それはまるで愛のようで呪詛のように
「言葉に力があるというのなら君はどうして死なないんだろう。俺がこうして毎日毎日毎日毎日毎日君にありったっけの想いを込めて死ねばいいのにと口にしているのに」
いつだか彼は言っていた。言葉には力があるからと、怒りを抑えるために言葉に乗せて蓋をして。何故それを知っているのかなんて、そんな野暮なことは聞かないで欲しい。だってそれは男が情報屋なんてろくでもない商売をろくでもない趣味の範囲でしているからだ。
そのろくでなしは現在池袋の一角の路地裏にてその言葉を以前口にした彼と対峙している。男の手には月夜にほのか煌めくナイフがひとつ、彼の手には対峙している場にそぐわず普通ならばそこらの道路で多分に見かけるいわゆる道路標識というものの類が握られて。持ち手がぐしゃりと潰されて彼の手にジャストフィットで変形を遂げている。先には赤い止まれという三角の標。これではどこぞの道路で止まることを見落としたどこぞの車がどこぞの通りがかりの歩行者を跳ね飛ばす可能性がぐぐっと上がっているわけではあるが、その標識を手にした彼の脳内には意識の範疇外であるだろうことは容易に想像できた。
その彼は口に咥えた、先の短くなった煙草のフィルターをぷっと吐き出し足元に落とすと同時に踏みにじる。追い詰めた男にも同じように踏みにじってやりたいという思いを仄かに滲ませながら。そして目元にかけた薄青いサングラスを取り胸元のポケットにしまうとまるで月光に興奮を抑えられない狼男のような体で口角を歪ませ、男を睨めつけた。
「ぁあ゙ん? ならてめぇもひゃっぺん死んでも死にたりてねぇはずなんだがよぉ…? 俺がどんだけどんだけどんだけどんだけどんだけどんだけどんだけてめぇに死ねっつってんのにてめぇはなんで死んでねんだろぉなぁあ? ちょっとは空気読んでそのナイフで自分の首でもかっさばいてくれりゃあよぉ、俺の言ったことも現実になるんじゃねぇのーーいーーーざーーーやーーーくーーーーんんんん??」
「アッハ。なんでわざわざ俺が君の空気なんざ読まなくちゃいけないのさ。それに自殺なんてしたら天国にいけなくなっちゃうでしょ? まぁあるかどうかも甚だしいけれどそれを抜きにしたって自殺なんてめんどくさいことするもんかよ。アっホらし。だいたい言葉に力があるっていう君の定説を茶化して言った言葉なんだからそこらへんちょっとは感づいてよね? ほんっと馬鹿と話してるとこっちまで馬鹿になりそうでイヤだなぁ」
「〜〜〜ッ、ごっちゃごちゃうっるせぇえ!!! てめぇはまともに死んだって地獄行きだっつかまともに死ぬこともできねぇだろうがこの外道がッ!!!!」
「ふ。誉め言葉かな」
ブンっと彼の、平和島静雄の手にした標識が風を切る。男の、折原臨也の頭めがけて振られたそれは頭にあたるスレスレのところで臨也が腰を落としかわして彼自身には事なきを得た。が、その後ろにあった塀にガスンとめり込み、石造りでできたそれがまるでビスケットのように砕け散ってはその破片が道路に散らばっていく。
煽るように外したことをアハハと笑って臨也は塀の側面に足をかけてその上にひょいっと昇ってしまった。まるで猫のような動作に、塀をなんでもないように壊した平和島静雄もそうだが、臨也その人も只者ではないと知れる。だが彼らのうちではそんなものは既に見慣れたそれであり、互いに相手の疎ましさとしてしか感じられない部分でもあった。
その結果が平和島静雄を化物と、折原臨也をノミ蟲と呼称する所以でもある。
「ねぇシズちゃん知ってる? 言葉には物理的な力はないけど使いようによっては刃物より便利な武器になるってこと」
塀の上でしゃがみこんで膝に肘を乗せながら行儀悪く下方にいる静雄を見下ろして臨也は問う。さっきまでそのことについて馬鹿にしていたくせになんとも虫のいい男だ。
言われた静雄も静雄でそれを指摘することは頭にないのか、ただ自分の攻撃から逃れて高いところに昇った臨也に対して何言ってやがんだこのノミ蟲はといわんばかりに「ァア゙?」と柄の悪い声を上げる。
「こうして言葉を介した"情報"という武器を売り買いしているこの俺だ。だからどんな時にどんな言葉を吐けば人間がどんな風に動くかなんて考えるまでもなく簡単なことだしねぇ。そう、ナイフと同じさ。足を切れば歩けなくなる。目を刺せば見えなくなる。心臓を刺せば呼吸を止めれる。…君は刺さらないからほんっとめんどくさいんだけど!」
「じゃあそのナイフでてめぇの舌ぁ切ってやればその五月蝿ぇおしゃべりも止まるよなぁ!?」
「ああ、じゃ試してみる?」
「あ?」
そこで臨也がトッと塀から飛び降りて静雄の前に降り立つ。
「ほら、このナイフで。俺の舌でも切ってみなよ」
手にしていたナイフを標識を持っている反対側の手に握らせ、その握った手の手首を掴んで臨也は己のぱかりと開いた口の中にナイフを滑らせた。
静雄は動かなかった。いや、動けなかった。いつも後先考えずに怒りをぶつける静雄であったがこの時ばかりは違った。静雄から提案したものであるが、拒否が返って来るだろう前提に口にしたからだ。それは静雄自身に危害を加える言葉ではなく、臨也が己自身を傷つける要素のあるもの。別に急に傍に来た臨也の行動に萎縮したからではない。
何を考えているか分からなかい。どちらかといえば理解したくはないが、だがここでどうにか動いて彼の何か企みに乗るのも癪に障る。
何か気味悪いものでも見るみたいに静雄は彼の行動を凝視するしかなかった。
「舌を切ったら俺は商売あがったりだ。君と違って口先だけで生きているような男だからね俺は。だから死ぬかもしれないよ? それこそ自分に絶望して自殺するかもしれない。ほぅらそしたらシズちゃん、別に君が手を汚さないでも俺を殺せて万々歳じゃない!」
「っ」
ひたりと、舌の上に砥がれた鈍色が煌き、唾液が刃先を濡らした。肉の感触が手に伝わる。このまま力を込めれば切り取ることはなくとも傷をつけることは容易い。
静雄は逡巡する。こうして致命的な攻撃の機会をわざわざ相手からもらっている。ここで手を出せば例え臨也の罠であろうとも彼にダメージを与えることは可能だ。しかも舌だ。この小煩い男には皮肉にちょうどいいんじゃないか。
「……」
じりと食い込むように押し当てられて。臨也の嘲笑うように紅い瞳が静雄を射抜く。
だが静雄はそれ以上動かなかった。変わりに標識を投げ捨て空いたその手で彼の顎をガッと掴み上げると、そのまま臨也の掴む手を振り切りナイフまでをも放り捨てる。
臨也の表情は変わらない。彼は知っていた。静雄が自分にそういう類で傷をつけないことは。
何しろ自分が率先して行動したことに、罠だと疑わない程に馬鹿ではないだろう。実際罠でもなんでもない、ただ自分の言葉にどう動くかを試してみたかったというのもあったにはあったが。だけど自分の言葉通りに動いた試しもない男だ。きっとくだらねぇと行動には起こさずに終わる。そう臨也の中にあった。
作品名:それはまるで愛のようで呪詛のように 作家名:七枝