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中野コブクロ
中野コブクロ
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その翌日、南池袋公園にて。

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午後の日差しが柔らかく降り注ぐ南池袋公園。
 その一角のベンチにぐったりとした様子で腰かけているトムの元へ、両手に缶コーヒーを持った静雄が小走りで駆け戻った。
「トムさん、大丈夫っすか」
「んー………、おお……」
 不明瞭な声でそう返したトムは、眼鏡を外し、目頭を揉むようにしながら静雄の差し出した缶コーヒーを受け取った。その仕草もどこか緩慢で、物凄く眠そうだ。
「入力作業に午前一杯かかっちまったからなあ。目に来るから寝不足の日は堪えるぜ」
「はあ……」
 寝不足、の言葉になんとなく背中がむずむずする。
 彼が寝不足である原因が、間違い無く自分にあるからだ。
 静雄とトムがただの先輩後輩から上司と部下になってしばらく経つが、それにまた新たな関係性が付け加えられたのが一月ほど前の事だった。現在、静雄とトムは先輩と後輩で、上司と部下で、更に恋人同士という間柄である。
 紆余曲折を経て、男同士やら何やらという様々な壁をえっちらおっちら乗り越え、気が付けばそういう関係に落ち着いてしまっていた。未だに静雄自身も信じられない事なのだけれど、事実なのだから仕方がない。
 誰か特定の相手とお付き合いするという事自体が初めてな静雄は、慣れない関係性に未だ戸惑い気味だった。だが、良く言えば初々しい、悪く言えば色々と未熟な静雄に、トムは根気強く歩調を合わせてくれている。何せお付き合いにおけるセオリー的なものの知識が皆無なのだ。そういった事に関してそれなりの経験値があるらしい彼は、亀のような歩みの静雄の進歩をじりじりと待っていてくれた。
 そう、昨日までは。
「………お前はなんか、元気そうだよなあ。眠くねぇの?」
「え。あ、平気っす」
 けろりとそう答えると、疲労が色濃く滲む顔でトムは深々と溜息を吐いた。
「…………俺が年なんかなあ…」
「何言ってんすか、二つっきゃ違わねぇっしょ。俺、あんま寝ないでも平気なんすよ」
「俺だって昔はあんま寝ねぇでも平気だったけどよォ…………てか、あー、そうじゃなくて」
 左手で缶コーヒーを持ったまま、トムが胸や腰の辺りをごそごそと漁っている。ん、あれ、と声を上げたトムに、静雄は自分のポケットから取り出した煙草をすっと差し出した。
「さっきトムさん全部吸いきっちまってたじゃないすか。一本どうぞ」
「あ、そうだったっけか。悪ぃな」
 差し出された煙草に火を着け、唇に咥える。
 深く吸い込んだ煙をゆるゆると吐き出しながら、トムは自分の隣をぽんと叩いて静雄に座るよう促した。
「………はー、色々ヘコむぜ…」
「なんでっすか」
 トムの隣に腰掛けながら、力ない声でぽつりとそう呟いた彼に小首を傾げる。
「だから色々だよ。色んな事がこう、綯い交ぜになってだな」
「なんすかそれ。色々って例えばどんな…」
 その『色んな事』に昨夜の事も含まれているのかなと思った途端、静雄の口はぴたりと止まった。
 いや、どう考えてもこのタイミングで含まれていないはずがない。昨夜、そういった事に至るまでの彼はいつもと何ら変わった様子も見られなかったのだ。自分が、何か至らぬ事でもしでかしてしまったのだろうか。
 神妙な顔で黙り込んでしまった静雄に、その表情を読み取る事に長けたトムが慌ててそれを否定した。
「ああ違う違う、お前のせいとかじゃなくてだな」
「……俺、何も言ってませんけど」
「や、でも何かそういうたぐいの事考えてたろ」
「はあ、まあ………」
「だから、そうじゃねぇって。なんつーかこう、俺の個人的な感情っていうかな………」
 もどかしそうに頭を掻いたトムは、はああああ、と再度深い溜息を吐きながら、こつりと額を静雄の肩に預けてきた。そのまま静雄の身体に凭れるようにくったりと力を抜く。
 きょろ、と静雄は周囲を見回した。平日の真っ昼間で、公園内には行き交う人の姿もそれなりにある。こんな昼日中の明るい場所で、いい年をした男二人がくっついていて良いものだろうか。
 静雄としては、今更人様にどう思われようがどうという事もないのだけれど、彼はそれで良いんだろうか。常識も分別もある彼が、人目のある場所でこんなふうに懐いて来る事など初めてだった。
「……昨夜からずっと反省中だったんだよ、俺は」
「は、反省……?」
「そう。ちょっとがっつき過ぎちまったかなって」
 肩に凭れかかった彼が、ちら、と視線を上げる。その目に含まれるほんの少し熱っぽい色合いに、どきりと心臓が音をたてた。
「………お前初めてだっつーから、あんまガツガツすんのはなぁと思ってたのに、途中から自制きかなくなっちまったもんだからよ」
「……………そうなんすか……」
「そうだよ」
 昨夜。
 その言葉に記憶が呼び覚まされて、なんだかいたたまれない気分にさせられる。こんな明るい日の光の下では思い出す事も憚られるような濃厚な接触を、昨夜自分達は持ったのだ。
 はっきりと互いの気持ちを言葉で確認し合ってから一月。その間、なんとなく微妙な空気になった事は度々あったものの、行為にまで至るような事にはならなかった。
 興味がなかったわけでは勿論ない。静雄もまだ若い男なのだ。性欲だって年相応には持ち合わせていたし、好いた相手と二人でいればそういう気分になる事も少なくなかった。
 けれど、どうすれば良いのかがわからなかった。
 トムと触れ合いたいと思いはしても、そこから先に進もうとすると躊躇いが足を止めた。男同士の行為に抵抗がなかったと言えば嘘になる。けれどそれ以上に、彼に嫌悪感を持たれてしまう事が恐ろしかったのだ。
 男同士のセックスなど、決して美しいだけのものではない。
 知識としてだけうっすらと知っているその行為を思えば、静雄自身も矢張り嫌悪感が先についた。その嫌悪感を、彼が抱かないという保証はどこにもないのだ。行為に至り、途中で我に返られてしまったらと考えると、身が竦むような思いがした。それくらいなら、彼にとっての特別な存在などでなく、ただの後輩や部下でいた方がずっと良かった。
 変容していく関係に、怯えていたのかもしれない。静雄にとって一番大事な事は、自分が彼にとって特別な存在であり続ける事ではなかった。出来るだけ長く、彼のそばにいたい。その気持ちだけが、他のどんな感情よりも強かった。
 酔った弾みでそれを吐露してしまったのが、昨夜。
 ただの後輩でもいいんで、出来るだけ長く側にいさせて下さい。ぼそぼそそう呟いた静雄に、彼は深い溜息を吐いて手を伸ばしてきた。

『お前、んな事考えてたのかよ』

 囁くようにそう言った彼に、抱き締められた。酒のせいだけではなくぼんやりと霞む頭で、幸せだなあなどと呑気に考えていたのを覚えている。
 背中に回された手に項を撫で上げられ、ずく、と心臓が甘く疼いた。慰撫するような手の動きが気持ち良くて、うっとりと目を閉じると唇が重ね合わされた。

『─────余計な事考えさせるくらいなら、時間なんかやるんじゃなかったぜ』

 重ね合ったままの唇が、どこか呆れたようにそう囁いた。ほんの少し不機嫌そうな色の覗くその声にぱちりと目を開けると、睨むように静雄を見つめるトムの目が至近距離にあった。