秋の一景
縁側に、独眼竜が座っていた。
時は昼下がり、ところは武田領が真田幸村の邸である。
「・・・あぁた、なんでいるんですか・・・。」
邸の裏には山がある。そこからこの縁側に向かうようにして真田邸に入れば人目にはつかない。
それがあるので佐助は常に出入りをそこからする。
そうすることで、佐助は常に真田邸で幸村を守っているのだと、少なくとも里人も他の人間も錯覚する。
ついでに、真田の周辺を探る不審な輩は必ずこの山を利用するので、異常がないかを確認できる。
まさにその確認をしてきた直後、山を巡回し、下って邸に帰ったその場で。
・・・異常が発見されたのでは日ごろの苦労も報われまい。
「HEY! What are you doing?浮かねえ顔してるじゃねえか。」
刀はあれども、別段に武張った姿ではない。
気楽な風体で縁側に座るは奥州筆頭である。
先年に武田とは同盟を結び、稀ではあるが(しかし度々に)武田を訪れては信玄や幸村に会っていく。
手土産らしい、熊笹で包まれた包みが脇においてあり、そこから畢竟、団子を持って現れたが誰にも会っていないのだろうと判断される。
・・・警備の不備を恥じるのは、この邸では佐助だけなので、なおさら事態は恥ずかしいやら深刻やら。
この邸は人が少ない。
とっても少ない。少なくとも、もう二人くらいいてもいいだろうと思うのだが、ここで起居する家人というのは、主人の幸村と佐助、有事に留守番役をする婆のみである。掃除はこの婆がしてくれる。
朝食の前には、食事を作る里人の妻や長年武田に仕えてくれる馬番などが毎朝通いでやってくるのだが、それきりだ。
婆がいるなら半刻かからず、この客人の来訪を察して応対しただろうが、生憎とこの時間は寺に通っていることが多い。
主人の幸村はどうしたものか・・・お館様のところかはたまた鍛錬かどこぞへ出かけたか。それか甘味を求めて彷徨っているか。
書院で本を読むというのはない。恐らく絶対にない。ときどきこの伊達政宗が羨ましげに真田家の蔵書を眺めていることなど、気付きもしない主には、ソレくらい意識の果てだ。
「・・・浮かないってねぇ。そりゃ失礼しましたけども、連絡くださいよ、曲りなりにも奥州筆頭を名乗ってどこからもケチがつかないお人が待ちぼうけなんて・・・そんな失礼、うちだってしたくないんですから。」
「だったら、この無人の邸をなんとかしろ。お前の部下の一人くらいいるかと思ったが、気配がねえじゃねえか。」
「それは言わないでくれない?有事のときならともかく、平和なときは畑を耕せってのが旦那のご命令でね。」
このあたりをうろうろしてたら怒られるんだから可哀想ったらない。
しかし、そんなぼやきは腹に隠す。幸村の傍に誰かがいることが有事の証拠と知れるのは、都合が悪い。
「たまに野菜を持ってきてくれるけどね。お宅の右目殿にゃ、まだ勝てないから今は自重してるとこだよ。」
「・・・小十郎が目標ってんなら、あと十年は無理じゃねえか?」
「・・・やる気が削がれること言わないでくれない?ていうか、武士としてそれもどうなの。」
「オマエのところに言われるのも釈然としねえな。」
「・・・そういうことも言わないでくれない?大体、男子たるもの炊事場に足を踏み入れるなんて、っていう御仁も多いのに、アンタといい旦那といい・・・」
「俺が作った方が旨いからいいんだよ。」
ニカリと独眼竜が笑む。
初めて話を聞いたとき、はっきり言って呆れたのを思い出す。
好んで料理する武将など、前代未聞だったのだ。
勿論、初めは毒殺を避ける有効な手段として行っていたのだろうと推察される。
だが、毒を当てられるほどに繊細な舌先は、いつしか美食にも敏感になったのだろう。
自分で作らない正月料理の献立さえ、伊達政宗は自分で指示するのだと何かの折に聞き及んだとき、本当に趣味なのだと確信した。
そう、異国語を使うのも、戦に傾倒するのも、料理を好むのも、全てこの武人の趣味だ。
配下が集めた情報には、書画も茶も舶来ものの美しい道具も腐心しているとあった。
全くもって趣味人なのである。
と、ふと気付いた。
「あれ?そういや竜の旦那、それどこの国の香?なんか知らないけどイイ匂いだね。」
焚き染めてあるのは、恐らく袴だろう。
佐助の知らない涼しい香りが、仄かに政宗からする。
「流石だな。わかってくれるか!」
独眼竜は膝を叩いて喜色を浮かべた。
やはり渡来品だったらしい。佐助は忍びだ。薬となるようなものなら、なんであれ知識としている。その佐助の記憶にない香りがする、となるとこの国でそう簡単に手には入らないものくらいだろう。
「そりゃね。アンタみたいに洒落者じゃないからウチの旦那は着物に焚き染めたりしないけど、やっぱり武具は俺様が準備して焚き染めてるし。」
戦場は惨い。酷い。
それは血も臓物も汚物も撒き散らされ腐乱し、そのままに朽ち果てる場だからなおさらだ。
そのために、せめてと武将は嗜みも含めた意味で戦装束に香を焚き染める。
それよりなにより、戦装束は漆や皮でできている。
虫除けの意味でも香は焚き染めておいた方がいいのだ。
それは往々に毒などが混ぜられないように妻女や装束を身につける本人が用意する。
「ああ、幸村は結構丁寧に装束を扱ってると思ってたら、なんだやっぱりお前が仕度をしてたのか。」
「そりゃそうでしょ。槍以外は全部おまかせされちゃってるのよ、俺様。あの人、戦だってなったら頭の中に他の事なんて浮かばないし。」
違いない、と片目を細めて男は笑った。
「ありゃ、いい仕事だと思うぜ。何せ、一対一でやり合ってやがるとアイツの香と草の匂いだけが風と一緒に走ってきやがる。呆れるくらい、正に華だ。」
「ふうん、アンタに褒められるとは。悪い気はしないね。」
「独特の調合までしてあるじゃねえか。ありゃ、どこで仕入れてくる香だ?」
にやりと笑うその顔に、何か含むものがある。
「恥ずかしながら、調合は俺様がしてるよ。」
「原料は?」
独眼竜はいっそう笑んで、しかし眼は真剣に尋ねる。
・・ああ、マズイ。これは気付いていそうだ。奥州筆頭は頭がいい。
「昔からウチに出入りしている香具師だね。」
「流しの、だろ?」
「まあ、そうかもね。」
「先代からか?」
「や、その前からかな。」
鋭く口笛が吹き鳴らされた。
「随分長い付き合いだな。」
「言われてみりゃそうかもね。」
「今頃はどこにいるんだろうなあ、いや何、甲斐まで来たんだ。土産に俺も所望したいもんだ。」
わざとらしい、と佐助は苦笑した。
香具師は、佐助の部下に当たる。それを独眼竜は当てこすっている。
そもそも。
香具師とは、野武士の内職であった背景がある。
宮中に侍る、北面の武士たち、これらが今でいう武士の先祖たちが由緒にするよりどころだ。
非常時に彼らの元で戦う巷間の野武士たちが、北面のもののふを重んじ「武」の字を抜き、野士と名乗った。
彼らは平時、宮中に詰めるわけではないので自然と他の職を兼業する。
そのうちの一つ、というより仏教伝来の流行もあり多くが香具を商いした。
そこで、香具師とは即ち彼らを意味し、ヤシと呼ぶようになったのである。
時は昼下がり、ところは武田領が真田幸村の邸である。
「・・・あぁた、なんでいるんですか・・・。」
邸の裏には山がある。そこからこの縁側に向かうようにして真田邸に入れば人目にはつかない。
それがあるので佐助は常に出入りをそこからする。
そうすることで、佐助は常に真田邸で幸村を守っているのだと、少なくとも里人も他の人間も錯覚する。
ついでに、真田の周辺を探る不審な輩は必ずこの山を利用するので、異常がないかを確認できる。
まさにその確認をしてきた直後、山を巡回し、下って邸に帰ったその場で。
・・・異常が発見されたのでは日ごろの苦労も報われまい。
「HEY! What are you doing?浮かねえ顔してるじゃねえか。」
刀はあれども、別段に武張った姿ではない。
気楽な風体で縁側に座るは奥州筆頭である。
先年に武田とは同盟を結び、稀ではあるが(しかし度々に)武田を訪れては信玄や幸村に会っていく。
手土産らしい、熊笹で包まれた包みが脇においてあり、そこから畢竟、団子を持って現れたが誰にも会っていないのだろうと判断される。
・・・警備の不備を恥じるのは、この邸では佐助だけなので、なおさら事態は恥ずかしいやら深刻やら。
この邸は人が少ない。
とっても少ない。少なくとも、もう二人くらいいてもいいだろうと思うのだが、ここで起居する家人というのは、主人の幸村と佐助、有事に留守番役をする婆のみである。掃除はこの婆がしてくれる。
朝食の前には、食事を作る里人の妻や長年武田に仕えてくれる馬番などが毎朝通いでやってくるのだが、それきりだ。
婆がいるなら半刻かからず、この客人の来訪を察して応対しただろうが、生憎とこの時間は寺に通っていることが多い。
主人の幸村はどうしたものか・・・お館様のところかはたまた鍛錬かどこぞへ出かけたか。それか甘味を求めて彷徨っているか。
書院で本を読むというのはない。恐らく絶対にない。ときどきこの伊達政宗が羨ましげに真田家の蔵書を眺めていることなど、気付きもしない主には、ソレくらい意識の果てだ。
「・・・浮かないってねぇ。そりゃ失礼しましたけども、連絡くださいよ、曲りなりにも奥州筆頭を名乗ってどこからもケチがつかないお人が待ちぼうけなんて・・・そんな失礼、うちだってしたくないんですから。」
「だったら、この無人の邸をなんとかしろ。お前の部下の一人くらいいるかと思ったが、気配がねえじゃねえか。」
「それは言わないでくれない?有事のときならともかく、平和なときは畑を耕せってのが旦那のご命令でね。」
このあたりをうろうろしてたら怒られるんだから可哀想ったらない。
しかし、そんなぼやきは腹に隠す。幸村の傍に誰かがいることが有事の証拠と知れるのは、都合が悪い。
「たまに野菜を持ってきてくれるけどね。お宅の右目殿にゃ、まだ勝てないから今は自重してるとこだよ。」
「・・・小十郎が目標ってんなら、あと十年は無理じゃねえか?」
「・・・やる気が削がれること言わないでくれない?ていうか、武士としてそれもどうなの。」
「オマエのところに言われるのも釈然としねえな。」
「・・・そういうことも言わないでくれない?大体、男子たるもの炊事場に足を踏み入れるなんて、っていう御仁も多いのに、アンタといい旦那といい・・・」
「俺が作った方が旨いからいいんだよ。」
ニカリと独眼竜が笑む。
初めて話を聞いたとき、はっきり言って呆れたのを思い出す。
好んで料理する武将など、前代未聞だったのだ。
勿論、初めは毒殺を避ける有効な手段として行っていたのだろうと推察される。
だが、毒を当てられるほどに繊細な舌先は、いつしか美食にも敏感になったのだろう。
自分で作らない正月料理の献立さえ、伊達政宗は自分で指示するのだと何かの折に聞き及んだとき、本当に趣味なのだと確信した。
そう、異国語を使うのも、戦に傾倒するのも、料理を好むのも、全てこの武人の趣味だ。
配下が集めた情報には、書画も茶も舶来ものの美しい道具も腐心しているとあった。
全くもって趣味人なのである。
と、ふと気付いた。
「あれ?そういや竜の旦那、それどこの国の香?なんか知らないけどイイ匂いだね。」
焚き染めてあるのは、恐らく袴だろう。
佐助の知らない涼しい香りが、仄かに政宗からする。
「流石だな。わかってくれるか!」
独眼竜は膝を叩いて喜色を浮かべた。
やはり渡来品だったらしい。佐助は忍びだ。薬となるようなものなら、なんであれ知識としている。その佐助の記憶にない香りがする、となるとこの国でそう簡単に手には入らないものくらいだろう。
「そりゃね。アンタみたいに洒落者じゃないからウチの旦那は着物に焚き染めたりしないけど、やっぱり武具は俺様が準備して焚き染めてるし。」
戦場は惨い。酷い。
それは血も臓物も汚物も撒き散らされ腐乱し、そのままに朽ち果てる場だからなおさらだ。
そのために、せめてと武将は嗜みも含めた意味で戦装束に香を焚き染める。
それよりなにより、戦装束は漆や皮でできている。
虫除けの意味でも香は焚き染めておいた方がいいのだ。
それは往々に毒などが混ぜられないように妻女や装束を身につける本人が用意する。
「ああ、幸村は結構丁寧に装束を扱ってると思ってたら、なんだやっぱりお前が仕度をしてたのか。」
「そりゃそうでしょ。槍以外は全部おまかせされちゃってるのよ、俺様。あの人、戦だってなったら頭の中に他の事なんて浮かばないし。」
違いない、と片目を細めて男は笑った。
「ありゃ、いい仕事だと思うぜ。何せ、一対一でやり合ってやがるとアイツの香と草の匂いだけが風と一緒に走ってきやがる。呆れるくらい、正に華だ。」
「ふうん、アンタに褒められるとは。悪い気はしないね。」
「独特の調合までしてあるじゃねえか。ありゃ、どこで仕入れてくる香だ?」
にやりと笑うその顔に、何か含むものがある。
「恥ずかしながら、調合は俺様がしてるよ。」
「原料は?」
独眼竜はいっそう笑んで、しかし眼は真剣に尋ねる。
・・ああ、マズイ。これは気付いていそうだ。奥州筆頭は頭がいい。
「昔からウチに出入りしている香具師だね。」
「流しの、だろ?」
「まあ、そうかもね。」
「先代からか?」
「や、その前からかな。」
鋭く口笛が吹き鳴らされた。
「随分長い付き合いだな。」
「言われてみりゃそうかもね。」
「今頃はどこにいるんだろうなあ、いや何、甲斐まで来たんだ。土産に俺も所望したいもんだ。」
わざとらしい、と佐助は苦笑した。
香具師は、佐助の部下に当たる。それを独眼竜は当てこすっている。
そもそも。
香具師とは、野武士の内職であった背景がある。
宮中に侍る、北面の武士たち、これらが今でいう武士の先祖たちが由緒にするよりどころだ。
非常時に彼らの元で戦う巷間の野武士たちが、北面のもののふを重んじ「武」の字を抜き、野士と名乗った。
彼らは平時、宮中に詰めるわけではないので自然と他の職を兼業する。
そのうちの一つ、というより仏教伝来の流行もあり多くが香具を商いした。
そこで、香具師とは即ち彼らを意味し、ヤシと呼ぶようになったのである。