。予想される故障とその対処法。困った時は一通りこれを見れば何とかなるように、アルフレッドにしては細かい記載がされていた。その文字数に比例する菊への思いが痛いほどに伝わる。そしてアーサーは一番最後のページを開いた。記憶の解除方法。そのページをじっくり見つめ、次いで菊の首に手をかける。パチンと菊のスイッチを切る。ガクンと菊がうな垂れた。そんな菊をゆっくり寝かせて、アーサーは足元に置いたままの鞄からもう一つ取り出した。アルフレッドから預かったもう一つの装置。
「なんで俺が」
***
記憶のファイアウォールを外し、一つの装置を菊に埋め込み、アーサーは菊を再起動させた。パチン、スイッチが入った瞬間パチと開かれる菊の瞼。上から覗き込んでいたアーサーは菊の瞳の中にいる自分を見つけた。パチパチ、と二回ほど瞬きを繰り返した菊は震えだす唇をかみ締めた。
作品名:Second to None 後編 作家名:こまり