君にしか言えない言葉
竜ヶ峰帝人について語るなら、あいつぁ不器用な奴だったと思う。
人懐こい性格をしてたし、あんまり先入観にもとらわれねえ、視野の広い男ではあった。だからか、なんでか妙なヤツにばっかり好かれてなあ。ああ、俺もそのうちの一人だ。
貧乏人が集う下宿でな、一番端の部屋に住んでた。俺の隣の隣で、いつも人が絶えねえ部屋だった。思えばあのころが一番楽しかったんじゃねえかな。
あいつぁ苦学生で、翻訳の仕事しながら医学を学んでたんだ。金に余裕があるときは片っ端から専門書を買いあさるんで、いつも腹をすかせてたな。擦り切れた袴を引き摺るようにして歩いて、いつも本を片手に置くもんだから、本の虫だとあだ名があって、本人もそれを好んでた。俺ァ実家が近いから、米にだけは困らねぇんで、良く部屋に握り飯を差し入れたもんだよ。中身の何にもねえ、塩だけの握り飯を、あいつぁ本当に美味そうに食うから、その顔が見るのが楽しくてなァ。有難うございます、平和島さんって笑う、その、気を許したような笑顔が、好きだったんだ。
あア、そうだな、惚れてたよ。
けど付け入る隙なんざなかった。あいつの隣にはいつも臨也が陣取って、さも当然のように、帝人君帝人君と甘えてたからな。
そう、折原臨也だ。俺ァあれのことだけはいけ好かなくて、下宿でも喧嘩三昧だった。帝人のことを抜きにしても、やることなすこと全部がうそ臭くて、滑稽で、酷くカンに触ったもんだ。・・・まア、俺たちが喧嘩するたびに帝人が飛んできて、必死になって止めるもんで、そんな風に構ってもらいたくて喧嘩してたところも、あったかも知れねえなァ。
取立て屋をやってた俺と違って、臨也は劇団の役者でな。あの下宿に居たころは全然売れてねェで、食うもんどころか、家賃まで滞納する有様だった。そのたびに顔なじみが立て替えてやって、でも、いつか大物のスタアになってどーんと返してやるからと、あいつはいつも嘯いていた。今になって思えば、あれも虚勢の一種だったのも知れねぇが、俺にはそんな態度もふてぶてしくて頭にくるってんで、やっぱり喧嘩ばっかりだった。
帝人と臨也は、そうだな、俺から見たら臨也のほうがべったりと帝人に甘えてるような様子に見えた。いつだってふてぶてしい顔を貼り付けてるあの男が、帝人の前でだけ子供みてぇに笑うから、余計にそう見えたのかもな。入り込めねぇ雰囲気があって、近くに居ると疎外感を覚えて空しくなるから、二人揃っているところへは極力近づかなかった。・・・いや、近づけなかった、の方が正しいかもしれねぇな。帝人にきっぱりと振られる覚悟もなかったから、いつまでも希望だけ抱いて、ずっとそんなぬるま湯みてえな関係で居たかったんだろう。
そのうち、帝人が卒業試験で忙しくなるころに、突然臨也の野郎が映画に出ることに決まってな。それが何百人の中から選ばれた役だったらしくて、成功すれば本人の言うとおりにスタアになれるってんで、下宿でも大いに盛り上がったもんだ。主役ではなかったがちょっと格好のいい二枚目の役で、帝人なんか泣いて喜んでなぁ。それで、撮影だなんだかんだで臨也が忙しくなって、帝人は帝人で卒業試験に没頭して、思えばその辺りからすれ違いがはじまっちまったんだろう。
映画は言われたとおりに大当たりしたし、臨也はおかげでスタア街道をまっしぐらだ。当然、あんなぼろっちい下宿には居られなくなる。
家を買うって言うんで、帝人に一緒に住んでくれと臨也が頭を下げたのも知ってるが、帝人は帝人でいろいろあってな。あいつぁ町医者になりたかったんだとよ、ほれ、あいつの家貧乏だろ?子供のころ病気になって寝込んでるところを、助けてくれた医者がいたんだと。お代も取らずに治療をしてくれて、おかげで命を取り留めたと、それでそんな医者になりたいんだと決めていたらしい。
臨也も頑固なところがあるが、帝人ときたらそれ以上だ。免許も開業の許可もあるから、下町からは離れられねえというわけよ。
手紙も書くし、会いに行くからと臨也をなだめすかして、そんで二人は道を違えた。そうは言っても、新米の開業医と映画スタアじゃ、両方忙しくてそれどころじゃねえだろう。映画やテレビに出れば帝人も見てくれるだろうってんで臨也は仕事をつめるし、そんな臨也を見るにつけ、僕も頑張らなきゃなんて言って帝人も根を詰める。手紙のやり取りは続いてたみてぇだが、会うことはできなかったらしい。
そんな状態で、一年・・・いや、一年と半か。
帝人が突然、倒れやがったんだ。
・・・まあ、おおよそ予想はつくだろうよ。医者の不養生とはよく言ったもんでな。
他人のために尽力するあまりに、自分のことを何でも後回しにした結果だ。普通医者なんてもんは、儲かる職業のはずなんだ。でも帝人は自分の手取りを減らして、その分貧乏人のために薬を安くしてやったり、そんなことばっかりしていたから、評判が良くなって忙しくなるほどに、自分のほうが追い詰められっちまったのさ。
極度の栄養失調と、持病の肺だったか。親からの遺伝の病気だって笑ってた・・・そんなになってまで、笑ってた。
帝人は俺には一度も助けを求めなかったんだ。涙もみせず、愚痴もこぼさず、ただ笑うばかりで。おまけに臨也の野郎にも何も言ってねえって言うから、俺ぁもう、居ても立っても居られなくなってよぉ。
相変わらずやりとりしてたらしい手紙から臨也の住所を知ってなぁ、わざわざ俺が会いに行ったんだが、何べん行っても使用人にすげなく追い返される。当たり前かもしれねえな、こっちはボロ着た取立て屋で、向こうは毎日のブラウン管を彩るスタアだ。接点があるようには見えねえからな。
それでも何度も会いに行くうちに段々と、使用人も俺を哀れに思ったんだろう。臨也は今、どうしてもやりたいと懇願して役を貰った映画の撮影で、しばらく戻らねえってな、教えてくれたんだ。俺は迷ったが、その使用人の女を信用して、伝言を頼むことにした。俺たちが前に住んでいた下宿の名前を出して、帝人が倒れていよいよ命が危ないから、会いたければ早く来いと、それだけ。
思えばあの女が、多分手紙のやり取りをしている相手のことを知っていたんだろう。それから三日もしないうちに、臨也が血相変えて帝人の家に駆け込んできて、そんで、俺に掴みかかって何でもっと早く教えなかった!って怒鳴りやがって。俺はそんなこたぁどうでもいいから早く帝人に会えと言って、寝室に蹴り入れてやった。
帝人は、臨也の顔を信じられないものを見るような顔で見詰めていたが、臨也が帝人君、と叫んでその手を握ると、あァ臨也さんだ、と呟いて笑って。
それからなあ、急にぼろぼろ、泣いたよ。
子供みてぇに声をあげて。
痛い、苦しい、辛い、と泣いた。
俺にはいつも、笑ってばかりで、平気な顔をしてばかりで、ちっとも弱味を見せてはくれなかったのに、そんな帝人が、臨也にすがり付いては泣けるのかと、そう思うと俺にゃあ、ますます付け入る隙がない。
悲しかった。自分の無力が酷く情けなかった。帝人の支えになりたいと思って側にいたのに、支えになんか全くなれていない自分に腹が立ってたまらなかった。結局俺では臨也の代わりはできねえんだと、そんなことを思い知らされて本当に悔しかった。
作品名:君にしか言えない言葉 作家名:夏野