Second to None 後編
「アーサーさんっ」
そしてアーサーの首に腕を回し、絡みつく。嗚咽のような菊の声を、アーサーは聞いた。すべてを取り戻したのだろう、先ほど呼ばれたあの口調は昔の菊に似ていた。アーサーは菊の背中をゆっくり撫でる。全部知ってしまった菊、それでも終わりを選んだ菊。こうして触れられることはきっとこれが最後だと思うと、アーサーは無意識に菊を抱きしめ返していた。だが菊が小さく呟く。
「ごめんなさい、アーサーさん」
その言葉に我に返ったアーサーは、腕の力を抜いた。その隙に菊が寝台から急いで降り、そして走り出した。トタトタトタと急いでのぼる階段の音。二階には寝室があった。アーサーは少しだけ呆然として、それからゆっくり菊を追うように歩く。手にはあるものを携えて。階段をゆっくりのぼった。この階段の先に、あるもう一つの最期をアーサーは見届けなければならない。全てはアーサーが決めたことだ。処分は、アルフレッドとの約束にはなかったのに。
アーサーは階段を昇りきり、開かれたままのドアの向こうの部屋の中をのぞいた。そこにはアルフレッドさんアルフレッドさん、と呼び続ける菊が、棺の縁にもたれかかるように伏せ、そして右手はアルフレッドの頬を撫でていた。菊は絶望しているだろうか、記憶を取り戻したことでどんな心境の変化があっただろうか。と考えつつも、アーサーは口を開く。もう一つ、菊に言わなければいけないことがあったから。
「菊」
菊ははっとして振り返る。その目から涙は流れていないものの、哀しいという感情をアーサーは受け取ることができた。だがゆっくりはしていられない、今ここで言わずに居たら菊が望んだことをアーサーは叶えてあげられなくなる。私を処分してください、それが菊の願いであり、約束であるから。
「菊」
「私は、あとどれくらいで停止しますか」
「そのことだが、タイミングは菊に任せる」
「私に?どうやって?」
アーサーは小さなリモコンを菊に差し出した。真っ赤で一つのボタンだけが付けられた、リモコンを。菊はそれを両手で受け取りアーサーを見つめる。
「さっき、菊の体内に爆発物をしかけておいた」
菊が驚いたのか、目を見開く。
「爆発物っていっても菊の体外に影響は出ない。それは菊の体内の一番重要な回路を焼ききるだけの、とても小さいものだ」
菊は両手の上にある、リモコンを見つめる。
「そのリモコンのスイッチを押すと、菊の体内の爆発物が爆発するカウントダウンが始まる。猶予はジャスト十分。そしてそのスイッチを押すと、自動的に俺が持っている受信機にも信号が飛ばされ、菊がいつそれを押したのか、残り何分なのかわかる仕組みになってる。だから別に今すぐじゃなくてもいい。明日でも、一ヶ月後でも、一年後でも、俺は待つ」
「いいえ、そんな心配は及びません。私はもう未練などありませんから。だから、アーサーさん、あなたを苦しませてばかりでごめんなさい。でも私はあなたに看取られたいです。あなたのことも、だいすきでしたよ」
「でも、アルフレッドに対するのとは違う、だろ?菊」
「ごめんなさい、もしアルフレッドさんではなくアーサーさんがお相手だったら、今の私は居ないのでしょうね」
「さあ、どうかな」
「いいえ、きっとアーサーさんはこんなことはしませんよ、あなたはこの人より倫理観のあるエンジニアだと私は思っていますから。それにしても、散々馬鹿な人だと言っておいて、アルフレッドさんを追う私だって、馬鹿ですよね」
菊が何の前触れも無くスイッチを押した。ピピとなって、アーサーが持っていた受信機のカウントダウンが始まる。
「菊!」
「アーサーさんのことですから、きっと精密に作ってあるのでしょうね。そんな顔、しないでください。私は当に死んだんですから」
「菊」
「ですから、そんな顔しないでください。私はもうあなたとも一緒には居られないんです」
アーサーは何も言えなかった。それがアーサーではなく、アルフレッドが作ったものだということも伝えられなかった。ただ、菊が死んだ日、アルフレッドが言った言葉を思い出す。菊には生きる権利があった。こんな事故が無ければ。アーサーは立っていられなくなって、部屋の壁にもたれながら菊から目をそむけて、しゃがみこむ。時間が止まれば、時間を戻せたら、0に近づいていく手のひらのタイマーがひたすら憎らしい。そんな時菊の声がした。菊は棺の縁に寄りかかりながら、またアルフレッドを見てばかりいた。
「研究所の隣にあった生花店で私は働いていました。働き始めたころ、近代的で素敵な建物なのに、出入する人の顔が疲れている人が多く、一体ここはどんなところなのかすごく不思議だったのを覚えています。それでその建物への最初の配達日、はじめて横にあるのが研究所だと知ったんです。きっと皆さん一生懸命になりすぎて疲れていたんだと思いました。だから私くらい笑って差し上げなくてはと思ったんです、けれど届け先がまさかのアルフレッドさんのところで。けれど彼は他の方と違って笑顔の耐えない方で、私拍子抜けしてしまって、気づいたら私が励まされていたんです。アルフレッドさん、最初に私に何を聞いたと思います?実は私の名前なんです。君見ない顔だな、新しく入ったのかい?名前は?て。それで私が菊だと言うと、そうか、だから君はあそこで働いているんだね、とても似合っているよ、て笑顔で言うんです。今までそんなこと聞いてくださる方なんていなかったものですから、嬉しくて。それが何だか段々心地よいに変わって、でもアルフレッドさんは私が配達をする毎に元気をなくしていきました。そしてある日言ったんです、俺は人を哀しませる発明しかできないんだって、私が届けている花はすべてアルフレッドさんの発明を買った団体やら企業やらからのお花だったんですよね。そしてアルフレッドさんが売った技術は、確かに全ての人を幸せにするものではなかったと、私漸く気づきました。加えて私は返す言葉も励ます方法もわからず、結局あの時もアーサーさんに頼ってしまいましたね。私もアルフレッドさんも、あなたなしでは今こんなふうになれなかったでしょう。感謝していましたよ、アルフレッドさんだって。いつも子ども扱いしてくるって愚痴を零していましたが、それが愛情ゆえだときちんと理解していたと思います。私も、とても感謝しています、アーサーさんに。でも、私もアルフレッドさんも、結局あなたを振り回す存在でしかなかった」
その時、気づけばアーサーの手に握られていたタイマーが残り二分を表示していた。
作品名:Second to None 後編 作家名:こまり