釣忍
「如月、大人しく吐け。お前、何をしたんだ?」
非友好的な声音で、主でもある友人が言った。まさに膝詰め談判の状態で。
「さて、何のことだか説明してくれないとね。正直、他の人にならともかく、君に関しては全く心当たりが無い。」
差し出した玉露は、新しい缶のもの。
秋口になって、奥にしまい込んでいた大走りの茶がひょっこり顔を出したのだ。
「株価が変動しそうなことなんだが。」
苦く言われ、目を丸くした。
「悪いが、全く思い当たらない。」
驚く僕に、龍麻は顔も変えず口火を切った。
「そうか。じゃあ昨日俺がした電話の話をしてやろう。昨日、何かあったときにしか連絡を寄越さないヤな友人から連絡があってな、開口一番こう言った。『東京の高校生で骨董屋に顔の効く如月って子を知らないか?』」
僕はゆっくり目を瞬き、情報を整理する。
「それはきっと僕のことだろうが。しかしどうして君の友人が?」
「俺も聞いた。そうしたらな、『東京の如月の坊んが来るって古物商と故買屋が戦々恐々としていて、その余波が観光協会に飛び火してるから、地価と株価が動いてる』ときた」
思わず息を飲んだ。
「で、何をしたのかな若旦那?」
にっこり、真意の読めない笑顔で僕は追い詰められた。
「…何もしていない。」
辛うじて目を逸らさずに口を開く。だが。
「なーにーもー?本当にー?関西弁が苦手だとか基本的に関西人が不得意だとか本気で言う割に最近までそういう人間が身近にいなかった如月翡翠さんが、ほーんーとーにー?」
「…何が言いたいんだ君は。」
「いえね、関西人をあまり知らないのに、はっきりきっぱり苦手だの不得意だのおっしゃるからには昔イタイケだった時代に何か人には言えないことがあったんでしょうねえ、と劉と噂をしたことがありましてな、ええ。」
「…不快にしたなら済まない。」
忘れがちだが、龍麻は京都民だ。
その気になれば流暢に関西弁を話す。
以前、件の劉と呼吸の合間に互いが口を開いているような早口の問答を繰り広げ、終わった途端に息を切らした二人に仲間皆が拍手で讃えたのを覚えている。
そんな呆れともつかない感嘆のあと、響いた劉の絶叫も。
劉にあわせて大阪弁で喋っていたが、京都民だと聞かされて、信じられないと驚いていた。
大阪弁とひとくくりにされることもある関西弁に、そんな違いがあると分かるのは関西人くらいのものだが、当人たちには大きな違いなのかもしれない。
そもそも、京都民、と僕が龍麻を呼ぶことも劉には驚かれた。その呼び方自体、京都に長くいるひとたちの言い回しらしい。
『如月はん、京都にお友達でもいはるんかいな?わいみたいなテキトー関西弁のもんなんか、京都民て名乗る人らには下手な関西弁なら喋らん方がええって注意されるんやで?』
目を丸くしてそんなことを言われ、逆に関西人は苦手だと白状させられたのだ。
そう、別にいまさら白状することが増えたから何だと言うのだろう。
一つ溜め息をついた。
龍麻がニヤリと笑う。彼には言いにくい事を言うときのこの癖を指摘されたことがある。
「…本当に何もしていないんだ。この間、仕入れの電話のときに、ちらっと修学旅行の話をしただけで。」
目を逸らして言えば、龍麻は、ああそっか、と声を上げた。
「骨董品の仕入れで京都のマーケットはかかせないもんな。しかもあの連中は海千山千だ。そりゃ関西人が苦手になるわな。」
こく、と頷きお茶を啜る。骨董の仕入れはもともと酷く難しい。鑑定そのものも難なのだが、なにより人とのやりとりが大変だ。贋作を本物のように吹っかけられるのは当たり前で、脅し賺しで売買を成立させることもあるし、コレクターの心情なんて面倒なものも計算しなくてはならない。
京都・大阪は骨董の一大マーケットで、信用の置ける人も置けない人も、一夜明けると入れ替わったりしている厄介な土地だ。
「でも何で修学旅行が騒ぎになるんだ?お前さん、京都立入禁止令でも出てるのか?確かそっちも奈良京都だったよな?」
「・・・別に、立入禁止令なんて出てはいないけどね。子供の頃、お爺様に連れられて行った京都のマーケットで、ちょっと・・・その・・生意気な口をきいてしまってね、たくさん。」
「生意気な口?」
「それこそ反抗期、というものだったんだろうけど。真贋や適正価格を全部口に出して言ってしまってね・・・」
「・・・お前、それ・・・」
龍麻は無言になった。それはそうだろう。騙し賺しも生活のためだ。あの時、骨董屋としての面子を僕が潰した店は、10や20で済むだろうか。
いくら子供の言とはいえ、お爺様の後継としての顔見せもあったのだ。
不正な価格に怒りを覚えても、それを同業他者や客の前では言うべきではない。やり過ごす方法くらい覚えるべきだったのだ。
「・・・京都の敷居が高くなっただろ・・・。」
「お爺様もそのあと何年かは足を運ばなかったね・・・僕は京都の料理と言ったらお茶漬けが真っ先に浮かぶようになったし。」
呟けば、噴出された。”ぶぶ漬けでもどうどすか?”が”とっとと帰れ”という意味の隠語であるとは、もう全国に知られている。
「でも修学旅行なら仕方ないじゃないか。別に通りすがりに一つ二つ店を覗いても不思議じゃない。学生服なんだろうし。」
「・・・日程がね、問題なんだ。」
「へ?十月の、平日だろう?」
何の不思議があるのだろうか、と龍麻は思っているらしい。
「・・・言い訳させてもらうと、僕は不可抗力だ。班の人間が気付いてしまって、無理に班行動の中で行くことが決められてしまったんだ。」
「・・・なんだよ、その不穏な前振り・・・」
冷や汗でも龍麻は浮かべそうな顔だが、僕は腹の底から吐き捨てた。
「・・・京都骨董大市の日なんだっ・・・!」
ちりーん、とどこかで仕舞いそびれた釣忍の風鈴が鳴ったようだった。
それくらい、時間が止まったようだった。
「・・・あ、悪夢ふたたび・・・」
龍麻が引き攣った笑いを浮かべる。
「向こうもそう思っているだろうね。」
僕も苦笑した。
他の高校なら半年は前にやるだろう修学旅行が、この時期、それも今更の奈良京都。
殆どの生徒は同じような旅行を経験していて、最早飽き飽きしている。
なら少しでも目新しいものを、と探した結果が骨董市になるのは彼らには当然なのかもしれない。
何しろ一大マーケットだ。東京にもそれは見事な店が集まる骨董市があるが、普通は知らない。
それに恐らくは親切も半分入っている。
教室で、”それほど馴染んでいるように見えない如月君”にも少しでも楽しめるものがあればいいという意思が見え隠れしている。
『骨董屋なんだろ、鑑定してくれよ』
『見立てが間違ってたら教えてね』
『お土産にいいもの選んでくれる?』
まるで悪戯でもするように、笑いながら口々に班の皆が言った。
それに水を差すのは・・・どうしてか躊躇われた。
大人数で笑いあう心地よさを龍麻に教えられてしまったからだろう。
以前なら、鬱陶しいとさえ思っただろうに。
この半年で、仕方ない、と苦笑することを憶えてしまった。
龍麻は、それを『ひとを大事にするようになったからだ』と嬉しそうに僕の変化を指摘した。
その顔をまさに今、してしまって、僕の苦笑に龍麻は微笑む。
非友好的な声音で、主でもある友人が言った。まさに膝詰め談判の状態で。
「さて、何のことだか説明してくれないとね。正直、他の人にならともかく、君に関しては全く心当たりが無い。」
差し出した玉露は、新しい缶のもの。
秋口になって、奥にしまい込んでいた大走りの茶がひょっこり顔を出したのだ。
「株価が変動しそうなことなんだが。」
苦く言われ、目を丸くした。
「悪いが、全く思い当たらない。」
驚く僕に、龍麻は顔も変えず口火を切った。
「そうか。じゃあ昨日俺がした電話の話をしてやろう。昨日、何かあったときにしか連絡を寄越さないヤな友人から連絡があってな、開口一番こう言った。『東京の高校生で骨董屋に顔の効く如月って子を知らないか?』」
僕はゆっくり目を瞬き、情報を整理する。
「それはきっと僕のことだろうが。しかしどうして君の友人が?」
「俺も聞いた。そうしたらな、『東京の如月の坊んが来るって古物商と故買屋が戦々恐々としていて、その余波が観光協会に飛び火してるから、地価と株価が動いてる』ときた」
思わず息を飲んだ。
「で、何をしたのかな若旦那?」
にっこり、真意の読めない笑顔で僕は追い詰められた。
「…何もしていない。」
辛うじて目を逸らさずに口を開く。だが。
「なーにーもー?本当にー?関西弁が苦手だとか基本的に関西人が不得意だとか本気で言う割に最近までそういう人間が身近にいなかった如月翡翠さんが、ほーんーとーにー?」
「…何が言いたいんだ君は。」
「いえね、関西人をあまり知らないのに、はっきりきっぱり苦手だの不得意だのおっしゃるからには昔イタイケだった時代に何か人には言えないことがあったんでしょうねえ、と劉と噂をしたことがありましてな、ええ。」
「…不快にしたなら済まない。」
忘れがちだが、龍麻は京都民だ。
その気になれば流暢に関西弁を話す。
以前、件の劉と呼吸の合間に互いが口を開いているような早口の問答を繰り広げ、終わった途端に息を切らした二人に仲間皆が拍手で讃えたのを覚えている。
そんな呆れともつかない感嘆のあと、響いた劉の絶叫も。
劉にあわせて大阪弁で喋っていたが、京都民だと聞かされて、信じられないと驚いていた。
大阪弁とひとくくりにされることもある関西弁に、そんな違いがあると分かるのは関西人くらいのものだが、当人たちには大きな違いなのかもしれない。
そもそも、京都民、と僕が龍麻を呼ぶことも劉には驚かれた。その呼び方自体、京都に長くいるひとたちの言い回しらしい。
『如月はん、京都にお友達でもいはるんかいな?わいみたいなテキトー関西弁のもんなんか、京都民て名乗る人らには下手な関西弁なら喋らん方がええって注意されるんやで?』
目を丸くしてそんなことを言われ、逆に関西人は苦手だと白状させられたのだ。
そう、別にいまさら白状することが増えたから何だと言うのだろう。
一つ溜め息をついた。
龍麻がニヤリと笑う。彼には言いにくい事を言うときのこの癖を指摘されたことがある。
「…本当に何もしていないんだ。この間、仕入れの電話のときに、ちらっと修学旅行の話をしただけで。」
目を逸らして言えば、龍麻は、ああそっか、と声を上げた。
「骨董品の仕入れで京都のマーケットはかかせないもんな。しかもあの連中は海千山千だ。そりゃ関西人が苦手になるわな。」
こく、と頷きお茶を啜る。骨董の仕入れはもともと酷く難しい。鑑定そのものも難なのだが、なにより人とのやりとりが大変だ。贋作を本物のように吹っかけられるのは当たり前で、脅し賺しで売買を成立させることもあるし、コレクターの心情なんて面倒なものも計算しなくてはならない。
京都・大阪は骨董の一大マーケットで、信用の置ける人も置けない人も、一夜明けると入れ替わったりしている厄介な土地だ。
「でも何で修学旅行が騒ぎになるんだ?お前さん、京都立入禁止令でも出てるのか?確かそっちも奈良京都だったよな?」
「・・・別に、立入禁止令なんて出てはいないけどね。子供の頃、お爺様に連れられて行った京都のマーケットで、ちょっと・・・その・・生意気な口をきいてしまってね、たくさん。」
「生意気な口?」
「それこそ反抗期、というものだったんだろうけど。真贋や適正価格を全部口に出して言ってしまってね・・・」
「・・・お前、それ・・・」
龍麻は無言になった。それはそうだろう。騙し賺しも生活のためだ。あの時、骨董屋としての面子を僕が潰した店は、10や20で済むだろうか。
いくら子供の言とはいえ、お爺様の後継としての顔見せもあったのだ。
不正な価格に怒りを覚えても、それを同業他者や客の前では言うべきではない。やり過ごす方法くらい覚えるべきだったのだ。
「・・・京都の敷居が高くなっただろ・・・。」
「お爺様もそのあと何年かは足を運ばなかったね・・・僕は京都の料理と言ったらお茶漬けが真っ先に浮かぶようになったし。」
呟けば、噴出された。”ぶぶ漬けでもどうどすか?”が”とっとと帰れ”という意味の隠語であるとは、もう全国に知られている。
「でも修学旅行なら仕方ないじゃないか。別に通りすがりに一つ二つ店を覗いても不思議じゃない。学生服なんだろうし。」
「・・・日程がね、問題なんだ。」
「へ?十月の、平日だろう?」
何の不思議があるのだろうか、と龍麻は思っているらしい。
「・・・言い訳させてもらうと、僕は不可抗力だ。班の人間が気付いてしまって、無理に班行動の中で行くことが決められてしまったんだ。」
「・・・なんだよ、その不穏な前振り・・・」
冷や汗でも龍麻は浮かべそうな顔だが、僕は腹の底から吐き捨てた。
「・・・京都骨董大市の日なんだっ・・・!」
ちりーん、とどこかで仕舞いそびれた釣忍の風鈴が鳴ったようだった。
それくらい、時間が止まったようだった。
「・・・あ、悪夢ふたたび・・・」
龍麻が引き攣った笑いを浮かべる。
「向こうもそう思っているだろうね。」
僕も苦笑した。
他の高校なら半年は前にやるだろう修学旅行が、この時期、それも今更の奈良京都。
殆どの生徒は同じような旅行を経験していて、最早飽き飽きしている。
なら少しでも目新しいものを、と探した結果が骨董市になるのは彼らには当然なのかもしれない。
何しろ一大マーケットだ。東京にもそれは見事な店が集まる骨董市があるが、普通は知らない。
それに恐らくは親切も半分入っている。
教室で、”それほど馴染んでいるように見えない如月君”にも少しでも楽しめるものがあればいいという意思が見え隠れしている。
『骨董屋なんだろ、鑑定してくれよ』
『見立てが間違ってたら教えてね』
『お土産にいいもの選んでくれる?』
まるで悪戯でもするように、笑いながら口々に班の皆が言った。
それに水を差すのは・・・どうしてか躊躇われた。
大人数で笑いあう心地よさを龍麻に教えられてしまったからだろう。
以前なら、鬱陶しいとさえ思っただろうに。
この半年で、仕方ない、と苦笑することを憶えてしまった。
龍麻は、それを『ひとを大事にするようになったからだ』と嬉しそうに僕の変化を指摘した。
その顔をまさに今、してしまって、僕の苦笑に龍麻は微笑む。