今鳴いた烏がもう笑う
小ばかにしたように笑われる。ああどうせまた言ったところで鼻で笑われるのがオチなんだ。だったら言うのもバカらしい。
苛立ち紛れに背を丸めて本を拾い集めている彼の黒い長い髪をぐいと引っ張った。
「痛っ!」
引かれるまま足の上に乗っかる。頭皮が痛んだのか半分涙目で睨んできた。
「坂本の運転する車に」
「それはもういいから!」
髪を引っ張るとぐっと彼は口を閉じた。苛立ちが見てわかるほど眉間に刻まれている。あーあー、悪かったですねこんちくしょう。
「これも」
両手に持ったままの拾い集めた本の一番上に最後に後頭部を直撃してくれた鳥類辞典を乗せる。すると彼は涙目のまま睨むでもなく見上げてきた。
「……なに?」
妙に気持ち悪い。尻の辺りがむずがゆくなる。と、本棚を顎で示して違います、と言った。
「さっきも言ってたな。何が違うんだ?」
「これは、3段目です。先生は先程2段目に戻したから、違うと言ったまでです」
「んなのさっさと言えばいいだろーが」
「タバコ臭かったから言えなかったんだろうがってかまだ臭!」
「うっせえ!」
言われれば言われるほど余計に顔を寄せる。痛いのと臭いので涙目が酷くなるのに泣かせたい衝動が増した。
「やめてください、先生!」
「今のイイ。もっかい言って」
「喋るな!先生、やめてください!」
「何それ命令してんの?お願いしてんの?どっちよ」
ぞくぞくする。やめてくださいと先生は繋げるとなんていい響きなんだろう。もっともっと顔を近付ける。もうほとんど距離もない。
黒い瞳がぎゅっと閉じられ、目尻に溜まった水が溢れる。ああ、たまんねえな。
最後の距離を詰めると、唇に鼻先が触れた。
「やめ………ろと、言ってるだろうがぁあ!」
途端体に走る衝撃。背中を強かに本棚にぶつけて、地震でも耐え切った本がばらばらと振ってくる。数冊が頭に当たった。
「あーえーと、すんません先生調子に乗りました。あんまりいい声で鳴くからつい」
「……先生」
上から見下ろされる。いつの間にかオレンジ色だった室内が暗闇に染められようとしていた。あれほど煩かった野球部の掛け声も、烏の鳴き声も聞こえない。夕陽は沈んでしまったのか。代わりにはーはーと呼吸音が耳に届く。幾度か息を吐いて、ん、と喉を鳴らして唾を飲み込んだようだった。
「先生、知ってましたか?」
「何?何でもいいから退いて」
ふうと息を吐いて、彼はにやりと笑ったように見えた。暗闇で表情がよく見えないので推測でしか無いが。
「烏は、不吉を運ぶ鳥だって」
「ああ、知ってる、知ってるからちょっと重いんですけどぉ!」
「でも、古来日本では吉兆の鳥なんですよ」
押しのけようとした腕を止めて見上げる。少し起き上がると涙目で笑っているのが見えた。
「何、受信したの」
「さあ。何でしょうか」
にいと笑う。黒い服、黒い髪、黒い瞳。微笑が暗闇に溶けていく。
「ねえ先生。俺は、どちらですか?」
つうと涙が頬を伝う。ああ俺は、捕まった。
作品名:今鳴いた烏がもう笑う 作家名:なつ